●幕間 もう一人の英雄
(視点が別人に変わります)
ホイット村の村長にして薬師であるおババ様。
すでに齢九十に届こうとしているが、背中が曲がり、しわくちゃになっても、歯と口はしっかりしている。
「昔なら、この歳になれば自分で石を噛んででも食い扶持を減らすもんだが、村長となってしまったからねぇ。それに、薬師を継いでくれる者がおらん。シンかルルなら見込みがありそうだが……しかし」
すり鉢で薬草を調合しながら、ブツブツとつぶやく。
「おババ様、オークの解体、ひとまずすべて終わりました」
筋骨たくましい茶髪の中年男性が家の扉を開けてやってきた。
「うむ。ジークよ、ちゃんとオークの血は酒で清めたかぇ?」
「いえ、血の量が多すぎて全部はとても。作ったばかりのハチミツ酒もすべて使い切りましたが、まだ半分ほどです。森の奥で仕留めたオークどもには、代わりに灰と塩をかけておきました。明日、酒を隣街まで買いにいかねばなりません」
行商のリックから余分に塩を買えていたからいいようなものの、それがなかったらと思うとぞっとする。塩は食べるためだけのものではない。清めとしても使うため、切らすわけにはいかない村の必需品なのだ。
「やれやれ、大量の肉が入ったのは良いが、急に魔物が押し寄せてくるというのも、災難だね。百頭を超えるオークが完全武装して襲ってきたなんて話、私も長い間生きてきたが、これまで聞いたことが無い。いったい、どこから湧いてきたのやら。伝説の神竜や悪魔……ひょっとすると、千年前の魔王がどこかに復活した予兆かもしれないね」
「予兆? ご冗談を。縁起が悪すぎます。それに魔王は昔の神話、おとぎ話の類いでは?」
「さぁ、どうだろうね。そういう話は小さな村の薬師よりも、アンタの方が詳しいはずだよ」
「はぁ」
ジークは困ったように頭をポリポリとかいた。もともと腹芸ができるような男ではない。
「まあいいさ。だが、清めはきちんとやっておかないと、あとが怖いからね」
「ええ。清めを怠った街が、魔物に襲われたり、不死者が産まれたり、疫病が流行ったりしたのはこの目で何度も見てきましたから。ああなってしまえば、地獄です。そのまま滅んでしまった街や村もいくつかあります」
ジークはその様子をまざまざと思い出したのか、少し悲しそうに目を伏せた。
「うむ。それと、街に行くならちょうどいい、領主様へ今回の報告書を書いたから、持っていっておくれ。お前さんも書いたかもしれないが、これは私のお役目だからね」
「はい。私の手紙はこちらの領主様に出す物でもありませんし」
「ああ、そうだったね。うっかりしていたよ。それにしたって、驚いたじゃないか。まさか五十頭を超えるオークの群れを五歳の子がたった二人だけで全滅させるだなんてねえ。剣を仕込んだのかい、ジーク?」
「いえ、どうするか迷っていたところで、教えはまだ。それでもシンはスキルを使い、クワと落とし穴、草罠を使って倒したそうです」
「聡い子だね。まるで生まれつき一人前の貴族だよ。やんごとなき血筋とは、かくも恐ろしいものだね」
「……」
「剣は教えておやり。あれは放っておいても目立ちすぎる。報告書には書いていないが、いずれ遅かれ早かれ、面倒事に巻き込まれることになる」
「では、この村から追放しろと?」
ジークが眉間にしわを寄せ、この男にしては珍しく非難めいた鋭い目をしてみせた。
「そうは言わないさね。ただ、シンは農民の子で収まるような子じゃないし、農民としてやっていこうというつもりも本人にはないようだ」
「……なぜそれが?」
「わかるとも。あれだけのスキルが使えるんだ。農民でずっとやっていくつもりなら、もっとそれらしいスキルを取るだろうよ」
「ああ……それは確かに」
「それだけじゃない、薬の調合に興味を持ち、日々おかしなことをやっている。将来は錬金術師か魔導師か、それとも剣豪として名を馳せるかねぇ。今まで何人か傑物を見てきたが、あれほど多才な子は見たことがない。それはそれで迷いが多いだろうし、実際迷いやすい。ジーク、道を見誤らぬよう、しっかりと指導しておやり」
「はぁ、剣士と騎士の道ならば、何とか教えられますが……」
「いいや、そういうことではないよ。善と悪の道さね」
「ああ、なるほど。それならばお任せください」
「ま、竜殺しのお前さんがいれば、要らぬ心配かもしれないがね」
ジークはそれには何も答えずに一礼すると、丸めた羊皮紙を手に家を出た。
「やれやれ、自分の息子が何を望んでいるか、それがわからない親では、まだまだだねぇ」




