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願いを叶える宝石に纏わる冒険譚  作者: 2991+
魔物の棲む森にて

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第9話


 結局問いの意味はわからなくて、僕は説明を求めて狼に視線を投げる。いつものように、バルザックは笑った。


「はははァ。そう問うだけ進歩ってものさ。風精霊は一族の繋がりが他の精霊より強い。空気さえあれば、仲間には必要な情報が早く正確に伝えられる。…ジルオールはじきに選択をせねばならない。つまり、現れた帝国の子と対峙するために」


「…なに…」


「陣営に王族が到着した。この国を完全に掌握するため、そして、願いを叶える石を手に入れるために。帝国側も、兵士がジルオールの首もメディヴァルも持ち帰らぬことに痺れを切らしたようだな」


 胸の中に、不意に嵐が生まれたようだった。


 未だ支度さえ整わぬ己への焦燥。胃の腑が捩切れそうなほどの、憎しみと恐怖。再び奴らは繰り返そうとするだろうか…略奪と殺戮の予感に込み上げる、強い愁嘆の念。そして、沸き上がるのは暗い喜び…いっそ恋い焦がれでもするような、対峙を求める思い。


 戦える。

 この国を踏み荒らした帝国の王。その首を。

 きっと取れるだろう、今の僕ならば。


 そう笑みかけた唇を、噛み締めた。

 いいや、違う。狼はそうは言わなかった。


「…帝国の子、と言ったな」


 王ではない。

 王は簡単に前線になど出ない。ならば、帝国の王子だろうか。


「戦うか、ジルオール。敵陣を目指すか。お前の望む帝国の王の首ではなくとも。人の喉笛など俺の牙でもかっ切れる」


 言葉の意味を計りかねた。

 バルザックは、共に戦ってくれるつもりなのだろうか。森の魔物である彼が…友人として?


 胸の内の嵐が、ゆっくりと勢いを弱めた。

 戦いを望むかと、再度己に問う。


「…いや。まずは火精霊と契約し、メディヴァルを手に入れる。どんなことも…全てはそれからだ。復讐などに惑わされ、宝石を帝国に渡しては意味がない。そして…」


 暗い狂喜には、蓋をする。

 僕は。決して間違えるものか。


「帝国軍が民に害をなす場合にのみ、指揮官を拘束、もしくは排除する。それでも狼藉を望む兵士がいれば隔離する。状況次第で相手が勧告を聞き入れねば、この方向で行く。僕は敗戦の王の子。勝者が正しく民を導くというのなら、無闇に世を乱すべきでない」


 僕が姿を現せば、メディエノルの民は動揺するだろう。

 それが王国の復興を望み、希望となるのであればいい。けれどあれから時は経ちすぎた。未だ懸賞金のかかるこの首には、代わりに殺された少年たちの影が付きまとう。


 不安に思う者は出るだろう。帝国が再び、同年代の男を無差別に殺す可能性に。

 己の憎しみだけで、民の生活を脅かしたりはしない。


 彼らは王を失ってから必死に生き延びた。

 例えメディエノルを見捨て、帝国に心酔していようとも責める権利は僕にない。

 民が己の生活のためにと僕の首を望んだとしても、決しておかしくはないんだ。それだけのことが、起こったのだから。


 気づけばアルトは姿を消していた。

 彼の望んだ答えとは何だったのだろうか。少し、気になるけれど。…彼の望みを聞けたとしても、僕は自分の望みを違えたりはできない。


「皆が幸せになるのなら…本当は僕の命など帝国にくれてやってもいいんだ。もちろん、無意味に渡すつもりはないけれど」


「手に入るのは口約束だけかもしれないぞ」


「ふふ、僕だって言葉だけで命を手放す気はないよ。親を殺され城を追われ、民を泣かせてきた…僕が帝国に抱く憎悪に嘘はない。ただ、憎んで復讐しようとして…例えばそこに帝国兵が巻き込まれて死ねば、その家族が泣くのだろう。僕はそれを望まない」


