生きていてくれたなら、元気でいてくれたなら
いざヴァーミリオンを前にした時、俺はどんな顔をしてあいつと向き合えばいいんだろう。知らぬ振りして、あたかも初めて会ったかのように接すればいいんだろうか。
あいつは比呂のことを知らないし、まさかウェインが俺だとは思いもしないわけだから、そういった態度のほうがいいんじゃないだろうか。
この屋敷に滞在する以上、接する機会は少なくとも何回かあるはずだ。
むしろヴァーミリオンだけじゃなく、シアンさんやステファニーを相手にする時も困る。いや、それ以外にも、この屋敷に住む人達全員にだ。
ガウェインさんが訪れる日だってあるだろうから、あの人を前にした時が一番やりにくいような気がする。
「……見抜かれそうな気がする。ガウェインさんの場合」
豪快で、短絡的に見えるけれど、ああいう人に限って妙に敏い時があるから。
なぜか俺は想像して、体を震わせた。問い詰められる状況を考えると、どう返したらいいかわからずに、一人おろおろと狼狽えてしまうことだろう。……さらに怪しまれるだけだよな、それって。
ガウェインさんはにこにこと笑いながらも、そう簡単には逃がしてくれなそうだ。俺がウェインだった時に少し会ったぐらいだから、本当のところはわからないけれど。
「そういえば、ウェイン……」
元々自分が勝手に宿ることになっていた少年の存在を思い出し、心臓が痛く音を立てた。あの子は一体どうなってしまったんだろう。
元々亡くなった子供の体に俺が乗り移っていたわけだから、比呂が抜け出した後のことを思うとなにか怖い。生きていてくれたならいいけど。元気に体が動いているようならいいけれど。
気になる。気になって仕方ない、けど、それをどう他人に聞いてみたらいいものか。良い方法はないかと、俺は唸る。
だってほら、怪我をして匿ってもらっている奴がいきなり「最近この屋敷で誰か亡くなったりしませんでしたか」なんて周囲に聞きまくっていたら絶対やばい奴だろ? 不審に思われるパターンだろ? なんだこいつ、ってなるだろ?
「後々、屋敷の中を好きに動くことができればいいんだけど」
どうしたらいいものかと悩んだ末、とりあえず俺は窓を開けることにした。
夜風に当たって、頭の中を包んでいるもやもやをスッキリさせたいと思ったからだ。
窓を開けた途端、冷たい空気が部屋の中へと忍び込んでくる。
眠っているルナのことを考えると、少しばかり肌寒いだろうかと後ろを気にしつつも、俺は大きく深呼吸をした。
空を見上げてみれば、月明かりにまじって銀の砂を散りばめたたくさんの星達が、小さく煌めきながら地上を照らしている。
俺はこれからどうなるのか。
アディ達を止めた後、俺はどうするべきなのか。
尽きることのない悩みに、深く吸った息をこれ以上吐くことなど出来ない程、俺は大きく、とにかく大きく吐き出したのだった。
云々悩んだ末、いつの間にか朝を迎えていた俺はベッドに突っ伏していた。
窓から入り込む朝陽が温かく、今日は雨の降る心配もないんじゃないだろうかと思えるぐらいの眩しさが、俺の体を照らしつけている。おそらく空には綺麗な青空が広がっているのではないだろうか。雲一つない、それこそ晴天のような空が。
「……」
俺の心はどんよりとしているがな。
窓を見つめながら、げんなりとしてしまう。厚い雲が覆っているようで、今にも雨が降り出しそうな程に湿気を含んでいる。
ヴァーミリオンのこと、ウェインのこと、自分の今後のこと、これからの立ち振る舞いについて、色々と考えてしまった。
結論。俺は何も知らない、屋敷の皆とは初対面、この容姿のせいで人攫いに襲われそうになり負傷した、両親とはとっくに別れている、これから一人で旅をしようとしていた、の設定で突き進んでいくことにした。
たぶんこういった理由であれば、気遣ってあまり深く突っ込んでこないだろうと思ってのことだ。この設定だけでも余計な詮索は避けるんじゃないだろうか。
