泣きそうな顔、倒れたら論外
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俺の視界いっぱいに広がるのは相方のヴァーミリオンの顔だ。見慣れた顔がそこにあるだけで、胸を撫で下ろす。
それだけのことなのに、どうしようもなくほっとしてしまった。怖かった。本気で、怖かったんだ。
堪らず俺は俯いた。
「……どうしたの、ウェイン」
ヴァーミリオンの隣にいたステファニーが顔を覗かせる。
俺の異変に気づいたんだろうか。こっちを覗き込んだ瞬間、その青い瞳が微妙に波を打つように揺れた。
「泣きそうな顔をしているわね……。二人でコソコソ耳打ちで話して、もしかして卑猥な言葉でも投げつけられたのかしら」
「そんなことするわけがないだろう。どこぞの腐った考え方をする奴と一緒にするなよ。第一、なぜそれで泣く」
「所謂言葉責めってやつじゃないのかしら。それとも屈辱的な思いでもさせられた? 試験に落ちたらお前は今日から騎士ではなく俺専属の使用人だ、みたいな」
なんて緊張感のない会話だろう。
とてつもなく怖い思いをしたはずなのに、その抜けた会話が今はとても安心する。
俺は大きく息を吐いて、胸元を押さえた。
心臓は動いている。吸い込まれてない。大丈夫。まだ俺は、ここにいる。きちんとウェインの中に在る。
さっきの視線をどうにか消してやりたくて、俺は振り払うように乱暴に頭を振った。
あの人のほうはもう振り向くことができなかった。振り返りたくなかった。目を合わせれば今度こそ吸い込まれてしまいそうだと、不安が俺を襲う。
「俺専属の使用人……? どういう意味だ」
「貴方のような素人にはわからなくてもいい話よ。今の言葉は忘れてちょうだい、もしくは聞き流しなさい。ウェインが穢れて傷ついた時は私が引き取って心のケアをしてあげるから心配しないで」
「心のケア」
「言ったでしょ? 素人にはわからなくてもいい話なの。意味を理解する必要はないわ。ね、ウェイン」
賛同を求められ、でも俺は困ったように笑うことしかできなかった。余裕も何も、なかった。試験前に交わす話じゃないな、とは思っていたけど。
曖昧にして二人の話に耳を傾けていたら、 気づいた時には一部の人達が移動を始めていた。
やばい、試験官の話を聞いていなかったと焦ってしまうけど、どうやら名前を呼ばれた順から実技の試験を行うようだった。
「……大丈夫か?」
「ヴァーミリオン」
「調子が悪いのであれば早めに俺に言えよ。こんなところで倒れでもしたら論外だからな」
わ、わかってるよ、そんなこと。倒れたら、こんな奴が本当に騎士になれるような男なのかって学園の関係者を含め、周囲の生徒達からも見下されることになるかもしれないんだからな。絶対に、倒れるわけにはいかないさ。
顔色を変えた俺の様子を見兼ねてか、ヴァーミリオンは言葉を続ける。
「……それに、あの女はもうここにいない」
「え?」
「移動したようだ。試験官か、面接官なのではないか? 余程あの視線に嫌な思いをしたようだな。いつも以上に顔色が悪い」
そんなことはないよとはぐらかしてみるものの、ヴァーミリオンは心配そうにこちらを見つめていた。
女の人がいなくなったという言葉にとりあえず安堵し、俺もヴァーミリオンの視線から逃げるように振り返って、もう一度あの人がいたところを見てみる。すると確かにそこに教師達の姿はなくなっていた。
みんな、試験会場に移動していったんじゃないかな。
俺はなんとなく気になって、ヴァーミリオンに背を向けたまま、一つ聞いてみた。
「……ヴァーミリオン」
「なんだ」
「俺、大丈夫だよな? ここに、いるよな?」
「……」
ばし、と背中を強く叩かれる。
思わず咳き込みそうになるけれど、ヴァーミリオンは特に何も言うことなく前を向いていた。
こんな不安に襲われた状態で試験ってメンタルが最悪なんだけど、きちんと集中できるんだろうか。なにか大きなミスをしでかさなきゃいいけどなぁ……心配だ……。不合格なんてことになったらどうしよう、とまた沈みそうになる。
背中を丸めようとする俺の頭を、ヴァーミリオンは活を入れるように叩いたのだった。
五分もすれば、俺の名前が呼ばれた。
緊張でガチガチの中、直前にヴァーミリオンに「以前のへっぴり腰に戻っている」と叱られてしまった。
そ、そうだよな。最初から姿勢がこんなんじゃ受かるものも受からないって話だよな。
俺は背筋を真っ直ぐに伸ばして、主に「ありがとう」とだけ伝え、試験に挑んだ。
実技の試験は、試験官と一定時間剣を交えるものだった。ただし向こうはこちらの剣を受け止めるだけで一切踏み込んではこないので、一方的に俺が剣を構えて相手に挑んでいくっていう形なんだけれど。
だけど始めて数分で、俺は心が折れそうになってしまった。
もしかすると実技って剣の腕がどうこうじゃなく、体力を見るためのもんなんじゃないかって途中で気づいたんだ。
ヘロヘロになりながらも、俺は試験官に必死の思いで剣を向けていた。簡単なように見えて、想像以上に酷だった。
どのくらい続けなければいけないのかわからない分、体力が持たない。
これは俺には不利だ……。ただでさえ小さい体で、ただでさえ心臓の動きも弱いのに、辛すぎる。
