雲が浮かぶ空を眺めながら
外に顔を覗かせてみれば、以前騎士の誓いを交わした時に広がっていたような夜空と夕焼け空が、頭の上で綺麗に真っ二つに別れていて。あの日と同じ空だと、妙に安心してしまった。
やっぱりどうしても、その光景に目を奪われる。不安で堪らなかった俺の心を、空が落ち着かせてくれる。
またここで、こうして見上げることができて、感動に近い想いが込み上げてきてしまった。
空を見上げつつ、地面に落ちている葉っぱを箒で掃くことは忘れない。
外は暖かいけれど、葉は茶色に染まり、地面に落ちている数も多くなってきている。この世界でも、季節が秋に移り変わりつつあるんだろうか。これから紅葉なんかも見れたりするのかな……?
だけどやっぱり空を見上げながら、どうしようもなく深い溜息を無意識に腹の底から吐き出してしまっていた。
これから先への見えない不安がありすぎて、苦しいせいかもしれない。考えないようにしても、つい考えてしまうんだ。
アディの母親を止めたとして、それから先に待ち受ける俺の運命だとか。
ここに縛りつけるための術が施されているだなんてルナも言っていたし、簡単に解いてくれるならいいけど拒否された場合はその方法を探さなくちゃいけないわけだしな。
ヴァーミリオンにもなんとか謝らなきゃいけないんだよな……。誓いを交わしたのに、こんなことになって。
空が完全に闇に染まる頃まで、ここで物思いに耽っていようか。どうせ今はこの体で無茶など出来やしないし、ルナも眠っているだろうし。
箒の柄のてっぺんに両手を置いて、その上に顎を乗せて空を眺めることにする。
微かに風が吹いていて、ゆっくりと雲が頭上を流れている。雲が浮かんでいる空を眺めていると、そのまま時間を忘れてしまいそうでぼんやりとしてしまう。
ウェインはそろそろ家に着いた頃だろうか。この世界には電話などの伝達手段がないために、すぐに相手と連絡を取る方法が見つからない。
ヴァーミリオンのように自分の力を使って瞬間移動なる術を持ち合わせているなら話は別だけど、普通の人にはまず不可能なやり方だ。そういう場合、ここに住んでいる人達はどうやって相手の状況を聞くんだろうな。
せめてメールなんかが使えれば便利なんだろうけど、スマホやパソコンがないこの世界ではそれこそ無理な話だ。
手紙を送って、数日後に受け取って……という感じか?
「地球って便利なところだったんだよなぁ……。当たり前に使えていた物が使えないって、相当不便だよな。いや、不便すぎるだろ、うん」
魔術を使って瞬間的に手紙を届ける方法がわかれば有効活用できるんじゃないかと考えつつ、俺はただぼーっと空を見ていた。
電話。そういえば電話、か。
俺がポケットに入れていたはずのスマホは川の水底に沈んでしまったんだろうかと、今更になって気になってしまう。
別に見られて困るものが入っているわけじゃないんだけど、今の俺が持っていないんだから、きっとそういうことなんだろうな。
そう考えると、こっちの世界から電話が繋がるかどうかも試してみたかったような気がする。電波がないんだから繋がるはずもないんだろうけど、それでも気になるものは気になるんだよな。
そっか、スマホかぁ……。
あの中には気に入ってる歌なんかも入っていたし、落ち込んだ時はそれを聴いて気持ちを奮い立たせることもできただろうに、なんで手放しちゃったかなー。
手に握ってさえいればスマホごとこっちの世界に来ることができたんだろうか。
周囲に人がいないことを確認してから、俺が好きだった歌を何気なく口ずさんでみる。もう三年も聴いていないけど、歌詞もメロディもしっかり覚えていて、今でも歌いきれる。
懐かしくて、でもやっぱりどこか向こうへの想いが込み上げてきて、なんでか切なくて。複雑な気持ちになっていく。
このまま歌い続けていたら泣いてしまうんじゃないか、俺……。
鼻を啜りそうになりながら、それでも歌を口ずさんでいると、唐突に自分の体に異変を感じてしまう。視界がぐにゃりと曲がったように見えた。
……あれ、なんだかさっきよりも体調が悪化してきてる? すこし、頑張りすぎたか? 動きすぎちゃったかな。
だけどその変化に気づいた時にはいきなり鈍い痛みが頭を走り出し、驚いてしまう。
ズキンというよりは、ガンガンと鈍器で力任せに殴られているような、そんな感じだ。あまりの痛みに、堪らず俯いてしまう。
なんだ……? こんな時に、いきなり頭痛?
