空気を読んで、ぐっと堪えて
緊急事態なのはわかる。余計な話をする余裕がないのもわかる。けど、せめて一言、二言説明がほしかった。
俺のことを無視して二人だけで進んでいくって、それはそれでおかしいと思うんだけどなー。悲しいなぁ。なんで俺のこと放って行くのかなー!
あの魔法陣の説明だけでも、どんなものなのか聞かせてほしかった。まぁ、今は俺に構っている暇もないってことなんだろうけどさ! 恐らく一瞬で外に出たところを考えると、瞬間移動の類だとは思うんだけど。
以前巨大烏が俺達を襲ってきた時も、ヴァーミリオンはどこからともなくいきなり現れたことがあった。もしかして同じように魔法陣を使って、屋敷からあそこまで移動してきたんだろうか。俺が知らない移動方法だってあるのかもしれないし。すごいなぁ、馬車要らずの車要らずだよ。
感心しながら、俺は改めて辺りを見渡した。
ここは街の中、なんだろうか。同じような形をした、レンガで造られたと見られる家がずらっと横並びになっている。
同じ大きさで、同じデザインで、隣同士の壁と壁がくっつくようにして建てられていて、その特徴的な外観が俺からしてみたらけっこう珍しい。こういうタイプの家って海外のホームドラマで見たことがあるような気がする。一体何軒分くっついているのかはわからないけど、つい物珍しさに眺めてしまう。
そういえば街に来るのはこれが初めてなんだよな。しっかりとした家造りを見ると、ウェインがいた集落は何だったんだってぐらい、ここが都会に見えてしまう。出来ることならこんな緊急事態にじゃなく、観光なんかで来てみたかったよなぁ……。
中には眺めるだけでも楽しそうな建物がここにはたくさんあるんだろうなぁ、と街の先に目を移す。見た感じ、けっこう広くて大きい街のようだし。大通りにまで行けば、他にも様々な店があるんじゃないだろうか。奥に行けば市場なんかもありそうだ。
異世界観光に胸を踊らせつつ、だがそこまで考えてハッとした。
そうだ、いつまでもこうして呑気に街並みを眺めている場合じゃなかったんだ。ヴァーミリオンとシアンさんを追わなきゃいけないことに、今更になって気づいてしまう。
こんなところで出遅れたら何を言われるかわからない。特にヴァーミリオンに、それこそ立ち直れない程ボロクソに罵倒されてしまうんじゃないだろうか。これはまずいぞ。
とにかく完全に遅れる前に後を追わなきゃ、と顔を上げると、俺と同じぐらいの背丈の男の子が、じっとこちらを見つめていることに気がついた。
家の陰から、顔を半分だけ覗かせるようにして用心深く様子を窺っているようだった。
やべ、もしかして魔法を使って移動してきたところを見られたりでもしたんだろうか。怪しまれてる? なんだ、こいつって感じで見られてるんだろうか。
そういえば見られると困るようなもんだったのかな。その辺、聞いておくの忘れたな……。
どうしたらいいかわからず、とりあえずニコリとだけ微笑んでおく。決して怪しい者ではありません、敵ではありません、武器だって何も持っていません、普通のどこにでもいる子供です、安心してください、と主張するように柔げに笑みを浮かべてみせた。
だけどその子は訝しむように目を細めて、更に俺のことを怪しんでいるのか、不躾に睨みつけてきた。
褐色の肌で、珍しい銀色の髪の毛をしていて。離れた場所からでもわかるぐらい、瞳が金色に輝いている。
わぁ、この子もゲームなんかでよく見かける容姿をしてる……。可愛いなぁ。目がまん丸のお月様みたいだ。
その可愛さに思わず顔がにやついてしまい、口元がだらしなくゆるむ。
男の子はそんな俺の不気味な笑顔に警戒し、脅えてしまったのか、体を完全に壁の向こう側に隠してしまった。
え、そんなに隠れる程、怖かった? 見てられないぐらい、酷かった? そんなつもりじゃなかったんだけど、思った以上におかしな顔をしていたんだろうか。
俺はぺたぺたと、自分の頬を触って確かめた。
「うーん、怖がらせただけだったかな…… 。悪いことしちゃったかなぁ」
しゅん、と怒られた犬のように耳を下げて、項垂れてしまう。だってなんだか、やけに後味が悪い。
