視線を気にしている場合じゃない
俺はガックリと肩を落とす。
普通困っている人を見たら手を貸すのが当たり前だろ、自分が同じ立場だったらどうするんだって、項垂れた。
視線が怖くてここでうじうじしている俺も俺だけどさ! 一先ずそんなツッコミは置いといて、だ!
しかしこいつらもこいつらで、ただ通り過ぎるだけなら良かった。
生徒達はわざわざ振り返り、下卑た笑みを浮かべながら、女の人に向かってまた酷い言葉を投げつけたんだ。
「こんなところで丸くなってんじゃねーよ」
その冷淡な言い方に、俺はぴくりと反応した。
「邪魔なんだよ。こいつ、アレだろ? 例の、あの気持ち悪ぃもん産んだ女。噂には聞いていたけど、本当にここで教師として働いてたんだな。なんでこの学園もこんな奴を雇ったりしてるんだ?」
「さぁ? 運営してる貴族様の息子も異常らしいから、そういう人を雇ったとしても仕方ないんじゃないか。それにその人、魔力だけはすげぇらしいからな。おかしな男とくっつかなければ、エリートにもなれただろうに」
「そんな女の授業なんかきちんと聞いてる奴いんのかよ」
「どうだろうな。化物の親っつーのは化物でしかないからな。もしかするとどこかぶっ飛んでるところがあるのかもしれないし、近づかないのが正解なんじゃね?」
生徒達は言いたい事だけを言うと、ゲラゲラと笑いながらその場を去っていた。
わざとらしく聞こえるように大きな声で話しているところが、また性格の悪さが窺える。
女の人は俯いたまま、黙々とプリントを集めていた。
言われたことを気にしていないようだった。いや、違うな。もしかしたら気にしないようにしているだけなのかもしれない。
何のことを言っているのか俺にはさっぱりわからなかったけど、アイツ等の言葉を聞いた感じでは差別しているに違いないと思った。差別っていうか、あれは完全ないじめだよな。それにヴァーミリオンのことも、なんもなく臭わせているような言い方だった。
やっぱりこんなところでも、差別。
しかも子供が、大人に対してあんな暴言を吐いていくなんて。
胸糞悪すぎて呆れてしまう。子供が言っていい言葉じゃないし、もちろん大人であろうと許される内容じゃない。
親の顔が見てみたいとはこのことだ。大体どんな顔をしているか、想像はつくけども。
俺は急いでその人のところに駆け寄った。
視線がどうこう気にしている場合じゃない。俺だけでも手を貸してやらなきゃいけないと思った。
フォルトゥナ卿はこのことを知っているんだろうか。知っていて対策も取らずに放置しているんであれば、大問題だ。自分の息子だって、酷い目に遭っているってのに。
あんな生徒を野放しにしておけば、いずれヴァーミリオンまでこの学園内で同じようなことをされるかもしれない。
「大丈夫ですか?」
「……?」
「手伝います。ここに落ちてあるもので全部ですか? どこかに飛ばされたりしませんでしたか?」
女の人は不思議そうに、声をかけた俺をぽかんと見上げている。
初めは自分に声をかけられているのかさえ、気づいていないようだった。
返事を待つことなく、俺は散らばったプリントを拾い集めていく。
「……こんなもんかな。はい、どうぞ」
「――――なぜ、手助けを?」
「なぜ……って。誰かが落とした物を拾うって、当然のことでしょう? 困っているなら、尚更」
「貴方、今年の受験生よね。私の噂を知らないのかしら……。どうせ今のも見ていたんでしょう?」
「噂がどうとか、俺は別に気にしないです。困っている人を見掛けたら、助けるのが当たり前だと思っているので! で、これで全部ですか?」
「……助かったわ。ありがとう」
いえいえ、お構いなく。そう言えば、髪の毛と同じ小紫色の瞳が俺の姿を映し出した。
でもさっきまでの恐怖感は感じなかった。
むしろ、助けて良かったと思える程、俺の胸はスッキリしていた。
女の人が綺麗で儚げな笑みを浮かべた。
「変わっているわね、貴方」
「そうですか? 別に普通だと思うけど」
「いいえ、変わっているわ……。やはり、別の世界から来た人間だからかしらね。此処にいる連中とは違い、素晴らしくお人好しな考え方だわ。模範的で、見習ってほしい程」
え? と瞳を覗き込めば、手渡したプリントを快く受け取ってもらえた。
「貴方のような人間が此処にいたなら、私もねじ曲がることなく生きていけたのかもしれないわね。残念だわ」
「あ、の……?」
「だが許すことはできない。私はお前に妨害された。お前のせいで、こんなにも余計な手間を焼くことになった。無駄な時を過ごす事となった。すぐに終わる問題が、お前のせいで長引いてしまったのだ。私は私の邪魔をする者をそう簡単に許せる程、甘くはない」
なんのことを言われているのかわからず、呆気に取られた様子で女の人を見つめる。
するとプリントを受け取った女性はすぐにその場を立ち上がり、踵を返すとどこかへ行ってしまった。
その背を見て、首を傾げることしかできない。
俺が、あの人の邪魔をした……? 一体、いつ? 今日初めて会った人に、邪魔。はい?
