恩を返すなら屋敷の主人に返すべき?
ヴァーミリオンの目は俺を見つめたまま、部屋を訪れた途端、執事さんを責め立て始める。
なんだが見せしめるような言い方に、執事さんは何も悪くないのにそこまで怒ることないじゃないか、と理不尽な怒りに呆れてしまう。
まぁさっきもあいつに言われたように、確かに俺が悪人で、この屋敷の中で……特にヴァーミリオンに対して悪意を持っていたらどうするんだって言われたらそれまでなんだけどさ。
執事さんは見るからに恐縮してしまっている。へこへこと、それはもうヴァーミリオンには頭が上がらないといったようで、俺のほうが申し訳ない気分になっていた。
俺を助けたばかりに主人に怒られるだなんて、どうにも居た堪れない。むしろ俺に対する当てつけなんじゃないかと思えるぐらいだ。
さすがに傍観しているわけにもいかず、横から口を出してしまった。
「……それ、執事さんを怒ることはないと思います。すぐに俺が出て行けばいいだけの話だし、執事さんは善意で俺を助けてくれただけですから。助けてもらった恩返しがしたくてあそこにいただけだし、悪いことをしようだなんて、本当に考えてもいません」
口だけは生意気だったかもしれないけどな、と内心、付け足しておく。
俺はヴァーミリオンを見て、これ以上執事さんを責めてくれるなよと訴えた。奴は俺に探るような目を向けて、だけど真正面から堂々と睨んでいた。
うーん、この隠そうともしない不信感よ。いっそ清々しく感じる程だ。
信用しないって言ってたし、今も全開で怪しんでいるんだろうな。
それに演技ではあるけど、ヴァーミリオンの力を恐ろしいと本人を目の前にして言ってしまったんだ。傷つけたことに変わりはないし、確実に距離を置かれることになっただろう。
あぁ、そう考えたらまた胸がチクチクしてきた……。胃が痛くなりそうだよ、本当に。
ヴァーミリオンは鼻を鳴らすと、俺が腰を落ち着かせているベッドにまでズカズカと遠慮なく近づいてきた。
「……あの? まだ、なにか」
「恩返し? 恩返しだと? ならばそれはお前を受け入れたこの屋敷の主人に返すべきものだとは思わないか?」
「は、はい? はいぃ!?」
「お前の名前を教えろ。直接、お前の口から聞かせてくれ。いいか、偽名など使えば俺にはすぐにわかるからな。困ったからといって他者に助けを求めるような真似はするなよ」
ヴァーミリオンは俺を見下ろすと、その心を見透かそうとしているのか目を細めた。
見下ろすっていうか、見下されてるよな、この感じ……。バカにされてるの、その雰囲気で丸分かりといいますか。
そんなところにまで警戒しているのかと、俺は口をあんぐりと開けたままヴァーミリオンを見てやった。
「……偽名って。そんな嘘までつくわけないだろ……どんだけ怪しんでるのよ。さすがに警戒しすぎだし、後々バレるような嘘はつきません」
だけどヴァーミリオンといえば訝しむばかりだ。腕を組み、仁王立ちして、ふんぞり返って俺を見下ろしている。
自然と重苦しい溜息が漏れ、ガックリと肩を落とした。
本当のこと言ったって、これじゃ信じてもらえないんじゃないか……? なに言ったって嘘をついてるとか言われそうなんですけど。
「ヒロです。ヒロ、エグチ。どう? 嘘をついているように見える?」
「いや、今は嘘をついていない。だが、これから先はわからないだろう。じい、この男をどうしようとしていた。こいつを、どう使おうと思っていた? 正直に話してみろ」
ヴァーミリオンは肩越しに執事さんを振り返った。
「使おうと思っていたなどと……。私は、ヒロさんにこの屋敷の使用人となり、共に働けるならばと思っておりました。何となくではありますが、彼にはこの屋敷が合っているように感じておりましたので。いずれは、ヴァーミリオン様にもご紹介するつもりだったのですよ」
執事さんは困ったような笑みを浮かべながら、俺のほうを見て答えを返してくれた。
