戻された宝物(3)
鋭い宰相の視線が、アレクセイの腹の底を見透かすようだった。
「罪悪感から逃れる為ですか。…でもそのくらいでないと諸外国の中でも微妙な立ち位置のこの国を治めて行ける君主にはなり得ませんからな。いいでしょう、アレクセイ殿下。お預けいたします」
そう言って執務室の棚の中から文箱を取り出した。
それは異様な光景でもあった。
普通なら、証拠物件はこんな所に保管はしない。
それだけ事件との関係性が薄かったことと、こうなることを予見していたかのような行動だった。
目を細めて睨むようにそれを見ているアレクセイと、信じられないといった面持ちのカイト。
「屋敷から押収したものはこちらです。当人達の所持品には書簡はありませんでした」
となると、予め処分していたもの以外は全て、ということになる。
どうぞ、と宰相が読む事を促した。
封を開けると、懐かしい幼馴染の字が目に飛び込んできた。
手紙は数えられる程しかなかった。
内容はどれも手短で似たような文面。
難しい顔をしながらアレクセイはその全てに目を通した。
全部を封筒に戻すと、文箱を閉じた。
「宰相殿、これを暫く預かっても構いませんか」
「ええ。何でしたらそれは公爵令嬢にそのまま差し上げていただいても差し支えありません」
まるでアレクセイにそう言われるのを待っていたかのようだった。
「アレクセイ殿下」
礼を言って文箱を持って退室しようとした時、宰相が声をかけた。
「殿下はとても聡いお方です。しかし人間誰しも美点ばかりを持つ訳ではありません。生きる為に、生き残る為に必要な醜さも持ち合わせるものです。それ自体は悪い事ではありませんし、それは私自身も持つ事を自覚しております。ですが」
アレクセイは振り返ることもなく、黙って背に宰相の言葉を受けている。
「人の心を動かすものは人の心に他なりません。人の心を得られない君主など、足元から瓦解してゆきます」
「…」
「貴方様の御代になられた時、私共がお仕えするのが誇らしく思えるような名君に是非なっていただきたい」
それがこの文箱を用意してあった意図なのだとわかる。
アレクセイは黙って執務室を後にした。
「父上、あの手紙にはどんなことが書かれていたのですか」
王太子が出て行った後で、カイトが宰相に尋ねる。
「お前がフランツ殿下の御心を知って何になる」
「…ですが、フランツは、僕の大切な幼馴染でした」
「あれはアレクセイ殿下にお預けしたものだ。フランツ殿下の御心はディケンス公爵令嬢が知ればよい事だ」
フランツの名誉のために。
アレクセイはそう言ったのだから。
結局、フランツの遺した箱は、翌日元王妃を招聘して前国王の遺髪と共に引き渡すことになった。
早いうちに渡さないと、会う事も適わなくなってしまう修道院にでも入られてしまっては間に合わない。
恐らく箱の中身はマリールーの元に還るものだろうからと、そして最後の別れの意味も込めてマリールーをもその場に呼ぶことになった。
なのでマリールーも王城に招いてあるのだが、その理由は教えていない。
帝国の使者が置いて行った遺品の入った箱は謁見の間から国王の私室に移されていた。
個人的な感情が交錯するであろうその引き渡しに、あまり人目につく場所を選んでは気の毒だという思いがある。
王城に着いてから、マリールーは何故か重苦しい空気を感じていた。
普段なら笑顔で迎えてくれるアレクセイが、何やら難しい顔をしている。
「お招きいただいてありがとうございます。…セイ、どうしたの?」
訝しんで尋ねると、徐にアレクセイが抱きしめて来た。
「え、セイ?」
「…リル、何があっても俺と一緒に居てくれるよね」
「え、うん…」
「愛してるよ。リルも俺を愛してくれてる?」
「うん、私も…ねえ、何かあったの?どうしたのいきなり」
いつもならこんな抱擁は自室に入ってからしかしないのに、今日は入り口の人目につくホールでだ。
リルを失いたくない。
今の俺ならあいつの気持ちが痛いくらいにわかる。
もしも俺に幻滅して離れて行ってしまうような事があったら、俺もあいつと同じ事をしないって言えるだろうか。
あいつは王の息子に生まれたから、最初からリルを手に入れられた。
その幸運を妬まなかったと言えば嘘になる。
どうして俺が王弟の息子に生まれたんだろう。
リルを想う気持ちは俺だって負けていないのに。
悔しくて、悲しくて、覆ることのない現実に打ちのめされた。
けれどあいつは失敗した。
リルの心があいつから離れていく。
あいつの妃になる事は覆らなくても、心だけなら手に入れられる。
彼女の立場が悪くならないように、近付き過ぎないように彼女の痛みに寄り添う。
そしてあいつはどうにも行かなくなって、俺はとうとう彼女を手に入れた。
―――その筈だった。
今、俺はあいつが経験した絶望を味わうかもしれない。
彼女がこんな醜い俺に愛想を尽かしても自業自得だ。
それでも俺はリルを愛している。
もしも彼女が嫌だと言ったら、その手を放せるんだろうか。




