屋敷に帰ればすでに時刻は夕方で
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屋敷に着く頃には、すでに空が蒼からオレンジへと変わろうとしていた。
そんなに時間が経っていないように感じていた俺は時刻を聞いて驚いた。もう夕方なの!? って、それこそ目を見開いて驚いた。
だってあっちに向かう時は朝ご飯を食べていた頃だったのに、すでに昼を通り越して夕方って。
シアンさんに聞けば、魔物と戦っていれば時間が過ぎるのはあっという間だよ、なんて当たり前のように返ってきたけれど。
夢中になれば夢中になる程、集中すればする程、時間が過ぎるのは早いというけれど、そういうことなんだろうか。
部屋に戻ってきた俺はベッドの上に体を投げ出して、ぼーっと天井を見上げていた。
魔物との戦いで疲労していたということもあり、夕食の時間まで部屋でゆっくり休むようにとシアンさんに忠告されてしまった。
時間があるなら体力作りにランニングでも、と考えていたけれど、スライムの体内に取り込まれたり、その体液を飲んでいたりと散々な目に遭っていたから、様子見も兼ねて運動自体アウトになってしまったのだった。
自業自得といえばそうなんだけど、でもベッドに横になりっぱなしも性にあわないというか、窓から外を眺めていると妙に体を動かしたくなるっていうか。
走りはせずとも、歩くぐらいならいいんじゃないだろうか、とは思うんだけど……どうなんだろう。見つかったら怒られるかな、どうかな。
夕飯までもう少し時間もあるし、散歩に行っちゃおうかなぁ……とドアから顔を覗かせると、ちょうど部屋の前を通りかかったシアンさんと鉢合わせになってしまった。
ぎくりと固まる俺と、目を細めるシアンさん。なんて間の悪い男なんだろう、俺ってヤツは。
ははは、とはぐらかすように乾いた笑いを零してしまう。
「お、お疲れ様です、シアンさん」
「……ウェインくん」
「は、はい」
「まさかとは思うが、君……」
言ったばかりで、すでに約束を破ろうと言うんじゃないだろうな、と何とも重い圧力がかけられる。しかも無言で、しかも視線だけで。
とんでもありませんと俺は背筋を伸ばす。それも言葉を発することなく。
いやぁ、いつも夕方はシアンさんの姿ってあまり見かけたことがないから、てっきりフォルトゥナ卿のところに戻っているのかと思っていたけど、違ったんだなー。
なんとなく気まずくて、そのまま何食わぬ顔でドアを閉めようとしたけれど、シアンさんに足を挟まれ阻止されてしまう。
「あ、あのー。シアンさん……?」
「なんだい」
「足が挟まったままだと、ドアが閉められません」
「そうだね。だが君に一言だけ、伝えておきたいことがあって」
言われずとも外には出ません、むしろ出ようとも思っていません、ホント、ついさっきまで別に散歩ぐらい出掛けてもいいんじゃないかと思ったりもしてなくはないような。
シアンさんがじろりと俺を睨んだような気がしたけれど、それは気のせいということにしておこう。観念した俺はしょんぼりとベッドへ戻っていく。
「……走ったり、激しい運動をしないという約束ができるなら、屋敷内であれば歩いてもいいだろう」
「えっ」
「夕食まではまだ時間もあるからね。君のような活発な子に部屋で黙って寝ていろと言うのも、酷な話だろう。だから散歩ぐらいならば許可しよう」
その言葉に、ぱっ、と顔が明るくなる。
よかった、ちょうど暇していたところだったんだー、と俺は内心ガッツポーズをする。
それを見透かしたようにシアンさんが咳払いをしたので、俺は慌てて姿勢を正した。
決して浮かれてはいません、大丈夫です、はい。
「……いいんですか?」
「あぁ。だが明日になればまた通常運転だ。朝から素振りの練習を始める。寝坊などしないようにな」
「はいっ、ありがとうございます! シアンさんはまだお仕事なんですか?」
「私はこれからフォルトゥナ卿のところに戻るよ。日中の魔物の件といい、報告しなければいけないことが色々とあるからね」
やっぱりフォルトゥナ卿のところに一度顔出しに戻るんだ。日が沈みかけているっていうのに、大変だな。
そういえばフォルトゥナ卿の屋敷ってどこにあるんだろう。今まで聞いたことがなかったけど、ここから離れた場所にあるんだろうか。
シアンさんはヴァーミリオンのように魔法は使えないから、遠い距離だとすると移動するのも苦労するな。
あいつの力を応用して、あのどこにでも自分の行きたい場所にすぐ行けるピンクのドアみたいなものがあればかなり楽になるんだろうけど。
作れないのかなぁ。異世界ならなんでもアリって気もするから、頑張れば作れそうな気もするけどな。今度誰かに提案してみようか。
錬金術士とか普通に当たり前にいそうな世界だし。もしかすると、なんとかなるんじゃないだろうか。あ、でもその場合だと依頼料とか頼まれたりするのかな。うーん、どうなんだろう。タダで作るだなんて虫のいい話、あるわけもないか。
「気をつけてくださいね。暗くなると危ないし」
「ありがとう。ウェインくんも無茶だけはしないようにな。今日の街でのように」