だってほら、見た目がこうだし。たぶん周囲は察してくれるんじゃないかな。
あとは俺が揺るがない限り、この屋敷に滞在する間は大丈夫だと思う。シアンさんやガウェインさん、ヴァーミリオンのような鋭い人達と積極的に関わらなければ切り抜けられそうだ。
視線を移すと、ルナはまだ眠っている。一度も目を覚ますことなく、すやすやと気持ち良さそうに眠っている。
起こすのはかわいそうだから、このままにしておいてあげようと思う。これから何が起こるか予測が不可能な分、休める時に休んでおかないと、絶対に体がもたないからだ。
「……まずは俺がこれからどうするか、だよな」
そう呟いて、自分の姿を見下ろす。
上半身はなにも羽織っておらず、ぐるぐると腹部に包帯の巻かれた身体。いかにも怪我人という格好だ。こんな状態のまま、勝手に家の中を動いてしまっていいものだろうか。部屋から出てもいいのだろうか。
「いいわけないだろ……。他人様の家の中を無断で覗きまくったら、下手すれば窃盗か何かと勘違いされるかもしれないし。恩を仇で返すつもりはないけど、そんな警戒心は持たれたくないっていうかさ」
それに屋敷では女性の皆さんも多く働いているんだ。俺みたいな男が上半身裸のまま歩いていたら、耐性のない人に悲鳴を上げられそうな気がする。
変質者を見つけたような目で叫ばれると、さすがにちょっとショックを受けるよなぁ……。そんなつもりはなくとも、相手の目にはそう映るのかもしれないし。
窓の外から見える太陽を見つめながら、口をへの字にして考える。
「……」
悩んで数秒。
やっぱりここはやめておこうと決めた。今はまだ好きに動いていい時じゃない、そう判断する。
怪我人を放置しておくような人達でもないし、誰かこの部屋に様子を見に来てから行動するようにしよう。行動っていっても、特に何かするわけじゃないんだけどな……。
何度目かわからない溜息を吐き出して、俺はとりあえずベッドに腰掛けた。そして部屋の中をもう一度見渡してみる。暗闇の中では見えなかった物がなにかあるんじゃないかと思い、改めて顔を上げ、確認してみた。
すると部屋のドアの辺りに、俺の制服が掛けられていることに気づく。
「……あれ、染みが無くなってる」
意識を失う前、確かにそこにあった血の跡が真っ白に消えていた。屋敷の使用人さんが、洗ってくれたんだろうか。
染みも、皺も一つない綺麗に整えられた制服を見つめ、俺は胸を撫で下ろす。これなら母さんに叱られることもないだろう、と安心する。
……母さん、か。
『 比呂、早く起きないと遅刻するわよ』
俺の脳にはしっかりと、母さんの声も姿も焼き付いているようです。
瞬間、じわりと何か堪えきれないものが溢れそうになって、驚いた俺は両手で口を覆った。思い出しそうになり、慌ててかき消すように、大きく頭を横に振る。
いけない、そうじゃない。思い出したって、寂しくなるだけなんだから。俺の心が弱くなる一方で、今はまだ振り返る時じゃない。
還る方法はあるとルナが言ってくれたんだ。それまでは、前を向いて進んでいくしかない。立ち止まっちゃいけないんだ、と自分に上塗りするように言い聞かせる。そう、今はただひたすらに。
……難儀だなぁ。弱音を吐くことも許されないなんて、俺ってば自分に厳しすぎるんじゃないかなぁ、なんて。はぁぁぁ。
肩を落とすと、外からドアをノックする音が数回、聞こえてきた。
早速誰かが来たと思い、焦りつつ「はい!」と反射的に声を上げれば、顔を覗かせたのはあの執事さんだった。今ではすでに懐かしい執事さんの姿だ。俺は心の中で「お久しぶりです」と頭を下げた。
「おぉ、目を覚ましましたか! 顔色も良く見えます、安心しました。傷の具合はどうですか?」
「特に響くこともなく。ありがとうございました。助けていただいたみたいで」
「いえいえ、困った時はお互い様です。五日も眠っていたのですから、もう目を覚まさないのではないかと不安になっていたところでした。元気そうでなによりです」