「……屋敷に来てから外にもあまり出たことがないし、外の人と接触すらしたことのない俺が、邪魔。人違いでもしてるんじゃないか……?」
もしかしてさっき会場内でこっちを見ていたのも、実はただ視線を送っていたんじゃなく、俺のことを睨んでいたとか? だからあんなにも恐怖を感じた……? え、それって勘違いってやつじゃないのか。
手助けしたのはいいものの、なぜだか後味が悪い。複雑な胸中だった。
自分の知らない内に、本当に誰かに不快感を与えていたのだとしたら、ただただ申し訳ないんだけど。
「……はぁ」
佇む俺は溜息を吐き出すことしかできない。
とりあえず、さっきまで立っていた場所に戻ろう。
ヴァーミリオンにもそれとなく話してみよう。こんなこと言われたんだけど、実際そんなことしたのかなって。いつも一緒にいたヴァーミリオンならわかるかも知れないし。
なんだか災難だなぁと思いつつ、立ち上がり歩き出そうとすると。膝から下に力が入らず、がくんとその場で転んでしまった。
「……あれ」
躓いてしまったんだろうか。でも、段差とか特になかったよな、ここ。なんでこんな何もないところで転んでるんだろ、俺。
おかしいな、と思いつつ、腕に力を入れて体を起こそうとするけど、力が入らない。全く入らない。
俺は首を捻る。貧血か?
こんなところで倒れたままでいたら何を言われるかわからないし、早く体を起こさなきゃいけないと思うのに、ダメだ。全っ然動かねぇ。
マナ不足? そんな感じは全然ないのに? どうしたんだ、ウェインの体。
倒れたまま、じっと先を見つめていると、視界がまた遠くなっていく。
この間、部屋で一人倒れた時と同じように、意識がずるずると後ろへ引きずられていく。
あ、まずい。そう思うものの、考えた時にはもう抗うことができない。
部屋ではヴァーミリオンが引き止めてくれたから留まることができたけど、そのヴァーミリオンが今はいない。
ということは……。ということは、引っ張られていくだけ? なにも抵抗もできずに、どこかへ飛ばされようとしている?
「――――っ」
恐ろしくなった俺は必死に体を起こそうと、意識の中で踠く。だけどそんな頭の中で足掻いたところで、体が動くわけじゃない。
怖い夢を見た時だって、起きろ、起きろと自分に呼びかけるけど、実際すぐには起きることができないだろ?
似たような感じだとは思うけど、だけど全く違うのは今の俺が寝ているわけじゃないってことだ。
起きているのに、意識だけが引きずられていく。
首根っこを掴まれて、ずるずるとどこかに連れ去られていく。
どうしよう。やめろとその場で暴れてやりたいのに、でも、どうにもできない。視界は遠ざかっていくばかりで、もう戻れないところまで引きずられてきてしまっているようだ。
なんで? どうして? こんなタイミングで?
ヴァーミリオン。
主の顔が、一瞬だけ脳裏を過ぎっていく。
試験まで受けて、これからフォルトゥナ学園に入学。大事な時だっていうのに、俺は……俺は。
まだ二人で踏み出したばかりだっていうのに、こんなところで脱落だなんて。
なんでここぞという時に風が吹くんだよ。どうして俺を今吹き飛ばそうとするんだ。
向こうの家族の時と同じで、不意打ちすぎて挨拶すらできなかったじゃないか。
悔しいだろ、こんなの。悔しいじゃないか。
ごめんな、ヴァーミリオン。本当に、ごめん。
一緒に頑張っていこうとしていたのに、これからだっていうのに。
歯を食いしばっても、どう抗っても、体は二度と動くことはなかったし、気づけば俺の視界には暗闇が広がっていた。
意識もそのまま、闇の中に溶けていった。
遠くから、ヴァーミリオンの叫ぶ声が聞こえたような気がした。