うっ、と思わぬところで釘を刺されてしまう。そこは自業自得なので、何も言い返すことができない。
「はい」と頭を低くしてお辞儀だけすると、シアンさんはすぐに玄関に向かい、歩いて行ってしまった。
騎士って大変なんだなぁ、とその遠ざかる後ろ姿を眺めながらしみじみに思う。
俺もヴァーミリオンの騎士になれば、あんな風に毎日仕事をこなさなきゃいけない日々を送ることになるんだろうか。
ガウェインさんがしているような魔物の討伐に一緒についていったり、ヴァーミリオンがするべき任務の補佐に就いたり、書類なんかも片付けたり、それこそ色々と協力して作業をこなしたり。
あいつの場合は貴族の息子ということもあり、他にも領土全体の見回りや警護なんかも頼まれたりして、色んな地方に駆り出されそうだ。病弱なウェインの体がどこまでもつのか、気にかかるところだよな。
――――この病弱な体で……、か。
そう考えると、ふと、表情が曇ってしまう。
できるのかな、俺。ここまで来て、なんだか急に怖気付いてしまいそうになる自分に驚く。
病弱な体で大丈夫なのか、とか、すぐに息が上がってマナが空っぽになるような体で、騎士として、仕事を全うすることができるんだろうか、とか。
そうならないようにトレーニングしてるんだけど、何故かじわじわと胸の中でなにか黒い靄が疼き出し、俯く。一気に心臓が重くなる感覚がする。
そんなこと、まだ考えるべきものでもないのに……いきなりどうしたんだろう、俺。
最後までヴァーミリオンの騎士として成し遂げることが出来るのか、段々心配になってきたぞ。
ウェインとして、あいつの友として、最後まで無事こうしていられるのか、不安になってきたみたいだ。あまりの弱気っぷりが、らしくない。
「……悩むにしたって、ここまで来て今更すぎるんじゃないのか、そんなの」
思春期の情緒不安定な女の子でもあるまいし、まだ正式に騎士にもなっていないのに何をそこまで深刻になる必要があるんだろう。俺ってそこまで繊細な奴だっけ?
だって、まずその前に気にかける点は他にもたくさんあるじゃないか。
例えばフォルトゥナ学園ではどんな訓練をするんだろうとか、入試はどんなことをするんだろうとか、友達できるのかなとか、向こうでヴァーミリオンが嫌がらせを受けたりしないだろうか、とか。ほら、色々と。
遠すぎる先を見て今から不安になっていたってどうしようもないのに、それなのにどうしてこう、胸の中がモヤモヤするんだろう。
ヴァーミリオンとケンカ別れしないようにも気をつけなきゃいけないし、甘っちょろいことは言ってられないのに。いきなり訪れたこの不安は、どこから生まれてきたんだろう。
やっぱりあれか、今の自分の境遇が根底にあるせいか?
病弱で、体力がなくて、力もない子供に改めて気づいて、今になって焦ってきたって感じ。
異世界転生まで起きてしまう世の中だし、いきなり俺の意識がウェインからすっぽ抜けていく可能性もゼロではないわけだ。だからこんなにも不安が拭い切れないのかもしれない。
どうやら変なところで悩みのスイッチが入ってしまったようだ。
ヴァーミリオンとパートナーを組んだとしても、俺が俺でなくなれば意味がないことになってしまうし。
もしかしたら、俺が今一番不安視してるのってそこなんじゃないか。
でも、ここまで来て言えるか? 実は俺はウェインじゃなくて、別世界から来た比呂なんですって。
君の騎士になったとしても、もしかしたら急にいなくなるかもしれません、その時はすみません、なんて、そんな無責任なことを俺が軽々しく……。
「言ったところでどうなるって言われたらどうしようもないんだけど、でも俺としてはなんか妙に引っかかるっていうか……。流されてここまで来たわけだし、騙してるっていうアレじゃないけど、でも俺、実際外見はウェインだしな……。一応体はこの世界のものだし、中身だけ違うっていうのも上手く説明できるかといったら絶対無理というか、理解できないような気もするし、うーん」
一人ぶつぶつと喋りながらいつまでもここに突っ立っているわけにもいかないので、とりあえず俺は気を紛らわすために歩いてみる。
このまま部屋にいたら、更に悪い方向へ考えが行き着いてしまいそうな気がする。
誰かと会っておしゃべりするような気分でもないし、むしろ人とあまり顔を合わせたくないので、この時間だと人気の少ない中庭か裏庭にでも向かった方が良さそうだな。
外の空気を吸えば、この不安もどこかに吹き飛んでいってくれるかもしれないしな。うん、そうしよう。
外に向かって歩き出すウェインの背を、陰からひょっこりと顔を覗かせた赤い少年が見つめていることに、この時自分のことで精一杯の俺は全く気づくことができなかった。
「わぁー、空が綺麗だー!」
どちらに行こうか悩んだ末に、結局向かった先は屋敷の裏庭だった。
俺の予想通り、やはり裏庭には人の姿がなかった。
空を見上げながら、気持ちを落ち着かせるように大きく深呼吸をする。
西では夕陽が沈みかけ、綺麗な橙色が広がっているのに対し、東の空からは徐々に紺色の闇が押し迫ってきていた。




