アーレス・ゲインズ・フォルトゥナ卿
俺だってそんな自信が欲しいよ……。
向こうでも受験の時は緊張して大変だったもんだ。どれだけ気が小さいんだと、母さんに呆れられたこともある。でも緊張するもんはするもんだし、こればかりはどうしようもない。習い事やら何やらせたって、そこは変われなかった。
ヴァーミリオンのようにどっしり構えてみたいもんだよ。どうしたらそんなに自分に自信が持てるようになるんだろうな。やっぱり日々の鍛錬の賜物か?
高校の入試で受けた面接でだって、俺は内心緊張しまくりで腹が痛くなっていた。
重苦しい溜息を吐き出しそうになれば、今度は会場内で急に拍手が沸きおこる。試験官の話を聞いていなかった俺はびくりと体を震わせた。
なんだ、一体なにが起こった!?
焦って周囲をキョロキョロと見渡せば、皆の視線は壇上へと向けられていて。
同じように俺も目を向けてみると、そこにはいかにもお偉いさんといった風貌の、中年の男の人が立っていた。
身なりも、纏った空気も、その辺にいる人とは一目で違うとすぐにわかる。
髪の毛はきっちりと綺麗に後ろへまとめあげられ、気品があり、見るからに高級そうな服を着て壇上に立つその佇まいはすでに上流貴族であることに違いはない。いかにもジェントルメンって雰囲気だ。
でも俺、この人をどこかで見たことがある気がするのはどうしてだろう。会ったことがないはずなのに、一体どこで――――。
「……父様」
隣に並ぶヴァーミリオンが、ぽそりと呟く。
横を見れば、ヴァーミリオンは眩しそうに壇上を見つめていた。
俺の頭の中で、彼の言った言葉が繰り返される。
父様……。父様? あの人が、ヴァーミリオンの父親?
あぁ、どこかで見たことがあると思ったら、それか。俺が屋敷に来たばかりの頃、客室に飾られていたあの写真。
気難しい顔をした兄弟と一緒に写っていた、優しい雰囲気が滲み出ていた父親、その人。
ヴァーミリオンは数年振りに自分の父親を直接目に映したんだ。だから思わず胸の内で呟いたはずの言葉が、外に漏れてしまったのかもしれない。
「ヴァーミリオン」
「……」
口がへの字に曲がっている。
眉間にはぐっと皺が寄せられていて、目には力が入っているように見える。
父親に対し、なにか想いが込み上げてきているんだろうか。それとも、泣きそうになっているのを必死に堪えている?
なんにせよ、俺が知る限り彼は十歳の頃から家族に一度も会っていないんだ。
本当だったら駆け寄って、言葉を交わしたいのかもしれない。もしかしたら、抱きしめてほしいのかもしれない。元気か、って、そんな一言でもいいから声をかけてほしいのかもしれない。
親と離れて暮らしていたからこそ、その衝動が強く出ているんじゃないだろうか。
いくらシアンさんや俺が傍にいたって、親の代わりにはなれないから。家族に会えない寂しさを埋めるのは、家族にしかできないことだと思うから。
「フォルトゥナ学園への入学を希望してくれた皆、おはよう! そしてっ、御機嫌よう! 俺がアーレス・ゲインズ・フォルトゥナだ! もちろん名前ぐらいは知っているよな? 知らなかったら凹むぞー? 落ち込むぞー?」
フォルトゥナ卿の第一声が、マイクを使わずに会場内へ飛び出す。
「今年もこんなに沢山の主候補に騎士候補がこの場に集まってくれたこと、感謝する! 一定の実力さえあれば皆、この学園が責任を持って君達を一人前の主と騎士に育て上げるからな! いいか、自分に自信を持って試験に取り込むように! 君達が一歩踏み出せずに引いてしまいそうになるのは、そこに自信がないからだ! 実技試験は胸を張って、前を見て、相手の動きをよく見てみろ! きっと何かが見えるはずだ! 俺はここにいる全ての者を応援しているぞ、頑張ってくれよ! 以上だ!」
思っていたより砕けた言葉に、俺は唖然とする。
侯爵ということもあり、もっとお堅い人だと思っていたんだけど、真逆のようだ。
壇上をよく見たら、フォルトゥナ卿の後ろにはシアンさんとガウェインさんの姿が見える。二人共、きちんと騎士として仕えているんだ。フォルトゥナ卿の護衛かな?
