知らない声、動かない体
あれ、またマナでもなくなったんだろうか。
空っぽになったような感覚もないんだけれど、誰もいない時に倒れるって、なんてタイミングだ。
ということはしばらく動けないと考えて、部屋で一人天井を見上げ、誰かがここを覗きに来るのを待つしかない。
調子が良いと思っていた矢先にこれだぜ。忘れた頃にやってくるんだよな、こういうのって。
なにがもう少しに気楽にいけばいいだよ。やっぱり油断禁物じゃないか。
動けないから焦ったところで仕方ないというのは、この三年の間でよくわかったんだ。ヴァーミリオンかシアンさんが来てくれるまではこのままだ。
地面に縫い付けられ、とりあえず時が過ぎるのをぼーっと待っていると、俺の耳にボソボソと聞き覚えのない声が聞こえてきた。
瞬間、体に緊張が走る。
え、誰もいないのに声が聞こえるっておかしくないか? 俺以外この部屋には人の姿なんて見当たらないのに!
な、なんだ!? 誰だ!? 誰が俺に話しかけてきているんだ!?
『――――……』
囁きかけているんだろうけど、何言ってるのか全然わかんねぇ……!
でも声はボソボソと俺の耳の傍でしきりに話し続けている。
もしかして体が動かないのって、金縛りか!? 俺、金縛りにあってるのか!? 幽霊が俺をここに縛りつけているってのか……!
同じ幽霊のくせに、なんでわざわざ俺のところにやって来るかなぁ! 同族ですよ、こちらも!
『…………らへ』
えぇ、なんだって!? らへ!? らへってなんだ!!
よくわらかない気持ち悪さが俺を覆ってくる。せめてハッキリ言ってくれ、イライラするから。
『……こちらへ』
俺は天井を見上げたまま、息を呑む。
なんだ、この幽霊。ウェインを呼び込もうとしているってのか。こっちに来いって……まさか俺をこの体から引き離して、幽霊同士仲良くしましょうって魂胆じゃないよな?
おいおいおい、ここまで来て勘弁してくれよ……。引っ張れる近い者を見つけて喜々として話しかけているってのか。
嫌だ嫌だと胸の中で呟きながら、必死に心の中で抗うことしかできない。
幽霊に対抗する手段ってなんだよ、わかんねぇよ! 塩を撒くことぐらいしかわかんねぇ!
『早く、こちらへ。貴方のいるべき場所は、ここではない……』
今度はハッキリと聞こえた言葉に、俺は完全に固まってしまった。
俺のことを知っているような言い方にしか聞こえなくて、息が詰まる。
ということは、同じ幽霊に見透かされているのか……? 体の中身が本人じゃなく、取り憑いている霊だということに。
やっぱりそれって奴等にしてみたら許されないことなのか? 俺を今すぐ引きずり出そうとしているのか? 羨ましいからその体をよこせってんなら断固として拒否するからな! 拒否だ、拒否! 他所をあたってください。
だけど瞬間、意識が引っ張られていく。ずるずると半ば強制的に連れていかれようとしている。掃除機に吸われているみたいだ。
なんだ、これは。ゆ、幽体離脱ってやつか? このままだと、たぶん完全に引きずりだされてしまう。
視界が、遠くなっていく。
不思議な感覚に驚愕しながらも、俺はただ天井を見つめることしかできない。
湯船に溜められていた水が、栓が抜かれて吸い込まれていくような感覚に似ているといえばいいのか。
天井が、段々遠くなっていく。
このままじゃ俺、ウェインから離れてしまうんじゃないか……?
これからフォルトゥナ学園に入学するっていう大事な時に、こんなところで脱落だなんて、ヴァーミリオンに顔向けできないどころの問題じゃないぞ。挨拶もなにもできてないのに、いきなりぽっくり天国へ旅立ってしまうだなんて、そんな。神様って、なんで意地悪なんだ。
『大丈夫、なにも心配をする必要はない……。自分の本来在るべき姿に戻っていくだけだ。恐れることはない』
そんなこと言ったって、心の準備ができていないんだ。
この体でやるべき事が俺にはまだ残ってる。
そんなのそっちの事情だろ、なんて言うなよ。俺からしてみたらそっちだって、そっちの事情でしかないんだから。
まだウェインから離れたくない。離れるわけにはいかない。でも視界が遠のいていくばかりだ。
くそ……っ、どうしたって俺をここから引き剥がそうとするつもりか!
