築き上げてきた関係が崩れていく時
* * *
ヴァーミリオンは椅子に座り、ただただ肩を落としていた。
隣にはシアン、その反対側には彼を挟むようにしてガウェインが座っている。逃げることは許さんとばかりの状況に、ヴァーミリオンは重苦しい溜息を吐き出すと同時に、項垂れることしかできない。
ウェインが倒れ、半日が過ぎた。
すでに窓から見える外の景色は紅く染まりつつある。
自分の騎士が意識を失い、倒れてからというもの、彼は一向に目を覚ます気配はなかった。
医者にも診てもらったが、なにが原因で倒れたのか、どうして眠り続けているのか、今後目を覚ますことはあるのか、答えを知ることはできなかった。
なんとなくではあったが、ヴァーミリオンは遅かれ早かれ、いつかこんな日が来ることを知っていた。
以前からしきりにウェイン自身が言っていたではないか。正しくはウェインではなく、その中にいる幽霊なのだが。
『俺がもし、俺じゃなくなったとしても。その時はウェインのことを怒らずに、受け止めてやってくれないか?』
騎士の誓いを交わす時に再三悩んだ挙げ句、そんなことを言っていたと思い出す。あの時の幽霊も、いずれこうなることを恐らくどこかで知っていたのだ。だから騎士の誓いを交わすことをすんなりとは受け入れず、渋っていた。
わかっていた。わかっていたはずなのに。
幽霊が言っていたことを冗談にして聞いていたわけではなく、一応は心のどこかで受け止めていたのだ。でも、どうしても信じたくない自分がいたのも本当のことで。ウェインがもう一度目を覚ませば、はっきりとわかることなのに。
起きて、またいつも通り冗談めいたことを言うなれば、幽霊はまだこの中にいる。
もしヴァーミリオンを見て、誰だこの男は、となったその時は。それはもう、ヴァーミリオンの知るウェインではない。自分が誓いを交わした、あの男ではなくなる。
心が重苦しくなる話だ。頭も痛い。
今更になって、怖くなる。ヴァーミリオンの知るウェインでなくなってしまうことが、とても怖い。自分が三年間築き上げてきた関係が、一瞬で崩れていってしまうのだ。
心から信頼できたのも、信用できたのも、一緒にいて楽しかったのも、あの男だけだった。心を開くことができたのも、ウェインの中に幽霊がいたからだ。
ヴァーミリオンのことを一歩引いた目で見るのではなく、同じ人間として、一人の子供として見てくれた、唯一の存在だった。
――――どうなるかはわからないけど、ウェインが本来のウェインに戻れば俺じゃなくなるし。
あの時は頭のネジまで消化されたのではないかと茶化してみたが、幽霊はそれでも冗談だと言うわけでもなく、ただ申し訳なさそうな顔をしていた。不安で染まっていたといえばいいのか。彼の言っていること全てが嘘だとは思えなかった。
そういえばつい最近ではあるが、シアンが教えてくれた。元々ウェインは、一度亡くなっているのだと。幼い頃から体が弱く、命を落とし、その三日後……葬儀の最中に彼は息を吹き返し、目を覚ましたのだと。
言わなくてもいいことだと思い、シアンはヴァーミリオンにその旨を伝えなかったらしいが、いま話を聞けばなにか納得ができた。
ウェインの中に靄がかかっていたのも、その胸の内が見えなかったのも、きっとそこから始まっていたのだ。
偶然にもウェインの中に幽霊が宿ってくれたおかげで、自分は心を閉ざすことなくここまで進んで来れた。
部屋に閉じこもってばかりいたヴァーミリオンが、外に顔を覗かせるようになった。食事も、誰かと一緒に取るようになった。
幽霊と会ったあの日から、ヴァーミリオンの世界には色がつきはじめた。
いつまでもこんな時が続けばいいと願っていたけれど。だから騎士の誓いも交わしたのだけれど。それがもう二度と戻ることのない日々だったと思うと、全てがどうでもよくなってしまう。
一時の落ち込みであったとしても、本来であればそんなことなど思うわけがないのに。嫌でもそう沈んでしまうのは、ウェインの中の幽霊という存在がいかにヴァーミリオンにとって大きなものであったか、思い知らされたからだ。
自暴自棄になったところで何かが変わるわけではないけれども。それでもやっぱり、いつも通りには振る舞えそうにない。
