傷ついた人間でさえ、見捨てることしかできない
どうして彼等はこうも自分達と違うものを嫌悪するのだろう。
髪の毛が黒いから差をつけて扱うのは、どうなんだろう。なぜ揃いも揃って冷遇してしまうのか、ルナにはわからなかった。
精霊にしてみたら、どんな容姿だろうと、どんな力を持っていようと、人間は皆同じようにしか見えない。
肌の色が違えど、瞳の色が変わっていようと、皆同じ人間なのだ。
傷ついた人間でさえ、この者達は見捨てることしかできないのか。同族だというのに、助けるという意思はないのか。
異世界の少年は、こんな人間を助けようとしているのだろうか。自分をこの場に捨て置こうとする彼等を、この少年は命懸けで。
唇を噛み、はっとする。
違う、そうじゃない。そうではない。
精霊たる自分が感情で動いてはいけない。その時の昂りだけで物事を判断してはいけないのだ。
ヒロが出来ているのに、精霊がこんなことではいけないと今更になって恥じる。
ただ彼等がそうだっただけで、次にヒロを見つける者が同じ人間だとは限らない。
そう思わなければいけないのに、なぜこうも憎しみを浮かべてしまったのか。
これではあの女と変わらない。彼女を止めるということは、この地の人間を救う意味があるのだということを欠いてしまった。
なにもここを通るのは彼等だけではないのだ。機会はまだある。
人に絶望するには、まだ早い。
ルナは意識を失ったヒロの傍に寄り添った。彼等がこの少年に危害を与えないように。馬に向かい、注意を促す。決してその大きな足で踏まないように、と。
「すみません、少しよろしいですか」
客車から、先程の女性とは違う声が御者に対し掛けられる。
馬車を動かそうとしていた御者は眉根を潜めながら「なんだ」と不機嫌そうに言葉を返した。
「人が倒れているようなので、気になりまして。あの方は怪我でもされているのでしょうか?」
「あぁ、腹から血を流していやがる。賊にでも襲われたんだろう。かわいそうだが、助けてやることはできねぇ」
「……それはなぜですか?」
御者は信じられないといった様子で、客車のほうを振り返った。
「なぜって、あの髪を見てみろよ! ここで生きてきて漆黒の髪色をした奴なんざ今まで見たことがねぇ! ありゃきっと災いを呼ぶ人間に違いねぇぞ! 関わったらロクなことにならねぇ! そんな奴に好きで自分から関わるかってんだ!」
声を荒らげる御者に対し、ルナはそれこそ信じられないと顔を顰めた。
彼の人柄も知らずに災いを呼ぶ者と勝手に決めつけ、ありえないことなのにすでにそれを肯定して考えている。随分と酷い思い込みだ。どういった理由でそう決めつけてしまうのか、逆にこちらから問い質したいぐらいだ。
すると客車に乗っていた男が、外に顔を覗かせた。
そうですか、と御者に向かい、手を差し出している。
「……なんだ、これは」
「いえいえ。突然の雨でここまで送っていただき、ありがとうございました。これはそのお礼です。少ない金額ではありますが、どうぞ受け取ってください」
「だ、だが帰りはどうするんだ。まだまだ雨は止みそうにないぞ」
「それは心配なさらずとも大丈夫です。たまには雨に降られ、頭から水を被ってみるのも良いでしょう。気分転換になりますな」
男はそれ以上言うなとばかりに、手に持つ金を御者にぐいぐいと押し付けている。拒絶は許さないといったようだ。
御者が受け取ったのを確認すると、男はすぐに客車から下り、ヒロの元へと近づいてくる。
「……酷い怪我ですね。これはまた、どうやって傷つけられたのでしょう」
黒のタキシードを身にまとい、清潔で、手入れが行き届いているその姿はどう見ても一般の人間とは思えない。
白く染まった髪の毛を見るに、歳は五十過ぎくらいだろうか。
男は汚れるのも構わず地面に膝をつき、ヒロの怪我の具合を確かめている。