気づくかな、と控えめに小さく手を振ってみると、シアンさんが微笑んでくれた。
あ、気づいてくれたと嬉しくなれば、更にそれに気づいたガウェインさんがニカッと笑い、大きく手を振ってくれる。出てはいないけど、「おーい」と呼びかける声まで聞こえてきそうだ。
や、フォルトゥナ卿が話をしている時にそれはまずいんじゃ……。相変わらずアクションが大きすぎるっていうか、でもガウェインさんらしいというか。
周りの受験生がちらちらとこっちを横目で見ている。俺は気まずそうに笑みを浮かべることしかできない。
シアンさんも隣で呆れたようにガウェインさんを睨んでいる。
あとで絶対シアンさんに怒られるパターンだよ、ガウェインさん……。も、もうそれ以上手を振らないでくれ。見ている俺のほうが萎縮しちゃうってば……。
ヴァーミリオンまで隣で盛大に溜息を吐き出している。
「……相変わらずだな。焚き付けたのはお前みたいだが。変な意味で注目を浴びることになるのはやめてくれ」
「や、まさかあんなに大きくリアクションしてくれるとは思わなかったんだよ……。反応しても笑って返してくれるぐらいかなって思ってたんだけど、さすがガウェインさんだな」
あはは、と眉を下げて笑えば、ヴァーミリオンは肩を竦めて呆れた様子を見せた。
試験官の横には、フォルトゥナ学園の教師と思われる人達が数人並んでいる。
男の人に、女の人に、じいちゃんに……ん?
教師を眺めていると、その中でも黒いローブに包まれた女の人と偶然目が合ってしまった。恐らく噂のヴァーミリオンを見ているのだろうと思ったけど、どうやら女の人は俺のことを見つめているようだった。
どうしてか逸らすに逸らせず固まったままでいると、にこりと微笑まれた。
小紫色の腰まで伸びた髪をまとめることもせずにそのままにし、その長い髪の毛が輪郭を隠していて表情はよくわからないけど、今の俺の位置からは微笑んだように見えた。
恐らく綺麗であろう女の人と目が合って、それに加え笑みを浮かべられたら嬉しくないわけがないけど、なぜだか俺は「怖い」と感じてしまった。
背筋の辺りをぞくりとするような、何とも言えない恐怖感が体の中を駆け抜けていく。直感的にそう思ってしまったんだろうか。
初めて会った知らない人を怖いと思うだなんて、どうしてだろう。
女の人と今俺が立つ位置は、離れている。
遠いのに目が合っていて、なぜかその瞳を見ていると吸い込まれそうな気がしてならない。
これ以上見つめてもどうしようもないのに、なぜか視線が逸らせない。早く逸らした方がいいと、もう一人の俺がどこかで声を上げている気がするけれど、動かない。相手に視線を送り続けているのはきっと失礼だ。向こうだって、どうしてこっちを見ているんだと不思議に思っているかもしれない。
「……知り合いか?」
ヴァーミリオンが声を小さくして、耳元に話しかけてくる。
ヴァーミリオンも、あの視線に気づいている。それなのに女の人は視線を戻すこともしない。相当俺に対し、興味でもあるんだろうか。
尚も視線を逸らすことができないまま、俺はヴァーミリオンに言葉を返した。
「全然知らない人だ。すごい熱視線に火傷しそうなぐらいですよ。ていうかヴァーミリオン、ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
「頼みたいこと?」
「俺の頭を掴んで、そっちに首を回してくれないか」
は? とヴァーミリオンの怪訝な声がする。
「今度は緊張しすぎて自分の顔まで動かせなくなったか」
「そうじゃねぇよ! そうじゃないんだけど、このままあっちを向いてるのはさすがに気まずい」
「ならば自分で動かせばいいだけの話だろう。ステファニーの次はあの女か。見た目に寄らず、随分と目移りの激しい男だな」
んなわけないだろ! 俺は年上より年下のほうが好みなの! って、今はそんなこと言ってる場合じゃねぇ!
それよりも冗談じゃなく、真面目に目が逸らせないんだ。まるで蛇に睨まれた蛙のように、動くことすらできない。いつまでこんな状態が続くんだろうって、なんでか俺が泣きたくなってくる。
緊張なんて、なんのその。むしろさっきまで緊張していた状況のほうが可愛らしいもんだよ。睨まれているわけでもないのに、どうしてここまで気まずくなるんだ。ふと目が合っただけなのに。まるで魔法でもかけられた気分だ。
目が離せなくなる魔法。なんのこっちゃ。
「お前、本気でそう思ってんのかよ……!」
「ありえない話ではないからな。女好きを咎めるつもりはないが、不祥事だけは止めておけよ。お前の尻拭いをする気はないからな」
「……この、大バカ野郎!」
「はぁ。まったく、仕方のない男だ」
ヴァーミリオンが俺の頭を掴んで、ぐるりと首を動かす。




