315.貸し出し
「封印の獣……?」
どこを見ているのかわからない顔でカディスがつぶやく。名乗った当の本人はコーヒーを淹れ終えるとさっさと本棚に張り付きにいった。ものすごく嬉しそう。
「そうともいうな」
ベリーのメレンゲを一つ摘んで口に入れる。噛めばサクッと軽い歯ごたえがして、甘酸っぱくしゅわっと溶ける。
口金の種類を揃えて、絞り出しを練習すればシェル型とかバラ型とかできるかな? 簡単に色が出せるこれはリデルが喜びそうだ。
一つ二つは平気だが、三つ食べると私には甘い。コーヒーを飲んでケーキに手を付ける。栗の粉のケーキはカスタニャッチョと呼ばれるものだが、郷土料理というか、それぞれのご家庭の味なのか同じ名前でも全然違うものだったりする。私が作ったのはカディスの好みに合わせてサクッとしたもの。
カディスはクルルカンを眺めながら口を小さく動かしている。多分、言葉に上らないまま、思考をたどって口だけが動いているのだろう。どうやら自分でたてた封印の獣に関する仮説を検証しつつ、修正しているようだ。
「いや、だが……。何故、人に……? ありえんが……勘違いしている可能性も……? 幻覚かドラゴンか……いやドラゴンはあり得ない……」
時々声が漏れるが、こちらからの問いかけに反応はない。食べた感想を聞きたかったのだが、しばらく無理そうだ。
――カディスがずっと同じ状態で戻らないのでそっとお暇。クルルカンも本に夢中だったので、適当なところで家に戻れと声をかけたのだが生返事。私が店を出て戸を閉めようとしたところで、蛇型のクルルカンがぴゃーーっと追いかけて来て袖に入り込む。
お前、さっき人型で余裕綽々な挨拶してなかったか? 何でそんな必死なんだ? どう考えても一人で買い物できるし帰れるよね? この世界に封印の獣を脅かすモノって少ないと思うんだが、何が怖いのか。
さて、雑貨屋に帰ろう。レベルはもう少しで上がるところで止めてあるので、帝国のボス戦まで戦闘はあまりしたくない。レベルが上がると全回復するので、九尾と鵺の連戦だった場合、片方倒した時点で上がると理想だ。回復薬はあるけど、HPはともかくMPは全部使い切った状態だと、私の作る薬では全回復にはほど遠い。
まあ、自然回復も攻撃で回復する分もあるのでMPが底を突くような事態は少なそうだが。できる備えはしておく主義です。
あとは売り払う分の生産をして稼ごう、イベント前だしちょっと販売量を増やす方向で。
ちょっと露店を覗く。ノエルが最近小物入れを集めている、手のひらに乗るような金属製の小さな箱だ。木製の宝石箱はよく見かけるのだが、金属の小箱というのはあまりない。貴族やある程度金を持った客が行く店ならあるのだろうけど、ノエルに露店で手に入るものというこだわりがある。
残念ながら今日は空振り。
露店から雑貨屋はそんなに離れていない、たまには正面から帰るかな。せっかく鍵を持っているのに使う機会がない。もう雑貨屋は閉店している時間で客もいないだろうし、今日は玄関を開けて入ろうか。
人気のない適当なところで仮面をかぶり装備を変えて雑貨屋の通りへ。私、この装備しかなくて着替えない人と思われてたらやだな。仮面姿でも時々着替えるべきだろうか? 菊姫に街着を頼――いや、容赦無くフリルとかつけられそうだからやめておこう。
などと思っていたら雑貨屋の前に人だかり。いや、正しくは玄関前で叫んでいる人を少し距離を置いて見ている人たちがいる。
「お願いします! 会わせてください!」
しかも遠巻きにされてる人物はアキラ君、なんでだ。
あれ、もしかして今日はピンポイントで【転移】で帰った方がよかった日? 住人が騒いでるならともかく、異邦人じゃイベントが起きたとかじゃないよね?
「おおお? レンガード!」
「白レン様!」
「イベント? トリガーなんだ?」
「えええええええ! うらやましい!!!」
「店主きた、店主!」
などと思ってるうちに野次馬に気づかれた!
「何だ、騒がしい」
仕方がないので話しかける。
「レンガード……いえ、レンガード様!」
何故呼び直したし。アキラ君が涙目で見上げてきた、気持ち悪いです。
こう、知らずにポロリと落ちる涙とか、何か涙の背景が頑張った結果だとわかるなら美しく感じる。だがわめきながらの涙が微笑ましいのは幼稚園までだ。
「お願いします、『火華果実』を売ってください!」
土下座せんばかりの勢いで頭を下げてくるアキラ君。
あー。このタイミングでパーシバルかカミラの妹さんが『炎熱の病』にかかったのか。帝国への侵攻が近いのに難儀――って、何故私のとこに来た!?
