マナの減った体
だってそれぐらいしか言い訳が思いつかない……。
何なら箒も、後で自分がきちんと取りに行くと言っておけばいいんじゃないだろうか。
立ち上がれば全力で走ったせいか足が重い。よろよろと振らつきながら、俺は部屋を目指して歩いていく。
やっぱり何事にも限度ってもんがあると思うんだ。今日の俺はすこし動きすぎてしまったんだと、そう自分に言い聞かせる。
余計な善意を見せず、ウェインと別れた後におとなしく部屋に戻っていれば、こんなことにはならなかったんだ。
今後は行動を起こしつつ、部屋で静かにしていればヴァーミリオンと顔を合わせることもない。礼も言えた、もう大丈夫だ。後はアディ達の件が片付いた後に、だ。
「……あいつが追ってくる前に戻ろう、そうしよう」
なんとも言えない空気が俺だけの周囲を漂っている中、背を曲げながら進み出す。これでまた鉢合わせになんてなったら、とんでもないことになるのは決まってる。
だけどヴァーミリオンが早々に諦めるわけがないことに気づくのは、それからすぐのことだった。
俺の考えが、甘かった。
部屋に戻れば、ちょうどルナが寝返りをうつところだった。
薄く目を開けながら、でもまだ起きたくはないと毛布で顔を隠している。精霊も人間と似たようなところがあるんだと、少し心が和んだ。小動物みたいで可愛いなぁ、なんて思いながら眺めていると、ルナは毛布の下でもぞもぞと体を丸めているようだった。
ようやく自分のテリトリーに戻ってこれたんだと息を吐き出しながら、俺はベッドに腰を落ち着かせた。
じわりと背に汗が滲んでいるのがわかる。
このままでいると風邪をひいたりしそうだなぁ、なんて考えながら天井を仰いだ。
こんな時は風呂に入って汗を流し、さっぱりしたいもんだ……。この傷口が完全に塞がらない限りは、それも難しいのかもしれないけど。
あの檜で作られたような風呂……と懐かしくなる。
まぁ客人の分際でなに他人様の家の風呂まで要求しようとしてんだって話なんだけど。欲は胸の奥にしまいこんでおく。
さすがにそれを頼み込むのは図々しいというか、おこがましいと自分でも思うので、せめてタオルで体だけは拭いてしまいたいところだった。あとで執事さんに聞いてみよう。欲張れば、着替えも……。
体が冷えてきたのか身震いしそうになっていると、いつの間にか毛布から顔を覗かせたらしいルナの重い瞼が薄らと開いていて、こっちを見ていた。
『……おはようございます、ヒロさん。ふわぁ……あら、もう夕方……?』
「おはよう、ルナ。あはは、大きい欠伸だね」
『よく寝ました。これ以上寝てしまうと、さすがにいつまで眠ることになるのかわからないので、そろそろ起きないと…………あら、ヒロさん?』
目敏くなにかに気づいたらしいルナが、俺の顔を下から覗き込んでくる。
「マナが、減っていますね。少しの間なら私が傍にいなくとも平気だと思ったんですが。なにか、ありました? マナ不足で体を動かすのも辛そうに見えてしまうのですが」
なにか、とはどこを指しているんだろうと俺は考えてしまった。
頭を締めつける痛みと一緒に聞こえてきた声のことを指しているんだろうか、それともヴァーミリオンに会ってしまい、バタバタと走って逃げてきたことを指しているのか。……いや、それとも両方、なのか。頭を掻きながら、うーんと小さく唸る。
どう答えたらいいかわからず悩んでいると、ルナが大きく体を伸ばした。
「悩む程のことがあったのなら、その両方を教えてくれてもいいんですよ? 言いにくいのであれば、さすがに無理に聞いたりはしませんけど。でも否定しないということは、なにかあったのは確実なんですね」
「……まぁ、色々と。聞いてくれる?」
