仁王立ちする紅い少年
「……いや、一応、一声はあったのか」
その後すぐさま殴られたわけなんだけど。
しかしなんだ、この扱い。一体誰だっていうんだ、この屋敷に気軽に俺の頭を殴る無礼な奴なんていないはずだけど…………いない、はずだけど……?
何かが頭の中で引っかかり、頬を引き攣らせた。
ぎぎぎ、と油の切れたブリキの人形のように後ろを振り返る。
いや、意外にも無礼な奴はいるかもしれない。一人だけ、そんなことを躊躇なく実行してしまう奴が、いないこともない。
嫌な予感しかしない。でも、振り返らないわけにはいかなかった。
恐る恐る見上げて、それから完全に息を止める。
そこには炎のような紅い少年が仁王立ちして、俺のことを見下ろしていた。どこかで見覚えのありすぎる少年は、訝しむような目を隠そうともせずに俺に対し、向けていた。
見下されている……っ、完全に敵意を向けられている……! これはまずい、まずいぞー!
「ひ……っ」
「またお前か……。こんなところで何をしている。まさかこの屋敷内で魔を放つための詮索でもしているのではないだろうな。外から来た者がここで悪事を働こうとも、俺がいる限りは無駄な骨折りになるだけだぞ。おかしな真似はしないほうがいい」
「魔、を放つって……。お、俺、そんなこと考えてないぞ!」
「どうだかな。お前がこの屋敷に運ばれてきてから、なにか良くないモノを薄々感じている。あの時浄化したつもりだが、まさかまだその中に隠し持っているのではないだろうな」
そんなもの、持っていません……! と声を大きくして言ってやりたいけど、実際自分の体に異変を感じていたところだったので、何も言い返せない。
ぐ、と言葉を詰まらせているのを見ると、ヴァーミリオンはすぐに鼻で笑った。
「……例え精霊が傍にいようと、俺はまだお前を信用してはいない。何か企んでいるのなら、全力で阻止する。一体、受けた呪いの他にどんなモノを潜ませているのだろうな」
潜ませている? ……俺が!?
いかにも俺が悪いことを企てているような言い草に、腹の中がムッとしてしまう。確かに体調も悪いし、女の人の声が頭に響いていたことも事実だけど、俺自身はそんなこと考えてもいないし、完全な濡れ衣だ。お前の勘違いだ。
さすがに言われっぱなしはまずいと、俺も負けじと言い返してやる。
「あのさ……、俺、この屋敷の執事さんに助けてもらって、恩を感じてるんだ。そんな人がいるところで悪事を働こうだなんて、思うわけがないだろ? そのいかにも俺が悪役みたいな回りくどい言い方、やめてくれないかな!」
「事実だろう。現にお前は俺がここに来るまで苦しんでいたのではないか。中で何かが暴れ出そうとしているのかもしれん。……それを俺が気づかずに見逃していただなんて、信じ難い話だがな」
「そっ、そうだ! ルナに聞いたんだ、俺が受けていた呪いを消してくれたのが紅い少年だったって! それはきっと、君のことだろ!? もしまだなにか俺の中に潜んでいるのだとしたら、結局は君の不手際じゃないか!」
「……なんだと?」
「そうだよ、完全に消すことができなかった君の治療ミスだ! だったら俺は悪くないな、うん、全然悪くない! 俺は被害者なんだからな!」
自分のことはさて棚に置き、相手の痛いところをここぞとばかりに突いてやる。言いながら反論を考えているんだけど、ヴァーミリオンがぽろりと漏らさなければ気づけなかった問題だ。
会ったことによる動揺を悟られないようにしなければと、内心ハラハラしてしまう。
「……貴様、名はヒロといったか」
ヴァーミリオンの凄みが一層増したような気がした。
なんで俺の名前を、と思ったけど、ルナの存在にも気がついているようだったし、もしかすると彼女から直接聞いたのかもしれない。
その凄みに尻込みし始めた俺は情けなくもじりじりと後退していく。