少しばかりショックを受け、もう一度出てきてくれないかなぁ、と男の子がいた場所を眺めていると、代わりに遠く離れた先からヴァーミリオンの怒号が飛んできた。
下がっていた耳がピンと立ち、俺は声が聞こえてきた方を勢い良く振り向いた。
「貴様……初っ端から足を引っ張るとはどういうことだ!!」
すでに現場に向かったと思われるヴァーミリオンがわざわざ迎えに戻ってきてくれたのだろうか。彼はズカズカと大股で、こっちに向かって早足で近づいてきていた。
助かった、これで迷子にならずに済む。意外と良いところがあるじゃないかと安堵してみれば、すぐに俺は顔を青ざめた。安心できたのも束の間だった。
「……ひっ」
ヴァーミリオンはそれこそ般若のような、今すぐにでもその腰にぶら下げている剣で俺のことを叩き潰そうとする恐ろしい形相を浮かべながら、青筋を立てた状態で睨みつけていたのだ。
しかも仁王立ち。しかも、殺気を含んだオーラを全身に纏わせて。自然と息を呑んでしまう。
あ、懐かしいかも、この光景。以前どこかで見たことあるなぁ、どこだっけかな。
「一体なにを考えている!!」
ヴァーミリオンの叫びと共に俺の脳裏に浮かんできたのは、向こうの世界の、本当の母さんの姿だった。
俺が習い事を始めてはすぐに辞めてを繰り返していた頃の、本気で怒った時の母さんとヴァーミリオンの形相が、ぴたりと重なったのだ。その佇まいもそっくりで、つい驚いてしまう。
これはまずい。マジで殺されるかもしれない。緊張感がないのはお前のほうだと怒鳴られてもおかしくないような状況だった。
道草をくって、全面的に悪いのはどう見ても俺なので、何も言い返すことができない。
「す、すみませんでしたぁ!!」
十歳児とは思えない覇気に、俺はすぐにヴァーミリオンの元へ駆け寄り、地面に平伏して、謝った。それはもう全力で、謝罪した。
恐ろしさの余り、彼の目を見ることができない。脳天に鉄拳を落とされても文句は言えないぞ、これは……。
これから遅い来る雷様にぎゅっと目を閉じて歯を食いしばり、ドキドキと緊張しながらヴァーミリオンからの落雷を待つ。
拳ならまだいい方かもしれない……剣の柄で思いきり殴られたらどうしよう。脳震盪とか、頭蓋骨陥没とか、ひぃ、考えるだけでも恐ろしい……!
想像して、体を震わせる。ガチガチと、奥歯まで音を出してしまいそうだ。
だけどいつまで経っても受け止めるつもりでいる衝撃はやってこなく、堪えていた俺は肩透かしをくらったような気分になる。
首を竦めて制裁を待っているのに、一向にヴァーミリオンの拳が俺の頭に落ちてくることはなかった。どうしたんだろう。
あれっ、もしかしてあまり怒ってない? 殴る程のことでもなかった? あんなに殺気を纏っていたのに?
恐る恐る上目遣いでちらりと様子を窺ってみると、彼と視線が重なった。
瞳の奥底には消えることなど知らない、凄まじい勢いで燃え盛る赤き炎が潜んでいた。
それだけで、失神してしまいそうだった。つい数秒前に、怒ってないかもしれないと思った俺がバカだった……。泡を吹きそうだ、本当に。
「いいか、またはぐれて迷い子になった場合、俺は貴様をここに放置して帰る。お荷物はいらない。遊びたいのならば一人で勝手に遊んでいろ」
「……はい」
「自分の故郷にでも、どこにでも帰ればいい。今は緊急事態だ、それぐらいわかるな? 空気を読め」
「……はい」
「もう一度こんな真似をしてみろ。……その時は貴様を、後ろから刺してやる。言っておくが、冗談ではないからな」
俺に指を突きつけ、そう告げると、ヴァーミリオンはすぐに背を向けて走り出した。
あれは本気の目だ……マジで俺を殺ろうとしてる子の目だよ……。
お前も空気読めない子じゃん、なんて反論は呑み込んだ。言ったら自分の身がどうなるかわからないから、それこそ空気を読んで、ぐっと堪えた。
今度こそはぐれることなくヴァーミリオンの後を追っていけば、モンスターの暴れる街の中心部らしき場所へと辿り着いた。
そこは広場となっていて、住人達がくつろげるスペースとして作られているのか、噴水だったり、ベンチが置いてあったり、中には食べ物を売っているのか小さな売店までそこに建てられていた。