屋敷に戻りたい。自分の部屋に帰りたい。誰もいない部屋の中で、一人静かに眠りたい。天井を見つめ、これからの振る舞い方も考えなければいけない。
だけど両隣にいる二人がそれを許すことはないだろう。
一人になりたい時だってある。今がまさにその時だというのに、逃げ出すことも許してはもらえないだなんて。
だからヴァーミリオンは項垂れることしかできない。溜息を吐き出すことしかできない。
「……ヴァーミリオン様」
「なんだ」
「申し訳ありません。体の弱いウェイン君を一人にすべきではありませんでした」
シアンを見れば、眉根を潜めて、気の毒そうな顔をして肩を落としていた。
ウェインが倒れたのを自分のせいだとでも思い、責任を感じているのだろうか。そんなわけがないのに。それでヴァーミリオンに罪悪感を感じているのだとしたら、大間違いだ。
そんなことはないと言ってやりたいが、そうするとガウェイン辺りになぜそう思うのか理由を問い詰められそうな気もしなくはない。
底抜けのバカのように見せかけて、意外と他人のちょっとした感情の変化に機敏な男だ。答えを知るまで、追及してくることだろう。
理由など話して、はたしてそれをすぐに信じてもらえるだろうか。普通は信じるわけがないに決まっている。なにをおかしなことをほざいているんだと適当にあしらわれて終わりだろう。
だとすれば、なんと声をかけたらいいのか。なんと答えを返すべきなのか。他の理由を考えるべきか。
ヴァーミリオンはそう考えて、ふと気づく。
あの幽霊も、同じように悩んでいたのだろうか、と。
言っても誰も信じてはくれない。誰にも話すことができない。周囲の人間におかしな目で見られる。ならば自分の内に秘めておくしかないだろうと、そんなことを。
だから誓いを迫られた幽霊はどうしようもなく、ヴァーミリオンに打ち明けるしかなかった。逃れられないところまで来てしまったから、それ以外選択肢がなかったのだろう。
シアンがヴァーミリオンの元に連れてこなければ、彼はどうしていたのだろうか。ウェインと偽って生きることしかできなかったのだろうか。それとも選択を迫られることもなく、好きに生きていこうとしていたのだろうか。
ヴァーミリオンの元に来てしまったから、こうなった? 自分の元に来たから、追い詰められた? ヴァーミリオンと出会わなければ、この事態は避けられたのだろうか。
違う。でなければあの幽霊は、マナ不足でとっくに倒れていたところだった。いつ倒れてもおかしくはない状況だった。
そう思いたい。自分のせいで倒れたのだと思いたくないから、だからそう思い込んでいたいのに。
せめて彼の名前だけでも聞いておくべきだったと、今更になって後悔する。
ウェインではなく、彼の本当の名前を知るべきだった。
名前さえ知っていれば、いつか、どこかでもう一度会えた時、すぐに気づくことができるのに、見つけ出すことができたのに――――。
「なぁ、ヴァーミリオン」
「……なんだ。次から次へと」
「ウェインのこと、どう思う? つうか、どう思ってた?」
何が言いたい、と横目で睨めば、ガウェインは腕を組んで首を傾げていた。その視線の先には、横たわるウェインの姿がある。
ヴァーミリオンが靄に気づいていたのだ。ガウェインも知っていて当然だろう。その意味での問いかけなのだろうか。なにか聞きたいことがあるのか。
「どう思っていた、とは?」
「なんかさ、最初はお前も取り乱していたみたいだけど、今はもう平然としてるじゃん。むしろ居心地が悪そうにしてるっつーか。早くここから帰りたそうにしてるっつーか」
「……なにが言いたい」
「騎士の誓い、交わしたんだよな? ウェインがお前のパートナーになったんだよな?」
その念を押すような聞き方に、ヴァーミリオンはすぐに答えることができない。
シアンも、恐らくこちらの様子を窺っている。反応を、知りたがっている。早く答えなければ、更に疑問を持たれるだけだろう。
だけどやはり、ヴァーミリオンは顔を縦に動かすことができなかった。二人を安心させるための嘘だとしても、頷くことはできなかった。
ヴァーミリオンが交わした相手はウェインではなく、その幽霊とだからだ。あくまでも、ウェイン本人とではない。
「――――ヴァーミリオン様?」
「……どうでもいいだろう、お前達には。これは俺とこいつの問題だ」




