巻き込みたくないと決めたなら
呪いの件も含め、きちんと「ありがとう」を伝えなければいけない。
俺は咳払いをしてヴァーミリオンに向き合った。
「……あの、さ。そんなことよりもまずさ、俺、君に言わなきゃいけないことがあって。それでその、えーと」
「そんなこと? そんなこととはなんだ。俺にとっては重要な問題だというのに、お前はそれを軽視した上で一蹴しようというのか」
「いや、そういうわけじゃないんだけど! そういうわけじゃないんだけどさ! 別に怖いか怖くないか聞かれたら、そりゃ当然怖いに決まってるだろ! ほら、なんでそう威嚇するような顔してるの、君!」
「……俺が言いたいのはそういうことじゃない。俺はお前に普通の人間が持ち合わせていない奇妙な力で呪いを消し去ったんだ。それが恐ろしくはないのかと聞いている」
「恐ろしい!? 恐ろしいわけないだろ、そんなの――――」
だけどそう言いかけて、口を噤んだ。
ヴァーミリオンの言いたいことを汲み取って、そのまま恐ろしくないと肯定してしまっていいものかと考えた。恐ろしいだなんて、普段なら考えるはずもないんだけど。
でもルナとも接しているヴァーミリオンなら、マナのない俺の体のことにも気づいてるんじゃないだろうか。少しでもウェインとの接点を勘づかれるような言動は避けたほうがいいんじゃないかと考えを巡らせる。彼は鋭いから、すぐに怪しまれてしまいそうだ。
巻き込みたくないと決めたのなら、ここは――――。
俺は言いかけた言葉を呑み込み、しっかりしろと自分に叱咤した。
今は自分から突き放さなければいけないところなんだと、痛む良心に蓋をして隠す。ヴァーミリオンの見透かすような眼差しが怖かった。
怖いからといって、以前のような親しい態度は取れない。
ごめん、と心の中で謝って、頭を下げた。
酷いことをしようとしている自分に滅入ってしまいそうだった。散々彼を傷つけたくせに今更なにを、って感じだけどな。
「そ、ういえば……そうなんだよな。普通の人じゃ、あんな呪いを解くことなんてできないんだもんな……。それを君は、当然のようにしてしまったんだ……」
小さく呟けば、ヴァーミリオンの眉が顰められる。その顔が痛ましくて、見ているのも辛くて、俺はすぐに視線を下に向けた。ずるいって自分でもわかっているけど、それでも見ていられなかったんだ。
「怖い、な。そんな力を持っているなんて、本来はありえないんだ……。なんか、嫌だな……そういうの……」
「…………」
「で、でも! そんなおかしな力を持っていたんだとしてもさ! それでも助けてもらったんだから、礼だけは言っておく! ありがとう! 助けてくれてありがとう!!」
そこまで言って、首を傾げる。
……あれ? これでいいんだっけ?
ヴァーミリオンの目が、今度は驚きで見開いていくようだ。
俺も俺で言ってから、いやいや違うだろ! と自分に対し突っ込んだ。違う、思い描いていたこととだいぶ違うことを言っている。
焦りに焦り、手に汗を握ってしまう。突き放さなければいけない時に微妙なフォローを入れてしまい、この先どうするんだと頭を掻きむしりたくなった。
ここは恐怖に満ちた表情を浮かべて、嫌だ気持ち悪いと叫び、背を向けるところだったんだ。失敗した。
「……」
ヴァーミリオンも何も言わず、おかしな空気がこの辺りを漂っている。
気まずい。気まずすぎる!