恐らくいつもはたくさんの住人達で賑わっている場所なんだろうけど、さすがに騒動が起きている中、周囲には人の姿が一人も見当たらなかった。
どうやら皆、建物の中や陰に隠れているみたいだ。
その広場の中央にある噴水の辺りに、噂のモンスターの姿があった。
ぷりっぷりの、本体を通り越して向こう側が透けて見えるぐらいの透明さを持った、噴水と同じぐらいの大きさのあるスライムが、ズルズルと獲物を求め、這いずり回っていた。
俺の知るゲームで見た、あの小さくて青い、色んな意味で愛嬌のあるにやついたスライムとは程遠い大きさだった。まさに理想と現実の差だ。
「……でっか! スライムってもっと小さくて可愛らしいマスコット的な存在じゃなかったの!? こんなの俺の知ってるスライムじゃない! 肉まんのデザインに起用されたりする愛らしいスライムじゃない!」
もしやあれがキングサイズなのだろうかとあんぐりと口を開けていれば、隣に並ぶヴァーミリオンの舌打ちが聞こえてきた。
なんでいきなり舌打ち? と視線を移せば、スライムが必死に追いかけているその先に、獲物として狙いを定めているらしい人間が一人、広場の中を駆け回っていた。
ひぇっ、あんなところで誰かが追われてる!! 俺が道草食ったせいで、危険な目に遭ってるのか!? それはまずいぜ、なんとかして助けないと!
どうする、と隣に立つヴァーミリオンを見上げれば、彼は非常に不愉快そうに眉を顰め、スライムを見つめていた。いや、厳密にはスライムではなく、そのスライムに追われている人を、なんだけど。
早く助けてやってくれと願いつつ、俺も視線を戻して見てみると、その背を追われている人はどことなく見覚えのある背格好をしていることに今になって気づく。
「……あれ?」
その人は太陽のような髪の毛をなびかせ、スライムと対峙しながらも剣を振りかざし、一定の距離を保ちつつ交戦しているようにも見える。
逃げているように見えて、実は戦っている。あれは……。
「ガウェインさん!?」
俺がそう名を呼べば、ヴァーミリオンが更に盛大に舌打ちをした。
「……なぜ奴がここにいる」
「恐らく、フォルトゥナ卿の元に戻る前に噂を聞きつけ、ここに立ち寄ったのかもしれませんね。彼も敵を野放しにしてはおけない性分ですので、我々が来るまでの間、時間稼ぎをしているのだと思います」
いつの間にか近くに来たシアンさんが、状況を説明してくれる。
さすがヒーローの鑑であるガウェインさんだ。街が襲われている話を聞きつけ、フォルトゥナ卿への報告も後回しに、わざわざここに立ち寄ってくれるなんて。やっぱりかっこいいなぁ。すごいなぁ。
でもスライム相手に剣を振り回しているんじゃ分が悪そうだ。
だってスライムってやっぱりぶよぶよしたゴムのような性質だし、剣じゃ斬ることも難しく、むしろ弾かれてしまう可能性もあるわけで。どうやって戦うんだろう。剣が無理なら、あとはどうする……?
ガウェインさんを目で追っていると、なにか彼が持つ剣の刃に、白くオーラを纏まわせている様子が見て取れた。
剣を振る度にそれはきらきらと輝き、粒子にも見える小さな結晶が刃から零れていく。
こんな時に思うのも場違いだけど、でも俺にはそれが幻想的に見えて、雪の結晶に似てとても綺麗だと感じてしまった。
思わず見蕩れてしまい、その幻想的な雰囲気に胸が高鳴る。
「あれが、ガウェインさんの力?」
「そうだ。光の力を剣に宿し、上手いこと応戦しているようだな。さすがだ」
「ね、ねぇシアンさん、ガウェインさんの力であのスライムを倒すことはできないの……?」
「スライムとの属性が合わないからな。ガウェイン殿の力であれを消滅させるのは難しい話だ」
それがわかっていながら、ガウェインさんはヴァーミリオンが来るまでの間、時間稼ぎとして戦っているんだ。
自分が囮となることで被害が出ないように。街の人達にスライムの目が向かないように。……スライムだから実際目があるのかはわからないけど。
スライムはガウェインさんを狙いつつ、街の中に置いてある物を無差別に呑み込んでいるようだった。




