ヴァーミリオン:風向き
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ヴァーミリオンはヒロという少年を初めて目にした時、確信が持てなかったが悪意を持った男でないことだけは、直感でわかっていた。
黒い髪に黒の瞳、ウェインとは似ても似つかない容姿ではあったが、なんとなくあの時自分の傍にいた、幽霊だと自称していた男なのではないかと薄々勘づいていた。
なにせ、マナの無い体などこの世界には存在しないと言っても過言ではない。
以前自分が接していたウェインはこの男同様にマナが空っぽだったが、人が変わると同時にその体にはいつの間にかマナが満たされていた。その時点で幽霊はウェインの中から消えていたのだ。
それにヒロという男は先程も面白いことを言っていた。
自分がこの屋敷で権力を持っていると言えば、貴方のような頭のいい子がそんなことを言うわけがないだのと喚いていたことを思い出す。あれは以前、ウェインがこの屋敷に来たばかりの頃にヴァーミリオンに言い放った言葉と同じ内容だった。
俺が恐ろしくないのかと問えば、怖いと言って顔を手で隠していた。だがそれは自分が持つ力のことを言っているのではない。威嚇するような態度や顔が怖いのだと言ってのけた。
もう一度力のことを訊いてみればさすがに嫌がる素振りを見せたが、それは演技だとすぐに見抜いてしまった。大根だった。
ヴァーミリオンは人の気持ちが透けるように見えてしまうため、ヒロが嘘をつけばすぐにバレてしまうのだ。
それに奴は嫌がったかと思えばすぐに礼を言ってきた。助けてくれてありがとうと、そうヴァーミリオンに直接言ったのだ。
その時の気持ちに偽りなどなかった。あの男は心から礼を述べたのだ。
いくら街に現れる魔物を倒そうとも、住民から礼を言われることなどなかった。気味悪がり、すぐ逃げ出すというのにヒロは違った。
だからヴァーミリオンはなんとなくだが、もしや彼はあの時の幽霊なのではないかという考えにたどり着いたのだ。
月の精霊をも傍に仕えさせるなど、まず普通の人間ではありえない。自分でさえ、精霊を目にするのは初めてだった。
特別な力はあれど、精霊の存在など書物の中でしか聞いたことがない。
その精霊がわざわざマナを分け与えてまで共に行動をする男。なんの目的があって人間と精霊が一緒にいるのか、興味深くもある。
だからヴァーミリオンはヒロに話を聞くために、彼を自分専属の使用人に選んだ。
アルフレッドには不自然に思われただろうが、それも仕方のないことだと自分でも思う。部屋に閉じこもっていたはずのヴァーミリオンが、外に出たと思えば突拍子もないことを言ってのけたのだ。しかも反論は許さないとばかりに無理に言いくるめた。
だがそうでもしなければヒロという男は、またすぐにどこかへ消えてしまうのではないかと考えてしまったのだ。
あの日、自分が目を離した隙に突然ウェインの中から消えてしまったように。それこそ幽霊のように、いつの間にかその存在自体が手の届かない場所に向かってしまうのではないかと。
怖かった。心を許した相手が自分の前から去っていくのが、とても怖かった。
ヴァーミリオンの中から、なにか大切なものが抜け落ちてしまったかのように、虚無感に襲われた。
全てがどうでもよくなって、強く胸が締め付けられて、でも自分一人ではどうにもできなくて。人前で泣くこともできず、項垂れることしかできず、心の中でめそめそと涙を流した。
それでも落ちるところまで落ちることができなかったのは、ヴァーミリオンを叱咤する存在がいたからだ。
シアンとガウェインが、放っておいてはくれなかった。シアンは常に様子を窺い、ガウェインはなんだかんだ言いつつもヴァーミリオンをけしかけてきた。
ガウェインは仕事なのか気づくと屋敷からいなくなっていたが、シアンだけは決して部屋には踏み込まずに、だが外からも声をかけてくれたりと、自分を気遣っていてくれた。
ウェインのことも抱えながらヴァーミリオンをも気遣い、今思えば彼女には迷惑ばかりかけていたことにようやく気づく。
落胆はしていたが、なんとか屋敷だけは守らねばと思い、せめて自分に出来ることをと見回りをしていたが、まさかアルフレッドがあの男を招き入れていたとは思いもしなかった。
禍々しい魔力に侵食され、その闇に体を蝕まれていた男。一体どこで、誰に、なんの目的でこのような術を施されたのか。
闇の加護を受けた者が傍にいたのだろうか、だが、このような呪術は実際には初めて目にした。
書物で過去にそのような呪詛を他人に施し、だがなんらかの方法で跳ね返され自滅したというマヌケな記事ならば覚えていたが。未だにこんな古臭い方法で誰かを呪おうとする者がいたなど、そちらのほうが驚きだった。
ヴァーミリオンが炎を使い術を跳ね返したことにより、呪いをかけた本人が今頃どうなっているかも興味深いが、だがそれを確かめる術もない。
ヒロに関しては隠していることをすべて吐かせた後、どう対応するべきか。
アルフレッドには専属の使用人にすると言った以上、そのまま放置しておくわけにもいかない。
彼には彼なりに、自分のために働いてもらわねばならない。それがきっと、今後のヒロのためにもなるはずだから。
ヴァーミリオンはそれと同時に、頭を悩ませるべき問題がもう一つあった。それはフォルトゥナ学園への入学に関する話だった。
入試に関する通知はまだ届いていないが、合格は確かなはずだ。
ウェインの合否はわからないが、自分と一緒に受けているのだから落第するとしたら救いようがない程散々な結果を引き起こしたに違いないとヴァーミリオンは思う。
そのウェインもすでに実家に帰り、今となっては騎士としての自覚も持ち合わせていないのだから、合格したとしても学園へ通うのはもう無理だろう。その辺りの手続きや理由も考えておかなければならないとなると、頭が痛くなりそうだ。自分一人でフォルトゥナ学園へ通うなど、本来ならば受け入れたくもない話なのだが。
だが歳も十三を迎えたのだ。逆に入学しなければ、まわりになんと言われるかわからない。
自分のせいで、特に父親であるアーレスの悪評を立てる者が増えるのは何としても避けたいところだ。
次から次へと問題ばかりが起こり、ヴァーミリオンも精神的に疲れていた。零れるのは溜息ばかりだった。
また部屋へと閉じこもり、全てに背を向けたくなる。逃げるのは簡単だが、こんなところで挫けてはいられない。ヒロという存在を見つけた以上、まだ自分の中に微かな希望はある。下を向くのは、それからでもいいんじゃないだろうか。
ヴァーミリオンは深く溜息を吐き出した後、もう一度大きく息を吸い込んだ。そして前を見つめ、歩き出す。
まずはヒロに話を聞いてから、それからだと一人頷いた。




