ヒロを助けてもらうための、機会
* * *
眠ってしまったのだろうか。
異世界から呼び込まれた少年は無防備にも、地面で横になったまま意識を手放してしまったようだ。
だが、無理もないとルナは思った。
今までの環境が一変し、本来あるべき姿に戻り、また何も無いゼロの状態から始まってしまったのだから。
表面には出していないようだが、精神的にも肉体的にも、相当負担がかかっているに違いない。
特にいま負うことになった傷の具合が心配だ。呪いの負荷がかかり、しばらく彼を苦しめることになるだろう。
呪詛にも種類があるが、おそらくあの短時間で仕掛けたものだ。傷の治りが遅くなる類ではないかと考えている。
命に別状はないと思うが、それでも心配してしまうのは仕方の無いことだ。
まだ接して数時間程ではあるが、この少年はきっと、知らぬうちに自分で自分を追い込む人間だと気づいてしまった。
お人好しといえばいいのか、苦労人といえばいいのか。根が真面目で真っ直ぐで、それでいてとにかく優しい。
優しいから、すべてに手を伸ばし、すべてを助けてしまいたくなる。
背負わなくていいものにまで手を出し、結果、自分を追い込んでしまっている。
なんの縁もない異世界の人間を、彼は助けようとしている。
ルナ自身、呪いとは別にヒロに施されている術をなんとかして解きたいと思っていた。本人に解いてもらうしかないと説明したが、術式がわかれば自分で解くことも容易いからだ。
彼女はどうにもこの少年を手放したくはないらしい。
利用できるのならば、最後の最後まで駒として、自分の好きなように扱いたいのだろう。異世界の人間などを呼び込めた実績に、酔いしれていたいのかもしれない。実験台としては十分な素材でもある。
だからルナは余計に彼を助けてやりたかった。なんとかして、力を貸してやりたかった。
この地方は、ヒロが生きていくには辛い場所だ。
ここから抜け出し、世界に足を運んでみれば違うのだろうが、外見も含め、風当たりが強すぎる。優しすぎる彼には、難しいところだ。
誰かがヒロを守ってやることができれば良いのだが、そんな人間など簡単に見つかるはずもない。受け入れてくれるはずもない。
騎士の誓いを交わした者がいると言っていたが、それは他の体に移っていた時のこと。彼の今現在の姿を見て、同じようにヒロを選んでくれるわけがないだろう。
コロボックル達のことを想い、彼は怒ってくれた。上っ面の言葉だけでないことは、その表情からすぐにわかった。
他人を想い、怒ったり、悲しんだりするこの少年を、あの女の思い通りに利用させるわけにはいかない。ここで命を落とすような真似はさせない。したくない。
そのためにも、今はなんとしてもこの状況を乗り越えなければいけなかった。
だが、どうやってヒロをこの場から移動させたらいいのか、わからない。どうやって他人の目につくような場所に移せばいいのか、考えられない。
ヒロの容姿も含め、彼一人を街の中に移すことは絶対にできない。
だからといってこのままにしておけば、ヒロは確実に馬車に轢かれてしまうだろう。
どうするべきか。どうすればいいのか。
『 ――――っ』
遠くから、馬の蹄の音が聞こえる。
悩んでいるうちに、どうやら最悪のパターンがやってきてしまったようだ。
そう急いでいる様子ではないが、それはゆっくりと、確実にこちらに近づいてきている。
ルナはぎくりと一瞬だけ驚いた表情を見せるものの、すぐに気を取り直す。
一人焦っても仕方ない。この場をなんとかできるのは、今ここにいる自分にしかできないことだ。
考えを巡らせる。
決して良い状況とはいえないが、だが捉え方によってはこれはチャンスなのではないかと頭を回転させてみる。
ヒロを助けてもらうための、絶好の機会だ。
必ず助けてくれると考えたら決してそうではない。が、このチャンスを逃してはいけないとルナは身構える。
変に魔術を使えば気味悪がり、彼に近づかないかもしれない。そうなると大胆なことはできない。
