自由に空を飛べたなら
* * *
三年前を思い出させるような献立に、なんだか心が温かくなっていた。
執事さんが部屋を出てから十分と経たないうちに、俺の前にはすでに食事が用意されていた。
今回は、リゾットがお粥のような消化の良い食べ物へと変わり、また一口サイズに切られたフルーツが何種類もプレートに乗せられていて。食後のハーブティーまで用意されていた。
傷に障るからと言って、メイドさん達がわざわざ部屋まで運んできてくれたのだ。
そんな気遣いなどせずとも自力で食堂にまで歩いていけると言ったのに、それはいけませんと押し切られてしまった。
最終的には「一人で食べることができますか」ときたものだから、さすがにそこは首を縦に振りまくり、頷いた。この歳で「あーん」なんて小さな子供のように食べさせてもらうわけにはいかないだろう。むしろ、俺のプライドが許さない。
そんなわけで部屋で一人、黙々とご飯を食べているんだけれど。やっぱりこの屋敷の食事は美味しくて、とても美味しくて、どうしようもなくほっとしてしまった。だけどそれと同時に、少しだけ寂しさを感じてしまう。
一人で食べているから、余計かもしれない。
部屋の中が、やけに広く感じる。静かすぎて、胸がざわめいている。
ヴァーミリオンが、そこにいないから? シアンさんも、執事さんも、知っている人が誰一人としてここにはいないから?
俺がウェインのままだったら、きっと違ったんだろうか。俺がウェインだったら、まわりにはもっと人が溢れていたんだろうか。
もぐもぐと口を動かしながら、そっとルナに視線を移してみる。
彼女は今も目を閉じている。このまま目が覚めることなく眠り続けるんじゃないだろうかと不安になるような眠りの深さに、思わず声をかけてしまいたくなる。
でも本当にただ寝ているだけなのだとしたら、さすがに悪い気がして、起こせるはずもなく。
ルナと言葉を交わせていたら、またこの部屋の空気も違ったんだろうけどな。こんな風に寂しさを感じることだって、なかったのかもしれない。
やっぱりこのままじっとしているのは嫌だと思い、俺は急いで食事を胃の中へと流し込んだ。
ただでさえ五日も眠りっぱなしで胃の調子も戻っていないのに、こんなに一気にかきこんで。後々苦しむことになるかもしれないと頭ではわかっていても、この部屋の空気には耐えられなかった。
一人が寂しくて堪らないだなんて、そんなことはない。そんなことはない、けども。
「……ルナ、早く起きてくれないかなぁ」
ぽそりと、小さく呟いた。
食事も終わり、一息。
何をすることもなくベッドに座り、ただ窓の外を眺めていた。
平静を装っているが、なんとなくそわそわと落ち着かない。さっき感じた寂しさと、色んな不安や罪悪感が自分の中でごちゃごちゃになってきているのかもしれない。ここでじっとしていればいる程、何かに押し潰されそうな気がする。
腹の傷もあまり痛むことはないし、早く誰か様子を見にここへ来てくれないかなぁ。本当に誰でもいいんだけど。
晴天だと思っていた空には、幾つかの雲が浮かんでいる。空は風が強いんだろうか。流れていく雲を目で追いかけながら、ただ時間が過ぎるのを待っていた。
俺もあんな風に、自由に空を飛べたらいいのに。風に流されるまま、気づいたら地球に戻っていました、なんてことがあったら。もしくは、実はただの夢オチでした、なんて。……今更そんなこと、あるはずもないけれど。
口を尖らせ、空から視線を逸らせずにいれば、ドアをノックする音が聞こえた。ようやく誰かが来てくれたと胸を撫で下ろす。
ドアの方を見れば執事さんが顔を覗かせ、そのまま部屋に入ってきてくれた。
「お待たせしました。ヒロさん、今から動けそうですか?」
「いつでも行けます。むしろ待ってました」
「おや、そうですか。ではこれから屋敷の中を案内しようと思いますので、私の後をついてきてください。ゆっくり歩きますので、ご心配なさらずに」
その前にこれを、と執事さんから手渡されたのは、一枚の白いワイシャツだった。