相手が向かってこないだけ、まだマシだった。
さっきの恐怖で集中力が途切れるんじゃないかって心配をしていたけど、そんな必要はなかった。打ってこないから相手の動きを気にすることもないし、ただ隙がありそうなところを見つけて自分から踏み込んでいくだけだし。むしろ逆に体力が持たず、倒れるんじゃないかってほうが心配になってきた。
口の中はカラカラで、息が上がっていて、終わる頃には膝がガクガクで動けなくなっていたけど。
面接はこの学園に入って、その後はどうしたいのかを聞かれた。どんな主の元に就きたいか、どんな仕事でも受け入れられるか、主に対し忠誠を誓えるのか。あとは剣を握るようになった理由。
そう頭を悩ませるような難しいことは聞かれず、俺は俺なりに質問に答えた。
その後はどうしたいかなんて、決まってる。
ヴァーミリオンが安心して背中を預けることができる、立派な騎士になりたいということだけ。
だってそのためのフォルトゥナ学園だし、ヴァーミリオンの傍にいれば必然的に誰かを守ることもできるし、他意はないよな。元々ウェインも騎士になりたがってたんだし、俺にはそれ以外に答えが見つからない。
ウェインのためでもあるし、俺のためでもある。
剣を握るようになった理由なんて、ウェインは、というより剣道を始めた比呂のキッカケを熱弁してきた。
緊張はしたけど、ヒーローに憧れていることを話し始めたら止まらなくなって、けっこう長い時間を使って試験官に一方的に語ってきてしまった。
ぽかんと口を開けて、呆然としていた試験官のことなんて、なんのその。俺は俺の熱意を時間いっぱいに使って話してきたのである。
久しぶりにヒーローについて力説できて、スッキリした。
ヴァーミリオンは俺よりも後に呼ばれていたので、先に終わった俺は一人会場の外で、主の帰りを待っていた。
ステファニーも俺より後だったらしく、まだ終わっていないようだった。
ヴァーミリオンは不安要素が全くないので心配する必要はないとして。ステファニーはどうなんだろう。打ちひしがれていなきゃいいな。剣なんて握ったこともないんじゃないだろうか。
いや、その前に試験って俺は騎士候補だから剣を使った実技があったわけで、主候補となればまだ試験内容も変わるんじゃないか。必ずしも主に剣が必要ってこともないし。
ヴァーミリオンは剣を握った姿も様になるけど、ステファニーの場合は剣というよりも……ペン。ペンを持ってスケッチブックやキャンバスに向かっていた方が様になる。
あとで帰りの馬車の中でも話を聞いてみようか。試験の内容について。
主に騎士と同じものを求めようとしても、全然違う問題だってな。なんてったって、雇う側だし。
二人共、早く戻ってこないかなー、と壁に背を預けたまま空を仰ごうとすれば。
顔を上げたその先で、今はどうしても避けたいものを見てしまったような気がして、俺はぎくりと体を強ばらせてしまった。
少し離れた位置で、先程試験会場で視線を交わしていた例の女の人が、その場にしゃがみこんで何かをしていた。
ひくりと、顔が引き攣る。
こんな時に会いたくない人に会ってしまったと、俺はつい蟀谷を押さえたくなった。
地面にはプリントが散らばっている。恐らくなにかの拍子でかなりの枚数を落としてしまったんだろう。一人でせっせと拾い集めている。
なんでこのタイミングで会ってしまうんだろう。よりによって、俺しかいないこんな時に。
手伝いに行くべきか、と足を踏み出そうとするものの、さっきのあの魔法をかけられたような妙な視線がどうにも頭から離れない。正直に言って近づきたくない。
怖いものにわざわざ自分から首を突っ込んでいかないだろう。
警戒して、ここは止めておくべきか……。もしくはヴァーミリオンかステファニーが来てから助けに向かうべきか。
だけど、困っている人を放っておくっていうのは俺の矜持に反することだ。目に入れないようにしても、どうしても気になってしまう。
俺の前でそんな困ったような姿見せないでくれよ……。
助けに行きたいけど……、でもさっきの恐怖を知っているから、躊躇ってしまう。
俺のヒーローとしてのプライドと、あの人への警戒心が、自分の中でぶつかり合っている。
助けたい……代わりに拾ってあげたい……でも間近であの瞳を見たらどうなるかわからないから、やっぱり怖い……。だけどそんな思いとは反対に手を貸したい気持ちにもなるんだけど、ホントどうしたらいいのコレ!!
頭を抱えて悩んでいると、近くを少年二人が通りかかった。
俺は頼みの綱がやって来たとばかりに、ぱっと瞳を輝かせる。
同じ服を着て歩いているところを見ると、どうやらこの学園の生徒だろうか。
白いブレザーに白いワイシャツ、青いズボン、ネクタイは青と紺のチェックに星の形をしたシルバーのピンがついている。
あれは、制服……? 随分オシャレな恰好だけど、向こうの世界とそんなに変わらないデザインをしているな。私立の高校生みたいな格好だ。
二人はおしゃべりをしながら、あの人の傍を通り過ぎていく。
もしかしたら俺の代わりにプリントを拾うのを手伝ってくれるんじゃないだろうかと、ほっと息を吐き出したのも束の間。
彼等は特に気にする様子もなく、目も向けずに通り過ぎていってしまった。




