お兄ちゃんがいてくれるなら、大丈夫だよ?
そう言って、金に揺れる髪の毛をくしゃりと撫でてやる。
半分真実を含んでいて、でも曖昧にぼやかされた言葉を使って、俺は一人で満足する。
今は休養の時だから、まだ動き出す場面じゃないからここにいるけど、奴等が行動を見せたその時は。止めに行くんだ、俺とルナの二人で。
それ以外でも、俺がこの体から離れたりすることはないって意味も含めての返事だったりするんだけどさ。
ウェインといえば俺の言葉を理解したのか、それともさっぱりなのか、その表情から読み取ることができず曖昧だったけれど、しばらく考えた後にニコリと笑ってみせた。
不安も感じさせることのない、スッキリとした良い笑顔だ。きっとウェインなりに察してくれたんじゃないかな、と思う。
俺はさらにわしゃわしゃと頭を撫でてみせた。
「……さて、ウェイン君。そろそろ時間だ、行こうか。ご家族が君の帰りを待っているよ」
ホールに掛けられている時計が時刻を示すように、数回大きく鐘を響かせた。それを合図に、シアンさんが俺達二人の元へ歩み寄ってくる。
ウェインは一瞬だけ眉を下げるけど、すぐに「わかった」としっかり頷いてみせた。それから俺のほうに視線を移す。その瞳は「本当に、どこにも行かないでね」と念を押しているようにも見えた。
だから俺は軽く背中を叩いて、言ってやった。行っておいで、と励ますように。
ウェインの中に俺がいた時間がある分、もしかすると彼なりに何か感じ取っているのかもしれない。
「……お兄ちゃん」
「行ってこいよ。それでさ、あのお姉ちゃんにお前の本当の姿を見せてやってくれ。散々怪しまれたし、本当の意味でお前の変化を心配していたのかもしれないしな」
「僕、お兄ちゃんがいてくれるなら、大丈夫だよ。すぐにここに帰ってくるよ。僕だってお兄ちゃんのことが心配だもん」
「じゃあ、次また会う時は一緒に遊ぼうな。ウェインが遊びたいことに、とことん付き合うから。約束だ」
そう言えば、ぱぁっ、とそこに笑顔が花開く。ウェインは落ち込んでいる時の顔よりも、明るくニコニコしているほうが似合っている。
小さな子がよくさよならをする時に交わすタッチをすると、今度こそウェインはシアンさんの元へと走っていった。その瞳は確実に前を向いたようで、俺は胸を撫で下ろす。
なんとなくだけど、ウェインはもう、さっきまで見せていたような泣きべそをかくことはないと思った。きっと向日葵のように前を、上を向いて、この先を歩き続けてくれることだろうと頷く。そう願わずにはいられなかった。
二人はそのまま外へ出ると、玄関先に用意されていた馬車に乗り込んでいく。振り向きざまにウェインが手を振ってくれたから、俺も笑って振り返した。
あの両親のことだ、ウェインが家に帰ってきてくれたとなると、また涙を流して喜ぶことだろう。姉も初めは訝しむだろうけど、今の本当のウェインに接すればきっと素直に抱きしめてくれるはずだ。
ウェインがどうしているか心配で仕方なかったけど、これで不安が解消されたかな……?
だけど馬車を見送った俺を待ち構えていたのは、ステファニーという女の子からの際どい内容ばかりの質問だった。
彼女はいつの間にか俺の横に立ち、横目でぎろりと睨んでいた。
「ちょっと、貴方」
「……はい、なんでしょう」
「聞きたいことがあるんだけど。名前は」
「ヒロと申します……」
「見ない顔よね。いつからこの屋敷にいたの」
「五日前に、怪我で倒れていたところをアルフレッドさんに助けていただきました」
「へぇ……。ウェインとは知り合いなの?」
「いえいえ、今日会ったばかりでございます……。誰かと勘違いされていたようですが、落ち込んでいるようにも見えたのでなんとか励ましたいと思い、言葉を送らせていただきました」
「ねぇ、さっきと話し方が全然違うけど何!? なんなのよ、それ!」
なんなのと言い返したいのはこっちだって同じだと叫んでやりたい。
君こそ、ウェインがいなくなった途端にその尋問はなんだ。俺のことを怪しんで質問しているのか、それとも自分の妄想力を高め、作品に繋げるための糧にしようとしているのか。後者だったら別にたいした問題もないし、いいんだけどさ。……いや、よくないか?