 悲嘆と憎悪の連鎖をこの手で撒き散らすのでは、生き延びた意味がない。あの日死んでいたほうがまだましだったのじゃないか。


「面倒くさい奴だな」


「そう…かな。まぁ、僕自身にさえ、この甘さは己の弱さを隠す方便にも見えるよ」


「甘くていいのさァ、お前は。面倒くさいってのは、結局どこまで行ってもお前自身が幸せにはなれそうにないってことだ」


「そんなことはない。平和な日々と笑顔が民の手に戻るのなら、それが僕の幸せだ」


「平和など一時だぞ、ジルオール。人間は絶えず戦を繰り返してきた。こんなのよくある話だ。もっと利己的に生きたらいい」


 随分と食い下がる狼に目を丸くした。

 なぜ彼はこうも僕の今後を憂いているのだろう。

 僕の行動もその結果も「森の魔物だから本来ならば見守るだけ。でも気に入ったから、結果が良くなるように少しだけ手を貸す」というスタンスでいたと…思っていた。


「…どうしたんだ、バルザック。まるで怒っているみたいじゃないか」


「…いや…、俺はァ…、…むぅ。何でもない、忘れろ。言っておいて何だが俺にも、利己的に生きてお前が喜ぶとはどうも思えんしな…。全く、困ったな、面倒くさい奴だな…」


「既に利己的だと思うけどな。子供のようなこの望みのために帝国の邪魔をし、メディヴァルに力を借りようというのだから」


 笑って流して見せながらも、胸の奥が温かくなった。

 望まれたのはつまり、僕の幸せだ。

 この森の友人も、契約した精霊も、そんな風に僕のことを思ってくれるのだろうか。数えきれぬほどの犠牲の上に、ようやく生きている僕なのに。


 ならば、もう十分に、僕は幸せだ。


「困ることはないさ、バルザック。僕らはまだ道の途中なんだ。さぁ、火精霊の元へ行こう。そうしたら今度こそメディヴァルだ」


 身体に力が戻ったのを確認し、僕は木の椅子から立ち上がる。

 まるで急速に時が進んだように椅子は音もなく枯れ朽ちて、崩壊した。木片となり、違和感なく谷底に転がるその様を、どこか悲しく思う。僕を座らせるためだけに成長し、役目を終えて朽ちた椅子。


