196.江都到着
「ほう、では橋で茨木童子とあったのか」
「そう。攻撃の大半は避けられるんだけど、当てられなくてね。ついでに茨木が範囲持ちなせいで私の分が悪かったんだ。逃げる分には問題ないんだけどね」
橋は一種の境界、怪異が起こる定番の場所だ。ペテロは最初は橋台に埋められた人柱の霊かと思ったそうだ。――なんでやたら具体的なんだ、ペテロ。橋のたもとに住む、白蛇の精あたりにしておいてくれんものか。まあ、結果は白褌だったわけだが。
「それでどうやって、殺されもせずにここに連れてきたんだい?」
朝食を食べながら、右近の質問タイムである。本日のメニューは、ご飯・味噌汁、アジの干物、厚揚げとわらびの煮物、海苔の佃煮、漬物2種。ひとのつくった料理は三割り増しおいしい。
「あっちから条件を出してきたんだよ。"酒呑様を式とした異邦人を三日以内に見つけたら、お前の式になってやる。見つからなかったらお前の心臓をもらうが、どうだ?"ってね」
「それを受けたのか……」
「無謀ね。もっと慎重な男かとおもっていたわ」
左近と天音が呆れてため息をつき、ルバは寝ている間に隣室で起きたあれこれに驚いている。
ルバは箸が使える。もともと器用さが高いということもあるのだろうが、亡くなった友人の家に招かれ、たまに扶桑の食事を食べていたそうだ。
「答えを知ってたからね」
肩をすくめて私を見る。
「まあ、ペテロじゃなかったら他に私しかいないな」
「何言ってるのよ、異邦人は他にもいたわよ。……ずっと以前にだけど」
住人が異邦人を認識しているのは、過去にも邪神が活動を開始した時期に、異邦人がやってきて、この世界の住人と力を合わせて……という過去話があるからだ。私たちがこの『異世界』に来て、冒険者ギルドなどですんなり受け入れてくれたのは、その下地があるせいだ。住人にとって、最近ゲームを開始した私たちだけが異邦人ではない。
が、ペテロにとっても私にとっても、今扶桑にいる異邦人といえば、お互いだけだ。
「それよりも私は鬼の手形を押す、押さないでもめているのを初めて見た」
左近が私を横目で見る。
「鬼が手形を押したがらないのは、よく聞く話だけどね」
「いや、そうでなく。茨木童子は是が非でも押す気満々なのにホムラが嫌がって」
「……」
「はぁ?」
右近は湯飲みを持ち上げたところで動きを止め、天音からは語尾の音階の上がる、間抜けな声が出た。
「結局、私の前では服を着て、おとなしくする条件で受けたがな」
アジの開きの干物は、朝食用にわざとなのか少々小ぶりだが、身が厚くおいしい。その身を箸でほぐしながら、酒呑の第二頁に手形を押すのだと、断っても駄々をこね、酒呑が止めるのも聞かず、『閻魔帳』はそこかと、懐に手を突っ込んで、黒に思い切り噛まれて涙目になった茨木童子を思い出す。
「服……?」
「うむ。ホムラの方は、聞いてもさっぱり事情がわからん」
「……言葉のままなところが頭の痛いところだ」
「ホムラの方は、そういうものだと思って諦めたほうが」
「まて、今回私悪くないだろう? 褌いっちょ……じゃない、褌と晒しだけの少女拾ってきた、ペテロが悪いと思います!」
天音と右近が困惑しているところにもってきて、左近が事実だと肯定する。そしてさらっとペテロが責任を押し付けてくるのに抗議する。実際今、茨木童子はペテロの第一頁の鬼だ。
「茨木童子のことじゃなくって、全体的にね。――あれは後で、ホムラに絡まないように、しつけとくから」
「まあ、よくやらかしているとは聞くな」
「え!? 誰に!?」
まさかのルバ参戦。
「ガラハドたちが時々飲みに来て、な。さすがに"何を"ということは口に出さんので、オレは話半分に聞いていたんだが……」