それを聞いたヴァーミリオンはまたこっちに視線を戻すと、高飛車な態度で言い放つ。
「そういうことらしい。だが屋敷の主人である俺はお前をまだ完全に信用してはいない。これがどういう意味か、わかるか?」
「……だから、なに?」
「お前はしばらく俺に仕えていろ。俺専属に、だ。それで信用するに値する男かどうか、判断する」
お茶を飲んでいたら確実にその場で吹き出していたと思う。
何を言い出すのかと思えば、またこの少年は突拍子もないことを言い出し始めたぞ。
ヴァーミリオン専属の使用人になれ、だと? 何をどうしたらそんな答えに辿り着いてしまうのか、俺には到底理解ができなかった。いきなりすぎてド肝を抜かれたというか、どう考えても頭が追いついていかないというか……。
それは執事さんも同じだったらしく、驚きを隠せない様子でヴァーミリオンのことを凝視していた。
「ヴァーミリオン様、本気ですか……? 一体、どうされたのですか?」
「俺がなにかおかしなことを言ったか、じい」
「いえ、かなり驚いたといいますか、貴方様が今までそんなことを口にした記憶がございませんでしたので、軽く衝撃を受けました。ですが彼はまだ使用人としての仕事を身につけてはおりませんので、いきなりヴァーミリオン様の傍に仕えるのは荷が重すぎるかと思います。私達が一つずつしっかりと作業内容を指導していきますので、貴方に仕えるのはそれからでも遅くないのではありませんか? 彼のためにも、少しばかり時間を頂きたいと思うのですが……」
「いい、何をしてもらうかは俺が直接教える」
「え、ち、ちょ、ちょ……ちょ、ま……! 俺を置いて勝手に話を進めるの、やめてくれます!?」
「なんだ、なにか文句でもあるのか。使用人の分際で俺に口出しをするつもりか」
「ないけど! ないですけど……!!」
ヴァーミリオンといえばすでに人の意見を聞く気がないようで、ぷい、と横を向いてしまった。
俺と執事さんは困ったように顔を合わせ、どうしたものかと互いに頭を悩ませる。
だけどこの屋敷の主人は今、目の前にいるこの少年なんだ。何を言おうと、ヴァーミリオンが主人なのである。
主人が決めたことに俺ならまだしも、長年仕えてきている執事さんが口出しできるはずもなく。俺はいい加減にしてほしいというように重苦しい溜息を吐き出したのだった。
『ふむふむ。彼は自分から歩み寄ってきてくれたようですね。やはり私の読みは外れていなかったみたいです』
背中に隠れていたルナがぽそりと呟く。
これは歩み寄ってきたといってもいいんだろうか、と俺は首を傾げた。ただ俺のことを警戒しているだけであって、なにか悪さをしないように自分の傍に置いて監視しておきたいという意味にも感じ取れてしまい、ルナの言うようには汲み取れない。
だって、あの態度だからな。仲良くしようだなんて思えないし、全く見えないんですけど。
ルナの声が聞こえたんだろうか、ヴァーミリオンは眉間に深く皺を刻んでいた。
『あら、余計なことは言わない方がいいのかしら……。照れ隠しだとは思いますが、これ以上なにか言うと怒られてしまいそうですね。今にも爆発しそうな雰囲気です』
「……ルナ、そういうところだと思うぞ」
『はい? なにがですか?』
「えーと、うん……まぁ、気づいてないならいいや。ごめん、気にしないでくれ」
やり取りを聞いているのか、横で睨まれているような気もするが敢えて見ない振りをする。
隙を見て俺は執事さんに目配せをした。ここは仕方ないと、訴えかけた。むしろ逆に気遣わせてしまい、こちらのほうが心苦しくて謝りたくなります。
それにどうせ執事さんが抵抗したところでヴァーミリオンの考えがすぐに変わるわけでもないんだし。
どのみちこの屋敷に滞在する期間は怪我が治るまでと、俺の中で決めているんだ。その時が来たら、俺は戦いに赴かなければいけない。剣を握らなきゃいけなくなる。