 ふと、ドルアリィグが現れた。


「…ん?」


 急な実体化に首を傾げた僕の前で、精霊は地面に手を伸ばし、何かを拾い上げる。特に何も言葉を発することなく、消えた。


「…ふふ。ありがとう、ドルアリィグ」


 種を拾う姿をわざわざ見せたのだとようやく気がついて、僕は笑う。道具として使った木々は、今までも、朽ちる前に種を残して回収していたのだろう。

 僕が椅子に思いを残したから、いつもは見せない回収作業を見せてくれたのだ。

 僕は今度こそ、思い残すことなく前を向く。


 狼がひょいと僕を追い抜いた。

 先導するように、ちらりと肉球を見せて歩き出す。



 それから数日、僕らは谷底を歩き続けた。

 今まではあまり間を置かずに契約できていた精霊と、なかなか出会えないことに内心少し焦る。

 早足になる僕を、狼はちらりと笑いながら時折振り返った。


「そう急いても結果は変わらないぞ、ジルオール」


「…そんなことはない。時間とは限りあるものだ。特に人の生ともなれば」


「やれやれ。これでもお前の進む道というのは比類なく早いと思うのだがね。さて、ジルオール。そろそろ支度をせねばならない」


 くるりとこちらを向いて足を止めた狼に、困惑した。


「何の支度を?」


「対属性である火を刺激しないため、水精霊の力は使わぬが望ましい。さりとて脆弱な人の身には、ちぃとキツイ」


「…何の話を…っ、アルト?」


 何の前触れもなく吹き荒れた風に息を飲む。

 髪がぼさぼさだ。

 目に入らぬように押さえても、効果がないくらいに煽られて…また引っ繰り返されそうだ…少し眩暈がする。


「僕だよ、僕の出番だよねっ」


「…ったく、このチビはァ。お前の一族が「落ち着け、騒ぐな、失敗するぞ」と忠告してるのが聞こえないか」


「うるさい狼だなぁっ。やることはわかってるもん! こう、でっしょー!」


 話の見えない僕を襲ったのは暴風。

 走馬灯のようにあの日足を滑らせた崖が脳裏に浮かぶ。何とか踏ん張ろうと頑張ったのだけれど。

 …あっけなく、吹き飛ばされた。


「ジルオール!」


 ぶつかると思われた瞬間、突き出ていた岩が見る間に崩れた。

 岩が僕を避けた。そのことに驚く。


 続いて、ぼよんと背中で弾んだ水の玉。しかし、それは一瞬で消えた。

 バランスを崩した僕を低木が受け止める。

 すごい連携だ。

 ざっと分厚い葉を持つ植物が僕の前に茂ったが、突然の熱波の襲来に噛み付かれて内部の水分が奪われたらしい。萎れた植物は音もなく枯れ果てた。


「うぅっ…、何だ、熱い」


 前方から吹きつけた熱気の残りに眉を寄せると、バルザックとアルトが顔を見合わせている。

 狼の舌打ち。


「何の為にィ、お前が出てきたかわかってないとは言わせないぞ、チビっ子」


「…ん、と…。えへ」


「クビにしろ、ジルオール! これから火精霊と契約しようってのに、水精霊を出させやがって! 一気に場が攻撃的になったぞ!」


 意味がわからずにいる僕の側に、どこからともなく現れた女の子が近づいてきた。

 とことこと気負いなく歩く姿は、閑散とした崖下にはとても異質だ。


 僕のすぐ側まで来ると、勝気な瞳を輝かせてピシリと指を差してきた。


「あたしと契約なさい、ジエラルーシオン」


「…契約、を?」


「ええ」


 取り残されっぱなしの僕は、何とか混乱を頭の隅に押しやる。火精霊と契約するためにここへ来たのだ。ならば彼女が火の精霊なのだろう。


 しかし、今まで声は聞こえていても、契約前に姿が見えた精霊はいなかった。

 豊かな赤い髪を腰まで伸ばし、腰に剣まで差している、勝気な娘。


「貴女は火の精霊?」


「そうよ。ジャハンナリンクと呼ばせてあげる」


 これはまた、偉そうなのが来たものだ。

 苦笑しかけた僕に、彼女は言葉を続けた。


「あたしに、勝てたらね!」


 言うが早いか、腰の剣が抜き放たれる。

 咄嗟にではあったが距離を取り、僕も剣を抜いていた。

 激しい音を立てて刃がぶつかり合う。


 魔剣なのだろうか。燃え盛るような赤い色。

 それどころか時折、刃上を舐めるようにして実際に紅炎が踊る。


「…綺麗な剣だ」


 思わず呟くと、相手は驚いたように僕を見た。


「余裕ね。これが欲しい? あたしに勝てたらあげてもいいわ」


「いいや、その剣は貴女に相応しい。如何に素敵であろうと無理に奪ったりはしないよ。お気遣いには感謝する」