「もちろんです。今更なにを遠慮する必要があるんですか、ここまで共に逃げてきた仲でしょう? それに、今後も共に立ち向かう仲です。なので言葉を濁す必要もないのですよ? どーん、と。私の胸を貸りる勢いで、どうぞ!」
ルナの有難い言葉に、じーんと胸を震わせながら目を輝かせてしまう。ちょっと使い方が間違っているような言い回しもあるけれど、細かい所は気にしないでおこう。
そうだ、俺達は仲間なんだ。そんなことで話すべきか悩む関係でもないんだ。これから互いを支え合うべきパートナーとなるのだから、遠慮なんて無用。
俺は顔を顰めて、ルナを見つめた。傍から見たら、今にも泣き出しそうな表情をしているんじゃないだろうか。
ベッドの上で体育座りをして、膝の上に顔を隠した。
「……あいつに会っちゃったんだ」
ぽそりと呟いた言葉に、ルナは頷きながら続きを待ってくれた。でもきっとこれだけじゃ俺がなにを言いたいのか、彼女には上手く伝わらない。濁したところで意味がない。
久しぶりにあいつと会えたような気恥ずかしさと、だけどそれを勝る罪悪感からなのか、俺は堪らず膝に額をぐりぐりと押しつけてしまった。頭の中がぐちゃぐちゃになりそうで、押し迫ってくる感情からどう逃げればいいのか、わからなくなっていた。
「ルナの言っていた紅い少年と、さっき会っちゃったんだよ。うん、それだけなんだけど。それで逃げてきちゃったんだけど」
『どうして逃げる必要があるんですか? 先程はありがとうございましたと伝えたら、それでいいんじゃないんですか? なぜそんなマナを切らす程、必死になって……』
「いや、一応お礼は言ったよ! 言ったんだよ? でもこっちにも色々と複雑な事情があるというか、なんというか……っ。とりあえず突き放そうとして、だけど失敗して逃げてきたんだ! 巻き込みたくないっていうか、なんて言ったらいいんだろ……えーと……」
ルナはやっぱり意味がわからないといったように首を傾げていた。
事情を知らない人が聞いたなら、今の説明じゃどうして逃げたのか、なぜ突き放そうとしたのか、根本的な部分がさっぱり理解できないだろう。俺だって、自分でもなにを言おうとしてるのか全然まとまってない。
ルナにはきっと、一から説明しなければ俺達の事情はわからないだろう。上手く端折って話せればいいんだけど、どうしたらいいものかと頭を悩ませる。断片的に、簡潔に言うしかないだろうな……。
「……俺とあいつは、顔見知りなんだ。その、前に俺が言ったこと、覚えてるかな? 騎士の誓いを交わした奴がいるって。いつかは会いにいかなくちゃいけないから、すべて片付けた後にって」
なんとなく気まずくて、顔を上げ、そのまま天井を仰ぐ。
ルナは覚えていてくれたのか、両手を合わせて関心したように声を上げた。俺は苦笑いしつつ、頬をかく。
『あぁ、言っていましたね! もしや、彼がその騎士の誓いを交わした相手だったのですか?』
「……うん、そうなんだけど。そう、なんですけど……」
『ははぁ、なるほど……。だからあの子供はヒロさんのことをどことなく意味深な目で見つめていたのかもしれませんね。ヒロさんにマナがないとわかった瞬間、まさか、というような顔をしていたので。口には出しませんでしたが、気にはしていました。やはり、二人には接点があったのですね……』
俺の知らない内にそんなことがあったのかとルナに視線を移すと、彼女もまた微笑んでみせた。
なんだろう、その嫌な予感を連想させるような笑みは。ルナはふわふわと宙を浮かんでみせると、俺の目の前に降り立った。
……なんだか俺にとってはあまり良くないことを考えていそうな顔だと、正直思ってしまった。
『あの少年の力はとても心強いです。力を貸してもらえるのなら、親子と対峙する時に頼もしい味方となってくれることでしょう。ヒロさんの事情を話してみたらよいのではないですか? 騎士の誓いを交わした間柄だというならば、尚更』