ルバが言葉を止めてチラリとこちらを見る。
「インゴットの件といい、今回のこれといい、話通りのようだな」
「私は普通に過ごしているだけだ」
憮然として言う私。決して私の行動が原因でやらかしているわけではない。
「もう一度聞こうか? 雷公や酒呑を式にしたのは?」
「夜中に脱走して、鬼の宴会で気に入られた」
「小次郎は?」
「散歩に出たペットが土産にくれた」
「そのペット、バハムートの名を付けた竜は?」
「最初にらみ合う羽目になったが、カッコイイと褒めたらなついてくれた。たぶん褒められて伸びるタイプ?」
「……」
「…………」
「………………」
右近の問いに答えてゆくと、どんどん扶桑組の三人の目が据わってじと目になってゆく。ペテロとルバは面白そうに声を出さずに笑っている。
「鬼は酒好きなのも一因か」
沈黙の中、左近がボソリと言う。
「……まあ、紅梅とのやりとりを聞く限り、無茶な要求をせず、この扶桑にしがらみのない異邦人ということで目をつけられたのだろうね。隠界のモノは、こちら側の者に怨みを持っているモノが多いし。ホムラが主ならば、力の均衡が変わることもなさそうだ。ヘタな野心家がなるより、こっちとしても良かった、かな」
「毒にも薬にもならないってことね。それにしても夜に出歩くのは危険だからやめなさいと忠告したのに。今回無事だったから良かったけど、魔法が効かない敵だっているのよ?」
右近が嘆息して告げた内容で、どうやら式たちについては解決、もしくは棚上げとなったようだ。そして夜歩きを天音に叱られる。
「いや、私は……」
「まあ、次からは式が守ってくれるでしょ。でもほどほどにしときなさいね」
こちらのお説教も終了した模様。長かったりあとを引く説教じゃないのはいいな。天音のさらりとした説教は、そっと私に対する心配も同時に感じさせる。
泊まりを重ねること、さらに一日。とうとう江都に到着!
結界があるので必要ないと言ったくせに、丑三つ時に障子の向こうに紅梅と紅葉が立っていてびっくりしたり、ちょっとした事件はあったが無事到着。鬼の影は地面に落ちなかったのに、式になると出現するのか? と聞いたら、式になるか、対象に怨みが濃く執着があると影が落ちる、と返ってきた。微妙な二択である。
掘割を流れる水、通りに面した瓦屋根の家々。その裏手を覗くと、長屋の板葺き屋根。江戸です、江戸。ファストに初めて降り立った時のイメージはテーマパークの中のヨーロッパだったが、こちらは時代劇の中の江戸の町だ。
「おお、いいね」
「ちょっとテンション上がるな」
道中の宿場町もそれなりに良かったが、規模が違うし、垢抜けている。表通りの店の藍染の日よけのれんも物珍しい。大風呂敷のような一枚布の上を軒先に、下部を路にせり出させて取り付けるサンシェードのようなのれんだ。紺地に白で染め抜かれた屋号らしき文字が粋に見える。扱っているのは陽に弱いものかな? あとで冷やかしてみよう。
黒いくせに透明感がある。一緒に挽かれた殻がホシのように散っているのも透明感を引き立てているようだ。
蕎麦である。殻ごと挽いたそば粉を使った藪蕎麦より、つるんとした更科蕎麦のほうが好きなのだが、この蕎麦はうまそうだ。もともと藪蕎麦が苦手なのは、実家の近所の爺どもに蕎麦打ちブームが来て材料だけは奢っている、下手な蕎麦を散々食わされたからだ。殻混じりで黒いくせに、なんだか白っぽくてブツブツと切れまくっていたような記憶がある。コネたりまとめたりする過程で手間取って、乾いてしまったんだろう。何故難しい十割り蕎麦を打ちたがるのか。
「蕎麦のつゆ、ここのは濃いから気をつけなさい」