ただ歌おうとしただけなのに、やばいと身の危険を感じた頃には、次第に頭のまわりを強く何かに絞めつけられるような痛みが襲ってくる。
立っているのも辛くて、俺はその場にしゃがみこんだ。
前兆もなく、だけどとんでもなく痛くて、目を開けているのも辛くなってくる。やばい、無理しすぎたのかな……。
調子に乗りすぎたのかと、倒れる前にふらふらしながら箒を杖がわりにして屋敷に戻ろうとすると、ふと誰かに声をかけられたような気がした。
「……?」
誰だ? 誰かが俺に声をかけようとしている? ……幻聴?
振り返って見てみるも、そこに人の姿は見当たらない。まさか頭痛が酷すぎて幻聴まで聞こえ始めたんじゃないかと焦り出すが、尚も頭に声が響いてくる。
(――――……! ――――――――!!!!)
何を言っているかまではわからないが、どこか怒鳴っているようにも聞き取れる。
ぎゃんぎゃんと大きな声で叫ばれているからだろうか、耳が痛い。
俺は怒られているんだろうか。……一体、誰に? 怒られるようなことなんて、何もしてないんですけど。
いつだったか、似たようなことがあったのを思い出す。それはこの屋敷内で起きたことなんだけれど、でもあの時は怒鳴られていたんじゃない。確か、俺のいるべき場所はここじゃないからこっちへ来い、なんてことを言われていたような気がする。
あの時と、同じ声?
気にしないようにしていたけど、また誰かが俺をどこかへ連れていこうとしているんだろうか。
だけど以前と違うのは、俺がもうウェインではなくヒロに戻っているということ。あの日のように体が動かないわけでもない。俺は自由に動ける。今度はどこへ連れていこうとしているんだろう。
頭の痛みに耐えていると、段々意識が朦朧としてくる。視界が闇に覆われていくようで、くらくらとする。
そこまで体調の異変を感じて、俺はまたあの時のことを考えていた。以前は意識を失いかけるもヴァーミリオンが助けてくれたけど、その後はどうなったのかを。
何日か経った後に、確かフォルトゥナ学園の試験に向かったんだよな。
それで、試験を受けた後に生徒から悪口を叩かれていたアディの母親を見つけて、それから――――。それから、どうなったっけ?
「……アディの、お母さん?」
なにか一つの可能性に辿り着きそうで、だけどその答えが正解だった場合、さらに俺の不安を煽っていくことになりそうで、急に怖くなる。
もし、合っていたとしたなら……もしそれが推測通りだとしたなら、この声の主は、きっと……。
(――――!!)
きっと、常に俺の傍に潜んでいて、俺のことを、ずっと見ているに違いない。
俺が何をしているのか、どこにいるのか、これから何をしようとしているのかを、常に見透かして……。
「そこで何をしている」
闇に引きずり込まれていきそうになる俺の意識を、誰かが呼び止める。
(――――! ――――!!!!)
でも、向こうの声のほうがボリュームが大きい。
呼び止める声なんかよりも主張が強すぎて、それは簡単に上から塗りつぶされていく。
頭が、痛い。このまま眠ってしまうんじゃないかと顔を苦痛で歪めていると、更なる衝撃が俺を襲った。
「――――っ、だぁ!!」
ガツン、と。なにか硬い物で後頭部を殴られる。
勢いで体勢を崩し、そのまま地面に顔面がのめり込んでいきそうになる。チカチカと、自分の周りに星が見えそうになった。
あぁ、本当にこういうことってあるんだなぁと、違う意味で気を失いそうになりながら思った。
「瘤が……。絶対、でかい瘤になるぞ、こんなの……。一体俺は、何で殴られて……」
「今の衝撃で禍々しい気は消えた。お前の周囲からも消え去った。自分ではわからぬものか?」
「うん、そう……。確かに、今の衝撃で変な怒鳴り声は聞こえなくなったかも。でもその分、意識がぶっ飛びそうになってるんだけど……コレどう思うよ」
「どうもなにも、仕方の無いことだ。でなければ、この屋敷内におかしなモノが紛れ込むところだった。どうやってでも、それは俺が必ず排除しなければならないことだ」
だけれど、それにしたっていきなり殴るというのは人としてどうなんだろう。もう少し気遣って、優しくはできないものなんだろうか。せめて一声かけるだの、なんだのさ。