なんとか意識を保とうと試みるものの、沈んでいくばかりだ。されるがままに、引きずられている気がしてならない。
このまま呑まれるばかりかと覚悟するも、それは突如遮られた。
「……っ、どうした!!」
瞬間、穴に栓を閉められたように意識が浮上し、視界がじわじわと戻っていく。
遠く離れていこうとしていた天井が、また同じ位置に広がり始める。
声は聞こえなくなり、金縛りも解け、縫い付けられていた体も自由に動かせるようになった。
はっ、と我に戻った俺は咄嗟に体を起こす。
声のした方を振り向けば、そこには先程自分の部屋へ戻ったはずのヴァーミリオンが立っていた。
ヴァーミリオンが急いで駆け寄り、俺の額に手をかざす。
「マナが不足しているようには見えないが、大丈夫か? 体の調子が悪いのか?」
「……いや、そうじゃない。そうじゃないんだ、けど……」
気になり、辺りを見回す。
やっぱり、ヴァーミリオン以外この部屋には誰もいない。なんだったんだろう、あの声は。
幻聴なんかじゃない、あれは絶対に誰かが俺に直接声をかけていたんだ。
体に寒気がする。まだどこか近くから見られている気がしてならない。
「一応マナを補充しておくぞ。じっとしていろ」
ヴァーミリオンがマナを分け与えようとしてくれている。でも俺はその額にかざされた手を、止めるように掴んだ。
「……どうした」
「ご、ごめん。でも今のはマナ不足とか、そういうんじゃないんだ。だから大丈夫」
「だが」
「本当、大丈夫だって。なんでもないよ」
どこからこの視線は送られているんだろう。
今も、どの方向からかわからないけど、誰かに見られている。ちくちくと、視線が全身に刺さる。
こんな感覚、初めてだ。
本物の幽霊がこの部屋のどこかで俺を睨んでいるんだろうか。
「ちょっと疲れてんのかなぁ……? バタバタ動きすぎて目眩を起こしたみたいだ。元々体調が良くないのに無理しちゃったかな。ごめんごめん、今度からは倒れないよう気をつけるよ」
嘘くさい芝居にヴァーミリオンが見透かしたような瞳を向ける。だけど、変に突っ込まれるわけにはいかない。
俺はなにか言われる前にチェストに向かい、服を取り出してみせた。
「とりあえず、これから服をまとめるから。ヴァーミリオンはもう部屋の整理は終わったのか?」
「……まぁな」
「俺も早いところ片付けなきゃなー。まぁ徐々に始めていきますか。横になってる場合じゃないってな。どっこいしょっと」
ヴァーミリオンに背を向けて、せっせと支度を始める。
まだ幽霊が俺を見ているかと思うとゾッとするけど、勘づかれるわけにはいかない。
姿形のない相手がヴァーミリオンに見えるかといったらそうじゃないけど、こんなこと、こいつには言えない。
自分の屋敷に幽霊がいるなんて知ったら嫌だろう。
すでに俺が幽霊だけど、それとこれとは話が別だ。俺は怨霊でも地縛霊でもない。
「……」
また違う意味で背中に強い視線を感じるけど、今は無視するに限る。
確実に違和感を抱いているだろうヴァーミリオンを背に、俺は黙々と支度を続けるのだった。
そしてそれから数日後。
俺とヴァーミリオンは馬車に乗って、フォルトゥナ学園の試験会場へと向かっていた。
俺とヴァーミリオンが並んで座るその向かい側に、なぜかステファニーも一緒に。どうしてか、ステファニーも一緒に。
馬車の中は異様な空気だった。若干一名が温度を下げたせいで、非常に息苦しくなる。そう、なんとも言えない気まずい空気。
ヴァーミリオンは数分毎に舌打ちを繰り返し、ステファニーといえば窓から景色を眺め、鼻唄を歌っている。
一方はピリピリした空気。一転、向こうは和やかな空気。
やっぱり怖い二人だった。
俺だけ息が詰まりそうだった。息が詰まって、苦しくて苦しくて、本当に色んな意味で倒れてしまいそうだった。
俺、これから試験を受けなきゃいけないんだよな? これ、試験を受ける前の雰囲気じゃないよな?
いくら試験は問題ないと言われていても、少なからず緊張はしているわけだよ。