店を選んだ天音が、どこか得意げに注意をしてくる。あれか、江戸っ子方式か? 助言に従って、摘んだ蕎麦の先を、ちょんとつゆにつけ手繰る。蕎麦のできる秋からはだいぶ遅いのだが、口に入れたときの香りがいい。少ししかつけていないせいもあるだろうが、出汁と醤油のつゆの香りにも負けていない。
小柱と三つ葉のかき揚げがまたうまい。さくっとね! 貝柱のかたさもちょうどいい、揚げ加減が絶妙だ! ペテロたちの食べる、湯気の上がる温かい蕎麦もうまそうだ。温かい蕎麦は、藪蕎麦と同じ理由で苦手なのだが、寒い日にはちょっと心惹かれる。
他にも、天音オススメの甘味屋、小間物屋、一膳飯屋、呉服屋、具足屋、甘味屋、刀剣屋、そして甘味屋を案内される。
「さすがにテンションがおかしい」
ペテロがツッコミを入れる頃には、ルバと左近がぐったりしていた。私? 私も甘物の上限がきました。ぐふっ。
「天音、もういいから。家に帰るよ」
「右近様……」
右近が諌める。
「失礼。家に着いたら、僕は家業を継がなければならなくてね。今までのように自由にはできなくなるんだ」
「今日が自由人最後なの?」
右近の言葉にペテロが確認を入れる。どうやら天音は、右近にギリギリまで自由を満喫させたくて引きずり回していた模様。左近が天音を止めなかったのも同じ理由だろう。
「そうなるかな?」
「じゃあ、右近が行きたいところに行ったほうがいいんじゃないか? 付き合うぞ?」
右近も甘味はあまり得意そうには見えなかったしな。
「僕はあまり店を知らないから。それにもう時間だよ。これ以上は色々勘ぐられて、君たちにまで迷惑がかかるかもしれない」
「家業とやらを知らんので無責任に言うが、そんな周りが窮屈そうな所に戻らんでもいいんじゃ」
長旅だというのに到着が一日、二日遅れただけで、一緒にいた者たちにまで、ちょっかいをかけてくる関係者がいるというのが嫌すぎる。
「窮屈は窮屈だけどね、納得もしているから」
いつものように静かに笑う右近。
「右近、左近も天音も一緒に住んでいる風じゃなかったし、着いたらお別れはわかってたけど。何か二度と会えない風な雰囲気があったね」
左近と天音が右近と行くのを見送って、ただいま湯屋体験中。暗い部屋で、もうもうと湯気が立ち込める中、むちゃくちゃ熱い湯に浸かり、のぼせかけて早々に逃げ出し、二階でゴロゴロしている。将棋や、黄表紙が置いてあったりと、ダラけてください! と言わんばかりの空間だ。
「早く言ってくれれば、三人の時間がもうちょっと取れただろうに」
「まあ、事情を知っている者たちだけだと、気を使いすぎて気詰まりだったのかもしれんな」
別れた三人の姿を思い浮かべて口にすれば、ルバも言う。
しんみりしているように見せかけて、ペテロとルバは将棋で静かに熱くなっている。先ほどの二人のセリフも盤面から目を離さないままだ。いい勝負らしいのだが、私は将棋やチェスはからっきしなので、どちらが優勢なのかよくわからん。誰か私と囲碁対戦しませんか?
道中で話に上がった通り、左近の家にお邪魔することとなっているため、ここで左近と待ち合わせている。ついでに"強力な鬼を連れている私たちの監視に、左近が人となりを見極めるためついていた"、と言えるかたちを作っておきたいと言われた。「老体どもにバレた時、うるさいからな」とは右近の言。私は江都をふらふらしたら食材探しにすぐ脱走する予定だが。
二人が相手にしてくれないので、黄表紙をパラパラとめくる。
……誰だ!? 春本の表紙付け替えたやつは!! 葛飾北斎の『蛸と海女』ですかそうですか。静かに速攻閉じて、私はエロ本には興味はありません〜という顔をして、ペテロとルバを見る。将棋に夢中だったくせに、こんな時は目が合うんですネ。
「どうしたの?」
「イイエ。なんでもないデス」




