ヒーローに憧れていた日々を忘れてはいけない
俺の頭上が境目になる形で、橙と紺色がちょうど半々に色付いていて、なんだか不思議な光景だった。
夕焼けと夜空が一緒になっている風景なんて直接目で見たことがなくて、俺は大口を開けて空を仰ぐ。
夜空には小さな星がキラキラと光り輝いていて、闇の中にたくさん散りばめられている。
向こうの世界で見ていた星よりも、こっちの世界のほうが粒が大きくて、ダイヤモンドのように光を放っているみたいだ。
夜空が頭上を覆う頃には、一体どんな満天の星空がこの世界に広がっているんだろう。俺は感動してしまった。
向こうでも夕焼けや夜空なんて、小さな頃から何度も見ていたけれど、こんなにはっきりと赤と黒が半分ずつに別れた空なんて見たことがなかった。
俺が見てきた世界は夕焼けが沈む頃には空全体が薄らと紺色になってきていたし、異世界ならではの風景ってこういうことなのかもしれない。
空を見ながら目を潤ませ、感動している人間なんてきっとここには俺しかいないだろう。
でもそれほど心が揺さぶられるぐらい、この空はとても綺麗で、圧倒されてしまったのだった。悩みなんてどこかに吹き飛んでしまうぐらい、色鮮やかだった。
地面が芝生になっていたのでこれは空を眺めるのにちょうどいいと思い、俺は腰を下ろして体育座りをしながら上を見つめた。
夕食まではここで、空が暗闇に覆われるまでの間をゆっくりと眺めながら有意義に過ごそうじゃないか。
本当は横になって寝そべって眺めたいところだけど、倒れていると勘違いされても困るしなぁ。ここの人達だと騒ぎかねないかもしれない。
「うーん」
たまに吹く風が優しく俺の髪を撫でつけ、とても心地が良い。
外の空気を吸うと気分転換になるし、さっきまでのネガティブな思考がぴたりと俺の中でおさまっていく。
こっちの世界は向こうと違って、何もかもが新鮮だと改めて感じることができた一日だった。
何もない毎日なんてないし、これからは今日みたいな出来事が度々起こることを考えるといつまでもボケッとはしていられないな、と軽く息を吐き出す。
早く剣の腕を磨いて、少しでもヴァーミリオンの役に立てるように、みんなを守ることができるように、俺も強くなっていかなきゃいけないって思ったんだ。足でまといになるのだけは、嫌だ。
これから何かある度、誰かを助けるために突っ込んでいって、その度に敵に捕まって逆に俺が助けてもらって、なんてことが起こらないようにしないといけない。どこのお姫様だ、って話になるしな。
抗うこともできずに、ただ声を上げて喚く真似しかできないヒロインじゃないんだ、俺は。
比呂は弱い子じゃない、だから大丈夫だ。これからだって頑張っていける。ウェインだって、そう芯が弱い子じゃないと思うんだ。
向こうでだって、ヒーローを目指して強くなるためになんとか頑張っていたじゃないか。あの時の気持ちを忘れちゃいけないんだ。
それに自分の体をいじめ抜くのは嫌いじゃないしな。剣道に弓道に、毎日体力をつけるために奮闘していた日々を思い出す。
「……そう、俺は比呂なんだ。体はウェインだけど、意思そのものは比呂のままだ。ウェインとして生きていかなきゃいけない境遇だけど、でも俺は比呂で、どこにでもいる普通の高校生で、ただ本来であれば到底考えることのできない不思議な出来事がきっかけでここに流れ着いただけの、一人のちっぽけな人間なんだ」
初めはそう割り切っていたはずなのに、どうして急にウェインでいることを不安に思ったんだろう。
やっぱりこれからもずっとウェインでいられる保障はないから? だからヴァーミリオンの騎士になることに後ろめたさを感じている自分がいるのか? 騎士になれば、生涯彼の傍に仕えなければならないわけで。だから比呂がウェインでいられるかわからない未来が見えないから、急に不安になってきた……のかな。
でもそれを考えれば逆に、死ぬまでずっとウェインから離れられない可能性だってあるわけなんだよな。
「……後ろめたさっていうか、もし俺がウェインじゃなくなればヴァーミリオンを裏切るってことになるのが最大の問題点なんだよな。俺が思わなくても、向こうがそう捉えるかもしれないし」
ウェインの中身が俺じゃなくなれば、ウェインの体はどうなるんだろう。
ウェインはウェインとしてきちんと機能するんだろうか。でも彼が死んだから俺がこの体に受け入れられたことを考えれば、難しいのかもしれない。前例とかないのかなぁ。
例えば誰かが俺と同じ境遇を迎えたとしても、その話を他人に信じてもらえたかどうかが重要なんだ。
もし俺が話を聞く立場だったら、どうだろう。いきなりそんな話を切り出されたら、すぐに信じられるか? こいつ何バカなことを言ってるんだろう、とか思わないか?