あぁ、さすがに上半身だけ何も着ないで外を出歩くのはまずいと思っていたし、自分でも懸念していたことだったのでこれはよかった。
受け取り、腕を通して着てみればサイズはちょうど俺にぴったりで、きつくもなく、緩くもなく、さすが執事さんが見立ててくれたものだと感動してしまう。バッチリです。
「傷が痛むようなことがあればすぐに教えてくださいね。無理はさせたくありませんので」
「はい、わかってます。あ、そういえば聞き忘れていたんですけど……」
「はい、なんですか?」
「俺、執事さんのこと、なんて呼んだらいいですか? 名前を聞いておいたほうが、後々助かるかなって。そう思うんですけど……」
おや、と執事さんは目を丸くする。
自分が名乗っていなかったことに今更驚いたりしているのだろうか。
そういえばウェインの頃から、この人の名前を聞いたことがなかったと今になって思う。初めから執事さん、というイメージだったから、俺も気にしたことがなかった。
「……あの?」
「いえ、私がこの屋敷の執事だということは一言も申し上げておりませんでしたので。よくわかりましたね」
その瞬間、言葉に詰まる。
墓穴を掘った、と焦った時には既に遅く。俺は石のように固まってしまった。
俺、今自分から執事さんって言っちゃった? 無意識にそう呼んでしまったってことなのか!? 口を滑らせてしまうだなんて、なんて大失態! この人、どうしてそんなことまで知ってるんだろうってなっちゃうよなー……!
額に脂汗が浮かびそうになり、俺は焦りながら必死に言い訳を探す。
「い、いや、あの、ほら、だって、服が見るからに執事さんって感じだし! 執事さんといえばどこもビシッと決めたタキシードを着ていたりするじゃないですか! そんな感じだったし、だから俺はてっきりあなたが執事さんなんじゃないかって勝手にイメージで決めつけたりしていて、それで……!」
「あぁ、なるほど。言われてみれば確かにそうですね」
「ですよねー!? だからって執事さんと呼び続けるわけにもいかないし、なら名前を聞いておいた方がいいんじゃないかなぁと個人的に思いまして!」
「そういうことでしたか。そういえば私も名乗っていませんでしたね、これは失礼しました」
いえいえ、そんなことはないですよ! と慌てて手を振る。
たぶん今の理由なら怪しまれることもないんじゃないだろうか。
どこの屋敷の執事さんも大抵タキシードを着て、髭を生やしたりしていて、眼鏡をかけていたりするわけだし。髪の毛はきっちり後ろにまとめているし、見るからに執事という風にしか見えないし、通用すると思う。たぶん。
はぁ、危ない、危ない。口は災いの元っていうぐらいだし、俺もうっかりしてられないぞ。その度に焦ってあわあわとしていたら、この先精神的にもたない。
執事さんに気づかれないように、小さく溜息を吐き出した。
「私の名前はアルフレッドと申します。どうぞ、ヒロさんの呼びやすいように呼んでやってください」
「は、アルフレッド……!?」
「はい、アルフレッドと申します」
「……くっ」
なんということだろう。
まさかの某アメコミヒーローへ仕える執事さんと同じ名前だとは、俺も驚いてしまう。
「……あの、私の名前になにか?」
「いえいえ! とてもかっこいい名前で、むしろ羨ましいぐらいです! あまりのかっこよさに、一瞬思考が停止してしまいました!」
「そうですか? ヒロさんという名前も、とても素敵だと思いますよ」
「えぇ!?」
「なにか物語に登場する勇者のような勇敢さ、心強さを感じます。貴方に似合った名前ですね」
ありがとうございますと返せば、なんだか妙な照れ臭さが俺を襲う。今までそんなこと、言われたことがなかったから尚更だ。
執事さんは優しく微笑むと、それでは行きましょうかと先に部屋を出て行く。俺はその後を追いかけるようにしてついていく。
「傷は痛みませんか?」
「あ、大丈夫です。すみません、気遣わせてしまって」
「ヒロさんも珍しい髪色と瞳をしているので、この地方で暮らしていくには色々と不自由をしていたでしょう。遠慮なさらずに、この屋敷を自分の家だと思い過ごしてくださいね」