御者がどうするべきかとオロオロしていたが、客車から女の怒号が響き、後ろ髪を引かれつつその場を後にして去った。
ヒロとその男だけが、雨の降る小道に取り残される。
ルナはじっと様子を窺っていた。男はヒロを気遣っているように見えるが、まだ完全な味方だと信用したわけではない。
彼に危害を与える素振りを見せればすぐに魔力で目眩しさせようと考えていると、男は急に立ち上がり、街があるほうを未練がましく振り返った。
「……怒られるかもしれませんが、仕入れはまた明日にしましょう。どう考えても、今はこちらを優先すべきですからね。皆、許してくれるでしょう」
男は申し訳なさそうに一人呟くと、その背にヒロを担いだ。
見るからに高級感の漂うタキシードに彼の血や泥がつき汚れてしまうが、男は気にしていないようだった。
ヒロをどこに連れて行こうというのだろう。助けてくれるのだろうか。
「どれ、久しぶりに走りますか。傷の具合も心配ですからね。あまり時間はかけていられません」
男は誰に話しかけるわけでもなく、前を向いたまま呟き続ける。
はたして少年を担いだまま、本当に走れるのだろうかとルナは心配になった。
こう言ってはなんだが、男は決して若くはない。腰を痛めて共倒れしてしまうのではないかと、失礼ながらも考えてしまったのだ。
さすがに男の面倒までは見切れないと、ルナは眉を下げる。
「……傷口が開かぬように、行きますよ」
男はすぐに走り出した。
のろのろと重い足取りで運ぶのかと思いきや、意外にも軽やかな歩みで前に進んでいくので、驚きを隠せない。見た目とは裏腹に速さもあるようだ。
ルナが驚いたまま口をぽかんと開けていると、頭上で大きく雷が鳴った。
その音に我に返り、急いで二人の後を追いかける。
街から離れていこうとしているが、人気のない場所では親子の襲撃が来るのではないかと一抹の不安を抱きながら、ルナはヒロの傍に寄り添うのだった。
しばらく道を駆け抜けていると、その先に大きな屋敷が見えてくる。
他に建物など一切見当たらないことから、男の目的はこの屋敷で間違いないだろう。
男はタキシードを着たまま、雨に濡れながら走っているというのに、息切れなどは一切起こしていない。服も水気を吸い、重くなっているだろうに。ヒロを背負っているはずなのに、まだまだ余裕といった雰囲気だ。
ルナの不安など杞憂だったようだ。一体何者なのだろう。
街から離れた位置にある、この屋敷の主人だったりするのだろうか。だからこんなにも身なりが整っているのか。
ぽつんと建つ屋敷を見て、不思議に思う。
大きな屋敷ではあるのに、なぜかルナにはとても寂しそうに映ったのだ。
周囲に他の建物がない分、余計そう見えてしまうのか。
「……街の医者よりは、うちの屋敷に仕える医師のほうが信頼できますよ。安心してください」
眠るヒロに語りかけているのか。
ずぶ濡れになりながら、でも顔はにこにこと微笑みを絶やさない。
「この屋敷では貴方に対し、酷い言葉を投げかける人は誰一人としていません。傷が癒えるまでは、どうかこの屋敷を自分の家だと思い、過ごしてください。それまでは私が貴方のお世話をしましょう」
男の瞳に、悪意は感じられない。
恐らく本心から、そう言っているのだと思う。
ヒロに不安を与えないよう話しかけているのだろうか。もしかしたら声が届いているのかもしれない、そう感じて。
『 ……やはり、あのような人間ばかりではないということですね。良かったですね、ヒロさん。幸運は巡ってくるようです』
あとはあの親子の手がこの屋敷に回ってこないよう、注意しておかなければいけない。
「屋敷にも、貴方と歳の近い子供がいます。最近ようやく心を開き、笑顔も見せるようになってきました。ですが、またその心を閉ざしてしまうような、悲しい出来事が起こりました。あの子はもう二度と、私達の前で笑顔を見せることはないかもしれません」
男は微笑みながら、眉を下げた。