俺だってまさかの事態に居心地が悪いんだよ? 執事さんにもなにか根掘り葉掘り詳しいことを聞かれるんじゃないかと内心ヒヤヒヤしているんだよ?
でもこんなこと言ったって理解してくれるとは思わないし、言ったところで頭のおかしな男で片付けられそうな気もするし。
どうにもならないもどかしさに、今度は俺がイライラしてしまう。
しかし、なんだかんだキャンキャンと吠えるステファニーを見ていると、意外と元気そうではあるのでほっとする。肩を落としていたのに、話してみると覇気もあるし、目に光もあるし。
あんな一面を見た後だから、筆まで持てなくなっていたらどうしようと心配になってはいたんだ。さっきの発言も含め、きっと今も絵は描き続けているに違いない。
ステファニーが襟元を掴みかかってくるような勢いでこちらを振り返ったので、さすがに俺は焦り、慌てて執事さんの後ろに隠れた。
ケンカは嫌だ、暴力はダメだ。刺激されて腹の傷が開いたらどうしてくれる。
「ちょっと、隠れてないで話を聞かせなさいよ! あんなにめそめそしていたウェインが目をキラキラさせて懐いているだなんて、驚きも驚きだわ! 一体アンタ達にどんな関係性があるってのよ! 家族か友達以外、ありえないでしょう!?」
ずばりと的確なところを突っ込んでくるので、俺もたじたじになってしまう。だけど正直に話せるはずもなく、心底困ったように執事さんを見上げ救いを求める。
すみません、俺の手には負えないようです、と助けを乞う。
「落ち着いてください、ステファニーお嬢様。まだヒロさんのお怪我も完治してはおりませんので、今回はここまでにしておいてください。彼はこの屋敷の使用人です。後々、お仕事に支障が出るようでは困りますので」
「はぁ!? 使用人!? なによ、それ!」
「そのままの意味ですよ。それにヒロさんはウェイン様を励ましてくださったんです。ここ最近泣いてばかりいたウェイン様の明るい表情を見ることができて、私は安心しました。何が起きたのかはあの子にしかわからないことではありますが、おそらく胸が不安でいっぱいだったのでしょう。ほんの一時ではありますが、その気持ちが和らいだようで良かったです」
執事さんはステファニーを諭すように言うと、これ以上言うことはないとまたどこかへ向かって歩き始めてしまった。
口をへの字にするステファニーを尻目に、こんな気まずい場所に置いていかれてたまるかと、俺も後に続く。
屋敷はもう案内し終わっているはずなんだけど、今からどこへ向かおうというんだろう。まだ残っている場所なんてあったか?
少しばかり戸惑っていると、執事さんは振り返って微笑んでみせた。
「すみません、ヒロさん。最後に案内しておきたいところがありました。私の後についてきてください」
そう言われたら頷くことしかできず、黙って背を追いかけるしかない。どこだろうと考えつつ、後をついていく。
だけど俺は「その前に」とちょっとした用を思い出し、立ち止まった。そうだった、執事さんにくっついていく前に放っておけないことがあったんだ。
慌てて視線を後ろに移し、まだ納得がいかずに顰め面をして佇んでいるステファニーに声をかけた。やっぱり面白くなさそうに、彼女はこっちを向いた。
「……っ、あのさ!」
「……なによ」
「あの、さ。後で君の描いた絵、見せてくれよ。絵、描いてるんだろ?」
「……は? なに言って」
それ、とステファニーの指を差す。
彼女の指には洗い残されたであろう、色がこびりついていた。
「絵の具、ついてるから。さっきも絵がどうこう言ってたよな? 今も描いてるってことだろ? もちろん、君が良かったらでいいんだけどさ!」