「ホムラ、今日に限って何故こちらから。構わず入ってください」
外の気配に私がいることに気づいたのか、レーノが中から扉を開けて促してきた。
今日はカルたちは帝国侵攻の打ち合わせで店番は休み、まだ帰っていないからだ。
「――友ならば自分で取りに行け」
アキラ君の横を抜けて玄関に向かう。これ場所を教えるとネタバレに引っかかるだろうか? あとなんで私が持ってるって知ってるんだろう? 謎なんだが。
「時間がないんです、一回行って失敗している! オレとパーシバルじゃオレのせいでまた絶対失敗する! そんなことしてたらパーシバルまで……っ」
場所は知っていて、倒れたのはカミラの妹の方か。確かにアキラ君の戦い方じゃ盾と道中の数の多い敵を倒す役、回復役が揃っていないと攻略は難しそうだ。様子からすると火山でパーシバルもだいぶ危なかった感じか? しかし自信満々な感じだったのに、一人じゃ進めない自覚はあったのか。
アキラ君は完全にNPC扱いをする派っぽかったのに、今はちょっと印象が違うな。
とりあえず他はどうでもいいから五体投地気味に取りすがってくるのやめてください。レーノが掴まれる前に振り払ってくれたけど。いや、槍の柄で払うのは悪役みたいだから止めようか?
「やだ、絶対嫌だ! パーシバルやエイミを失うのは! お願いします、何でもします! 『火華果実』を……っ」
ぐしょぐしょに泣かれましても……。
「何故私が『火華果実』を持っていると?」
困惑しつつ聞く。
「だって、賢者様だから……っ!」
意味がわからない。
「雑貨屋に来れば何とかなるって……っ!」
確かに色々なものを扱ってるんで雑貨屋なんだけれども、雑貨屋だからって普通は『火華果実』なんてないと思うぞ? まあ、持っているけれども。
パーシバルとエイミってどう考えても今回帝国側なんだが、カミラの妹だしな。とりあえずカミラとエイミノ姉妹関係はどうなってるのかガラハドに聞いてみよう。カミラ本人に聞いても素直な答えが返ってこない予感がするし。
ホムラ 送信:突然すまんが、カミラと妹さんってどんな感じなんだ? 今回敵見方だが
ガラハド送信:見かけたらなるべく生け捕りで頼む
いや、姉妹仲を聞いたんだが……。会議で長文打ってられないのかな? 邪魔をしてしまったようだ。だが、殺したくないことはわかった。
「『火華果実』の対価は何だ?」
分かったけれど、タダで譲るのも微妙だ。
『火華果実』をもぐことができるのは個人で一度きり。『炎熱の病』を治す鈍色の実をとるか、炎の色に色づいた強力な火属性を持つ実をとるかの選択がある。
私たちは全員、鈍色の実を取った。ガラハドの分はカミラに使ったが、イーグルと私、後からとりに行ったカミラも鈍色の実を選んでいる。カルは水属性が強いので『炎熱の病』にかかることはないし、発病に備えるにしても一つ余っているといえば余ってるのだが。
それにガラハドたちが、こちら側についた騎士たちを連れて『火華果山』に時々通っているみたいだし。
「装備でもアイテムでも俺が持ってるものは全部……っ! あれ、トレードできない?」
いきなり脱ぎ出すのはやめろ! 極端すぎるぞアキラ君!
私はパトカを交換したフレンドとしかアイテムのやりとりができない設定にしてある。
「オレの忠誠を!」
「いらん」
思わず即答してしまった。片膝をついて胸を叩いた格好のまま固まっているアキラ君。
「それは友にでも捧げろ」
フォロー、フォロー。暑苦しそうなので押し付けたとも言う。
「『火華果実』は貸そう、返しに来い」
対価が欲しい気はしたが、よく考えたらアキラ君から特に欲しいものがない。鵺とハーメルが欲しいのだが、流石にそこまで無茶振りをするつもりはない。
「はい! 必ず強くなって返しに!」
『火華果実』を渡すと、抱え込むようにして受け取り、泣き出した。
本当に一体何があったのか。アキラ君の印象は、一撃必殺が大好きでNPCは心情無視で使えるだけ使う派――というか、あんまりキャラや人に執着がないイメージだったのだが。エイミとパーシバルが死にかかって大事さに気づいたとかそういうベタな話なのだろうか。
「私が誰かに『火華果実』を貸すのはこれが最初で最期、同じことがあったとしても断る」
一応、周囲に釘を刺して雑貨屋に入る。
なんかそこここから悲鳴に似たため息が上がったけど、アテにされても困る。ちゃんと騎士と一緒に強くなっていれば、発症する条件が揃って騎士が『炎熱の病』に倒れたとしても、『火華果実』は取ってこられるはずだし自力でお願いします。
レーノがガチャンと鍵をかけて騒動は終了。
「大丈夫でしたか?」
「ああ、すまなかった。次回から必ず【転移】にしよう」
レーノが心配して聞いてくるのに答える。
「いえ、僕がうまく捌けなかっただけです。カルならホムラに面倒な対応をさせるようなことはなかったと思います」
あれ以上ってどうするつもりだろうか。まさか雑貨屋の前で即神殿行きな事案が多数発生してるとかそういうオチじゃないだろうな?
いつもと違う玄関から帰ったことに気づいたラピスとノエルが迎えに降りてきたのをそれぞれ抱きしめて、ちょっと怖い考えに行きつきそうなので深く考えるのをやめる私。
次回は帝国にお邪魔……のはず。