俺もしばらく俯いていたけど、さすがに居た堪れなくなり、すぐに踵を返して屋敷に向かい歩き始めた。
こんな時は逃げるに限るという答えに辿り着いたのだった。下手なことを突っ込まれる前に奴から離れなければならない。
「おい、貴様。どこへ行く! まだ話は終わっていないぞ!」
「傷が疼き始め具合が悪くなったので、部屋に帰ります。おとなしく寝ます。すみませんがもう少しお世話になります、さようなら」
「あきらかに逃げようとしているだけだろう! 待て、俺が許さん! そこで止まれ!」
逃げる俺を追うようにして、ヴァーミリオンが後をくっついてくる。
勘弁してください、見逃してください。
そう願いつつ部屋に戻ろうとすると、ヴァーミリオンに肩を掴まれ阻止されてしまった。
意外にも強く後ろに引っ張られたのでバランスを崩し、俺もまた大袈裟に演技を始める。傷口が痛むというように腹を押さえ、腰を屈めた。
ヴァーミリオンを傷つけるように、突き放すように、でも動揺を悟られないように。……だいぶ、わざとらしいけどな。
「やめてください、怪我人に暴力を振るわないでください、放してください! 今度はその力で俺を脅そうとしているんですか!? 怖いです、誰かっ、誰かー! ヴァーミリオン様が俺を殴ろうとしています、誰かー!」
声を上げれば今度は盛大に舌打ちをされる。
おそらく相当苛立っているであろうヴァーミリオンの顔には今頃青筋が立っているに違いない。それこそ鬼のような顔をしているだろう。恐ろしくて、見れたものじゃないけど。
俺が大きな声を上げたことに少しばかり怯んだのか、肩を掴むヴァーミリオンの手が緩んだ。
その隙に俺は屋敷に向かって、走り出す。とにかく全力疾走で、スタートを切る。
まるで怪我をしている人とは思えないような勢いで体を動かしているけれど、後で傷口が悪化しなきゃいいなぁ……。
ウェインでいた時よりも体が軽いので、以前よりは速く動ける。これならヴァーミリオンもすぐに俺に追いつくことはできないだろう。といっても、後ろを振り返る余裕なんて全くないんだけど。
それでも、今の異変であいつに怪しまれることになったのは変わりない。むしろ警戒されるべき存在になってしまったんじゃないだろうか。
このままあの症状を放置しているのは良くない。絶対に、よろしくない。部屋に戻った後、ルナに相談してみよう。そうしよう。
「失礼しました! 怪我が治り次第、ここを出て行くことに変わりはありませんので! 短い間ではありますが、何卒よろしくお願いしますー! 揉め事は起こしません、たぶん!」
「……待てと言っているのがわからないのか、貴様! どう見てもお前は……、お前の言っていることは本心とはちが」
なにか言いかけているけど、そんなことを気にしている余裕はない。
俺はとにかく走った。ヴァーミリオンの手から逃れるように、息を切らしながら。
バタバタと騒がしく屋敷の中へ戻ると、ドアを背にして浅く呼吸を繰り返す。ここまで来れば、あいつだってもう何も言えなくなるだろう。腹に手を当てながら、俺はその場に座り込んだ。
だけどその手に何も握られていないことにようやく今気づいて、ショックを受けてしまう。
やばい。どうしよう。裏庭に執事さんから手渡されたはずの箒を忘れてきてしまった、なんて。
眉根を顰め、自分の手を睨みつけた。
そういえばさっきの異様な頭痛に襲われた時、箒を手放してしまったんだった。なんで今頃気づいたんだ、俺ー! どんなドジを踏んでるんだ!
すぐに戻るべきかと考える。だけどここで戻れば、そこにはまだヴァーミリオンがいるかもしれない。
少し隙間を開けて、向こうを覗いて見てみるか? いやいやいやいや、そんな怪しさ全開な行動、こんなところでしてられない。他の人に見つかったら不審に思われる。
でもこのまま放っておけば後で執事さんに箒をどうしたのか聞かれた時、おかしく思われるかもしれない。頭を押さえた。
「……だけど今の俺には、あそこに戻る勇気がない。そんな度胸もない。非常に情けない話ではありますが」
そろそろ夕食の準備も整う頃だ。執事さんには体調が悪くなって、そのまま戻ってきてしまったと話しておけばいいだろうか。