「俺を誰だと思っている……。今この屋敷で一番の権力を持つのは誰なのか、理解しているつもりか?」
「アーレス・ゲインズ・フォルトゥナ卿の次男である、ヴァーミリオン様であります! 予想ではありますが、貴方がそうなんだと思います!」
ビシッと姿勢を正し、大きく声を上げる。そしてそのまま言葉を続ける。
「でも、ガッカリであります! 貴方のような頭のいい子がそんなことを言うわけがないと思っていたのに、お父さんの権力をそこで使おうとしているのが心の底から非常に残念であります!」
「なんだ、その喋り方は!」
「なんとなく! なんとなく雰囲気に呑まれただけであります!」
あ、なんだか以前もやり取りしたことがあるような会話の内容だと懐かしく感じた。つい口から飛び出してしまったけど、変に思われなかっただろうか。
こんなやり取りをしているんだし、おそらく彼の耳には届いていないし、響いてもいないんだろうけど。
ドキドキと緊張しながら、それよりも俺は早くこの場から逃げ出したかった。顔を合わせたくない人に限って会ってしまうのは、これは一体どういった仕組みなんだろうね。
目を合わせるのも気まずくて、俺はヴァーミリオンの鼻の辺りを見ていた。
面接の練習で聞いたことがあるんだよ、面接官と目を合わせるのは緊張するし気まずいから相手の鼻かネクタイの結び目を見ろって。実際相手にはどう映っているのかわからないけれど、俺も実践してみるしかなかった。
そのまま後退しつつ、上手くヴァーミリオンと距離をとっていく。
「おかしなことを言う男だ……。お前、俺が恐ろしくないのか?」
だけど距離を離した分だけヴァーミリオンも近づいてくる。
やめろよ、察してくれよ、恐ろしいはずがないけれど、今の俺は敢えて怖がる素振りを見せた方がいいんだろうか、どうなのか。
考えていると、ヴァーミリオンがいつの間にか剣を構えていた。
「答えられないのか。どうなんだ」
「どうって……。そ、その前にまず、いま手に握ってる物騒な物をしまえよ! 暴力反対! ケンカ反対! まさかさっきもそれで殴ったんじゃないだろうな!? いくら鞘から抜いてないとはいえ、そんな物で殴られたら頭蓋骨が砕けちまうよ!」
「先程は砕けなかっただろう。それが答えだ。大丈夫、人間そう脆くはつくられていない」
ということは本当にそれで殴ったってことなんですね。察しました。
だけどヴァーミリオンといえば悪気などさっぱり持ち合わせていないのか、平然と言ってのける。誰にでもそうなのかと、違う意味で頭が痛くなった。
「それで、どうなんだ。お前は俺が怖くないのか。一体どちらだ」
そしてまた同じ質問を繰り返す。
「こ……、怖いです! めちゃくちゃ怖いです! このまま殺されるんじゃないかと今もビクビクしています!」
「……なに?」
「ほら、その高圧的な態度! 今にも飛びかかってきそうな顔をして、恐ろしいなんてもんじゃない! こわいなぁ、こわいよー!」
怯える振りをして、俺はまた更に後退していく。
少々わざとらしいかと自分でも思ってしまうけれど、これぐらいオーバーにやらなければヴァーミリオンは突き放せないし、離れていかないはずだ。良心も痛むけれど、ここは心を鬼にせねば。
ヴァーミリオンといえば、ただ俺のことをじっと見ていた。
何を見ているのかはわからないが、とりあえず恐ろしいとでもいうように顔は両手で隠しておく。
「……」
でも不思議なことに、ヴァーミリオンに殴られた瞬間から頭の締めつけは消えていた。おかしな声も聞こえなくなったし、さっきまでの体調不良は何だったんだと思えるぐらいの回復っぷりだった。
あいつに殴られて、取り憑いていたものがどこかにぶっ飛んでいってしまったんじゃないだろうか。
また助けられたんだろうなと肩を落としそうになるが、こんなところで落ち込んではいられない。
俺はヤツに、お礼を言わなければならないのだ。




