私の夢への踏み台
「へぇ、そうなの。とりあえずそこから動かないでちょうだい。私、いま忙しいの」
「残念だが俺はそう暇ではない。動くなと言われて理由も聞かずに動かずにいるわけにはいかないな。馬鹿に付き合っている時間が惜しい」
「相変わらず噂通り愛想もクソもない男ね。申し訳ないけど、今はその貴重な時間を割いてその馬鹿に付き合ってくださらないかしら、ヴァーミリオン様? なにか閃きそうなのよ。すっっっっごく良い案が思いつきそうなの。私の未来を決める最大のチャンスがここで到来よ。だから絶対に動かないでね。動いたらアンタのこと、後ろから刺しちゃうかもしれないから。本気でメッタ刺しにするかもしれないから」
ステファニーが微笑みながら恐ろしいことを口にして、ヴァーミリオンの顔に一気に苛立ちが走る。
二人の一触即発な雰囲気に勝手に体がぶるぶると震え出す。
ひぇぇ、主相手に絶対そんなこと言えない。だってそんなこと言ったら、逆に俺の方が殺られてしまう。
俺が屋敷に三年もいて会ったことがないんだから、ヴァーミリオンも彼女とは普段から顔を合わせたりしていないんだと思うけど、それでもなんなのこの剣呑な空気。なんで仲が悪いの? 元々犬猿の仲なのか? むしろどうしてステファニーはこの屋敷にいるんだ?
「お前に俺を刺せるとは思えないがな」
「やろうと思えばやれるわよ。アンタいつもそうやって他人を見下してるけど、そろそろいい加減にした方がいいんじゃない? いつまでもツンツンしちゃって、子供のくせに何様よ」
「お前に言われる筋合いはないとだけ言っておこう。それよりもこんなところで何を描いている。絵描きなら自分の家でやれ。ここで描くな」
「だから動くなって言ってんでしょうが! アンタには私の夢への踏み台になってもらおうと思ってるんだから! これじゃあ台無しになっちゃうでしょ!」
夢への踏み台? 絵を嗜んでいるということは、ステファニーは芸術家でも目指しているんだろうか。
もしかして動くなって言うのは、今俺達の構図が彼女の求めるものとぴったり重なっているから、すぐにでもデッサンしなきゃ気が済まないってこと? だからあんなにも大きな声を出して怒ったりしているのか?
だからといってヴァーミリオンに踏まれたままのこのポーズを保つのも、なかなかに大変なんですが。
「……ステファニーの夢って芸術家なの?」
「貴方は貴方で他人に物を聞く前に名乗りなさいよ。人の名前は知っているくせに、自分は名乗らずおしゃべりを続けようとしているだなんて無礼よ」
「ご、ごめん。俺はウェインっていうんだ。ヴァーミリオンの騎士で、三年前からここに住んでます」
「へぇ、こんな変わり者の騎士になるだなんて、貴方も相当変わってるのね。もう知ってるだろうけど、私はステファニーよ。この男とは従兄弟なの。よろしくね、ウェイン」
見た目とは裏腹に、けっこう性格がきつそうな女の子だな……。ヴァーミリオンと同じで思ったことは率直に言うタイプみたいだし、高慢さを臭わせるような言葉が節々にあって、嫌でもそう感じてしまう。貴族様全開だ。
で、でも、可愛いからいいんだけど! 性格がきつくても、見た目が可愛いなら……う、うん。許容範囲だ。
「で、なんで絵なんて描いてるんだ?」
「言ったでしょう? これは私の夢のためなの。まだまだ勉強中の身なんだけどね。でも新しいビジネスとして広げるために、今から少しずつ布教活動を始めようと思っているところなのよ」
「……それが絵なの?」
「そうなの! たまに気分転換でこの屋敷に遊びに来てみたら、可愛らしい子が一人増えているじゃない! 良いインスピレーションが浮かんだのよ! だからこれはチャンスと踏んだの!」
チャンス……。可愛らしい子が一人増えてるって、それってきっとウェインのこと……だよな? それが一体なんのチャンスに繋がるって言うんだろう。
でも絵画っていうとすでにこの世界でも展開はされていると思うから、彼女の言う新しいビジネスにはならないんじゃないだろうか。
普通の絵で勝負、じゃなくて、なにかもっと違うところで売り出す気なのかな。変わった絵を描いているだとか。
動くなと言われたからにはそう簡単に動き出すわけにもいかず、困ってしまった。
ヴァーミリオンといえば、そんなステファニーのお願いなどなんのその。聞く気もなく、ずかずかと彼女のほうに向かっていってしまった。