思っちゃうよなぁ、絶対そう思う、と俺は盛大に溜息を吐き出してしまった。
街に図書館はないんだろうか。大体こういう事例って本に載っていたりすることがあるんじゃないか? ヒントを見つけるならまずは本から調べていくのがベストなんじゃないかと俺は思うんですが、どうなんでしょうね。
そういえばこの屋敷にも本はないんだろうか。魔力についてでもなんでもいいから、少しでも情報があると助かるんだけど。
でもまぁ、そもそも字が読めないから、俺一人じゃ無理なんだけどな。そこは誰かに上手いこと話をつけて教えてもらうしかないよなぁ。執事さんか、シアンさんか……。
「ウェインから離れて、向こうの世界に戻されて、ぷはぁっと無事川から顔を覗かせることができたならいいんだけど……」
実はウェインも俺が宿っている時の記憶がそのまま残っていて、比呂がいなくなったと同時に彼がこの体に戻って、意思を継いでくれて、それで俺も無事向こうの世界で自分の体に戻れる……っていうのがベストな展開だよな。
でもなぁ、と俺は肩を落とす。
あいつにパートナーを組んでもらえるってことは、きっと頑なだった心を唯一俺に対し開いてくれたってことになるわけで。
例えウェイン本人がこの体に戻ったとしても、それはもう比呂じゃない。彼を裏切ったのは俺という事実が変わることはないし、とんでもなく自分が薄情者のように感じてしまって、後味が悪い。もしバレるようなことがあればヴァーミリオンの傷を更に抉る結果になるのでは、と考えれば考える程、良心が痛み出す。
いやいやいや、だけどその前にまず向こうの俺が無事とは限らないし、ウェインから離れた瞬間天国に召される可能性だってあるし、今から悩めば悩むだけ損のような気もするし!
そう考えれば無限ループで、ぐるぐると頭の中で混乱し始めてしまう。
でも不安なんだよ、いつまでここにこうしていれるかわからないから不安で不安で、ウェインから離れることも不安だし、ヴァーミリオンを裏切ることも心苦しいし、この屋敷に連れてきてくれたシアンさんをも裏切ることになってしまうのが俺の胸を苦しく締めつけて……って、あぁぁぁ。
「悩みが消えない……」
気分転換のつもりで外に出てきたはずなのに、結局またこうして悩んでる。どこかに飛んでいったはずの悩みが舞い戻ってきて、悪循環から抜け出せない。後ろ向きな考えが俺の後をついて離れないみたいだ。ウェインから離れるって決まったわけじゃないのに、どうしてここまで悩む必要があるんだ。
せっかく綺麗な夕焼けと夜空が合わさっているのに、悩み始めた途端頭に入ってこなくなる。
いつものポジティヴシンキングはどうした、俺! 悩みっていうのは前へ踏み出す時の邪魔になるものなんだから、深く考えちゃダメなんだ。それでも……どうしても胸が不安でいっぱいで、堪らない。
なんだ、何なんだ、この不安!
「あぁぁぁ……どうしたらこの不安が消えてなくなるんだろう……! 誰かに話さないと解消しない? でも誰に話せっていうんだよ! こんなデリケートなこと、話すに話せねぇよ~……!」
ついに俺は体育座りをしたまま横に倒れ、芝生の上でごろごろと転がり続ける。
このまま悩み続けると、いつか食欲不振まで引き起こしてしまいそうだ。
でも、どうしようもできない葛藤感。俺は一体どうしたらいいんだろう。膝に額をくっつけて擦り付ける。
消えない悩みを胸に抱えたままごろごろごろごろと転がり続けていると、横から背中を強く蹴り上げられてしまった。
「ってぇ!!」
「いつまでもこんなところで何をしている。さっきから見ていればだらしなく地面を転げ回って。そのままでは服が汚れるぞ」
見上げてみれば、こちらを覗き込んでいたのは悩みの種のヴァーミリオン様だった。
いつもは部屋に閉じこもっているはずの彼がどうしてここにいるんだろう。外にいるなんて、めずらしい。
細められた紅い瞳の中には相変わらず炎が揺らめいていて、そこには俺……いや、ウェインの姿が映し出されている。
見上げるウェインの顔は目が大きく、くりっとしていて、相変わらず可愛らしい顔立ちだ。比呂とは真逆で、明るく鮮やかな容姿がやけに眩しい。
黒目、黒髪、瞳の中に映る少年より少しだけ大人びた比呂の姿は、どこにも見当たらない。当たり前だけど、そこにいるのはウェインだけだ。
その事実が、なぜだかまたキュッと俺の胸を締めつけた。
「……どうした」
思わず眉根を潜めるウェインの変化に気づいたのか、ヴァーミリオンが気遣わしげに声をかけた。
ヴァーミリオン達との距離が縮まれば縮まる程、俺の後ろめたさが増していくようだ。ちょっと前の俺には考えられないような悩みだな、とは思う。
ウェインから離れる確証なんてどこにもないんだから、そろそろいい加減にしとけよ……俺。