ならば、どうするか。
上手く気づかせるために、どうやって御者に気づかせるか。
『 上手く……。うま。……馬ですか。――――馬!?』
これだ、とルナは閃いたとばかりに手を合わせる。
そして音が聞こえるほうへ目を凝らす。
動物は純粋だから好きだ。目を見ればすぐにわかる。
人間のように悪どいことを考えていても、彼等は隠す術を知らない。感情が瞳に映る。
だからきっと、ルナのことも見つけてくれるだろう。
彼等なら、ルナの光にも必ず気づいてくれる。
太陽のように、ギラギラと眩しく人を惹きつける、強い輝きではないけれど。
今は人間の瞳に映ることはないが、それでも彼等になら……。
ルナはヒロを庇うようにして、先を見つめる。
大粒の雨が彼の体を打ちつけ、体温を奪っていこうとしている。
血が流れている上に、これ以上熱を奪われるわけにはいかない。
『 ……どうか、彼に幸運が巡ってきますように』
そう願わずにはいられなかった。
言葉にしてまもなく、ルナの耳に車輪の軋む音が聞こえてくる。目を凝らして見つめていると、箱馬車がこちらに近づいてきていることに気づいた。
肩越しにヒロを確認し、一人頷く。
――――待っていてください、ヒロさん。私も、自分に出来ることをやってみます。
馬の目線まで浮き上がり、行く手を阻むようにして立ちはだかる。
御者の様子を窺うが、この距離ではやはり地面に倒れているヒロの存在に気がついていない。どうも自分の手元と、その手前しか見ていないようだ。地面にどんな障害物があるか、気に留めてすらいない。人が倒れているだなんて、思いもしていない。
だが、馬は気づいている。
指示などされないから止まらないだけで、彼等はルナとヒロを見つけている。
馬の瞳に、自分はどんな姿で映っているのだろう。
きっと、光の塊が宙を浮いているように見えているのではないだろうか。小さな満月が、地上に下りてきたように。
馬にはわからないだろうが、ルナの瞳と視線がぶつかる。
その瞬間、少しばかり魔力を放ち、大きく光を輝かせた。
普通の人間には目にすることができないが、それでも馬は異変を察知する。彼等は賢いから、危険だと判断したものには近づくことがない。だから走っていた足を止める。
見えていないかもしれないが、ありがとうございますと一応深く頭を下げた。
いきなり馬が立ち止まったので、御者が首を傾げながらその様子を窺っている。おそらく馬が走っている途中、足を痛めたのではないだろうかと気にしているのではないだろうか。
だが馬はぶるると鼻を鳴らすだけで、顔を左右に振るだけだ。どこも調子は悪くない。
すると御者は馬の視線の先に目を移した。
御者が横たわるヒロの姿を認識する。
それだけで、ルナはどうしようもなくほっとしてしまった。見つけてくれたと、小さな掌を強く握った。
だが、問題はここからだ。この御者が差別意識の酷い者であれば、ヒロの存在は無視され、場合によってはその馬車で轢かれてしまうかもしれない。
恐ろしいことではあるが、善良の人間であることを信じるしかない。
「……おい、人が倒れているぞ!」
御者が声を上げると、客車から人が顔を覗かせる。
女性だろうか。ヒロを見て、目を丸くしている。
「その子、怪我してるんじゃないかい!? 血が出ているよ!」
「賊にでも襲われたのか……? どうする!」
御者がそう聞けば、小太りの女性はすぐに顔を顰めた。
「どうするって……でも、あんた。その子の髪の毛」
その表情で、ルナは察した。これは失敗をしてしまったと。
この人間達は、きっとヒロの味方にはなれない。そう判断した。
嫌悪感を隠せず、女性はすぐに客車へと戻っていった。御者もやれやれといったようだ。
「悪いな。厄介なことに足を突っ込む気はないんだ。その髪色じゃ、街の医者も手は出したがらないだろう。安らかにな」
ルナは苛立った。
精霊は人間を見守るべき存在であるからこそ、その人間に対し憎しみなどの感情を抱いてはならないと決めていた。