 それに僕にはこの緑石の剣があるから、大丈夫だ。

 イシュテアスの剣。代々受け継がれた国宝。

 僕が生きている今を、証明するもの。

 そして僕の最期には、友人へと受け継ぐべきもの。


 …これ以上、僕に相応しい剣はないだろう。


「やだ…口説くのもいい加減にしなさいよ」


 口説いた覚えはなかったが、頬を染めた火精霊は無軌道な剣を振り回してきた。結構力がある。重い一打を受け流しながら、僕は相手に問いかけた。


「なぜ、戦いを望む?」


「あたしが強いからよ。それをあんたに証明してみせる」


「僕は民を傷つけることを望まない。それをわかった上でそう言うのか?」


「戦は避けられないわ。ジエラルーシオン。あたしという剣が、あんたには必要よ。そんな水のオバサンなんかよりずっとね!」


 シャロレイトラハが怒りを滲ませたのがわかった。

 けれど、水精霊は一言も発さず、場にも出てこない。挑発に乗ってもいいことはないと、きっと堪えているのだろう。


 ちらりと目を走らせてみるが、バルザックはこちらを見守っているだけだ。

 バルザックは、僕のためにならないことはしない。

 ならば、この精霊は僕に必要だということなのかもしれない。


「あら、反論がないってことは認めたってことよね。あたしより先に契約なんかして…いい気なものね。ついでに、水との契約なんて断ち切ってやるわよ」


 しかし、あまりの言い様。

 僕は小さく息をついて、緑石の剣を鞘に収めた。


「何してんのよ、まだ勝負は…」


「貴女とは契約しない。よって、この勝負には意味がない」


「えっ」


「別の火精霊を選ばせていただく」


 精霊のつり気味の目に、見る見るうちに弱気な色が満ち溢れる。僕は首を横に振った。


「火精霊が好戦的なのは仕方がない。それは性分だ。水精霊に蟠りがあるのも仕方がない。対属性だからだ。けれども、無闇に仲間を貶めるものを迎え入れる気はない。僕には四大精霊との契約が必要だという。しかし、それは貴女でなくともいい。他にも僕と契約してくれる火精霊がいれば問題ないのだろう? 今までも、望んでくれる精霊は複数いたようだ。名を聞き取るのに少し時間がかかるかもしれないが、それだけのことだ」


「ま…待ちなさいよ! 時間…そうよ、時間がかかっちゃ困るって聞いたわよ!」


 誰にだろう。

 もちろん、本当はそうだ。

 一分一秒が惜しい。


 僕にしか聞こえないような小さな声で「これもアクの強い精霊だなァ」と狼が笑った。彼の機嫌を損ねていないということは、本質的にはそう性質の悪い精霊でもないようだ。


「シャロレイトラハを貶めた貴女の言葉には、何か正当な理由があったのか?」


 何か理由があったのなら。 

 …いや、悪意のようなものしか感じなかったな。


 それでもアルトの例がある。

 多少問題児でも、うまくやっていけるなら契約すること自体は構わないし…態度に反して泣きそうな目をしているのもまた、不器用な精霊という印象が拭えない。


「だ、だってっ、水精霊がオバサンなのも、あたしの力が必要なのも本当だもの! 真実なら口にしたって構わないでしょ!?」


「本当だったら何を言ってもいい…それが貴女の理由なら、僕は言わせていただこう。貴女は必要ない。なぜなら、僕はシャロレイトラハを気に入っているからだ。これは真実なのだから、彼女を罵る精霊と契約したくないのは当然のことだ」


「…ふ…ふぐっ…」


 頬を膨らませて、目を潤ませて。

 火精霊は唐突に姿を消した。


「…失敗したかな」


 ちらりと狼に視線を投げると、彼はおどけるように牙を見せる。


「ジエラルーシオン。娘が失礼をした」


 聞いたことのない男の声が不意に飛び込む。問うまでもない。火精霊だ。


「…こちらこそ。レディを傷つける真似をして申し訳ない」


「あれをレディと呼んでくれるか…! 存外豪胆な男のようだな。しかし、少し話をさせてくれないかね」


「この後、僕が火精霊と契約することが叶うのならば」


「約束しよう。…私はゲヘルドザナシュ。もし他の者の声が届かなければ私が契約しても良い。…そうすると、娘には嫌われてしまうかも知れんのだがな」


 小さな溜息に苦笑が混じる。

 火精霊でも、娘の機嫌に敏感なただの父親なのだな。そう思うとつい、くすりと笑ってしまった。




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