その瞬間、ステファニーが鬼の形相になる。
やばい。やっぱり離れてはいるけど、この二人には血の繋がりがあるのかもしれない。
恐るべし、似た者同士。その怒っている雰囲気が似ているだなんて言ったら、俺もメッタ刺しにされてしまうだろうか。どちらかが譲るだなんて言葉、この人たちには通じないみたいだ。
これでは俺はどちらの尻にも敷かれそうだ。なんて怖い二人なんだろう。
ヴァーミリオンはステファニーの手からスケッチブックを奪い取ってしまった。
「ちょ……っ、なにすんのよ! この根暗男!」
「なぜ俺が根暗なんだ」
「いつも一人部屋に引きこもってうじうじしてるからよ! 私の芸術を勝手に覗かないでよね!」
ヴァーミリオンは溜息を吐き出すと同時に、げんなりと俺に視線を移した。そして、これを見ろと言わんばかりにスケッチブックを突き出す。
今ステファニーが描いていた頁だと思うんだけど、そこには人をデッサンしたものが紙いっぱいに描かれていた。
「……え?」
だけどその絵を見て、俺の目が点になる。
だって、そこに描かれていたのは俺と……たぶんヴァーミリオン、だよな? 俺と、ヴァーミリオンが……なんて言ったらいいんだろ。か、絡み合ってる?
これって、まさか……。
えぇ!? これってまさか!?
「はぁ!?」
「貴様……先程から顔を覗かせていたと思えば、まさかこんなくだらんものを描いていたとはな! こいつはともかく、俺をおもちゃにするなよ!」
「おもちゃになんてしてないわよ! ただ私の中の想像をモデルにしているだけ! これを商品にして売り出す時はきちんとデザインを変えるわ!」
商品? あれを商品にだって!? 嘘だろ? 一体どういうことなの……。
頭が痛くなりそうな話だった。
絡んでいるだけといっても、その絵の中ではどう見ても性的表現が含まれているような、二人はそういう仲のような、むしろ十八歳以上は見ちゃいけないみたいな……! しかも、男同士!
これがステファニーの言う、どうビジネスに繋がっていくのかが全くわからなかった。俺には未知の領域だった。
「これが……芸術?」
「ふざけた絵だ! これがお前の夢に繋がるとは、笑止千万! 笑わせるなよ!」
「男にはこの美的センスがわからないのよ! いい? 自分の目の前に好みの子が二人いると想像してちょうだい。その内の一人が相手に対し、友達以上の好意を抱いているとするわ。でも、相手はそんな淡い想いに気づきもせずに接していくの。想いを募らせる内に、その子はいつしか我慢がきかなくなり、気づけば相手を押し倒して強引に体を暴いてしまうの……」
は、はあ……?
いきなり始まったステファニーの妄想色恋話に、俺とヴァーミリオンはぽかんと呆気にとられる。
「そこでようやく相手はその子の想いに気づくのよ。でも、やっぱり同性同士。自分の中で大きな葛藤が生まれるの。だって友達だと思っていた子が自分のことを好きだなんて、びっくりしない? しかも同じ男同士……もしくは女同士なのよ? いわば、禁忌のようなものよ!」
ステファニーの妄想は止まらない。口も止まらない。俺達が口を挟む隙もない。
シアンさん達が困った顔をする程の彼女の悪癖って、もしかしてコレ? しかもどうあっても話は同性同士から譲れないらしい。男同士だけかと思いきや、女の子同士でもいいのか。
「……お前はこれでも良いと思うのか。俺達とは別次元の話を展開する、こんな腐った思考の女が」
「腐った……? 腐った、か。あぁ、なるほど」
これが向こうの世界で言う所謂、腐女子……ってやつか。そうなのか。
「相手が葛藤にぶつかる中、その子はそれでも一生懸命自分の想いを相手に打ち明けていくの。それはぽかぽかと暖かい春の日差しのように、暖かい風が木々の緑をゆするように、葛藤という名の雪をその自身の温かさで溶かしていくのよ。そしてその壁を乗り越えた時、二人の間には強い絆が生まれ、より深い関係が結ばれるの……心も、もちろん身体も」
聞いていてなんとも言えないむず痒さが俺を襲う。ヴァーミリオンも悪寒がしているようだ。体をぶるぶると震わせている。
自分の頭の中で展開されていくならまだしも、それを俺達に当て嵌めて絵を描くのは正直勘弁してもらいたいところだったりするんですが……。うーん。




