それ相応の理由
家族はいるけど、それは本当の家族じゃない。
頼れる人もいないし、あの家族を全面的に信頼しているかといえば、そうでもない。ただ上っ面だけの関係。
よくよく考えたら、友達もいない俺はこの世界で一人ぼっちなのだった。
そう考えたら、寂しいというか、悲しいというか、なんというか。うーん、複雑。
「とりあえず俺のことが嫌だったらこの屋敷から追い出してくれていいから。俺のことを追い出したとしても、貴族でもなんでもないし、君のお父さんに与える影響は何もないと思うよ。その辺りは遠慮しなくてもいいです」
悪口を言いふらす趣味もないからな、と一言付け足して。
「おかしな男だ。なら、なんのためにここへ来た」
「なんのためって、君の騎士になるためでしょ?」
「本当にそれだけか? なにか下心があるのではないか?」
下心?
まぁ、そうだよなぁ、と俺は天井を仰ぐ。
別に隠すようなことでもないし、この子になら言ってもいいのではないだろうか。
馬鹿にはされるだろうが、この子の貶し方は別に嫌いではない。なんだろう、相手のことを本心から憎くて言っているようには聞こえないからだろうか。
皮肉は込められているけど、そう言うことで相手を突き放し、自分から無理に距離を置こうとしているような、そんな感じに聞こえる。
この子も色んな意味で不思議な子だった。
「俺はさ、ヒーローになりたいんだ」
ヒーロー? とヴァーミリオンは首を傾げる。
「そう、ヒーロー。困っている人を放ってはおけず、誰かを助けるために奮闘する、皆の憧れるかっこいいヒーローさ。知ってるだろ?」
「……お前が言うのは、童話や絵本に載っている英雄、もしくは勇者のことか?」
「……ちょっと違うような気もするけれど、まぁ似たもんかな。俺は誰かの助けになりたいし、力になりたいんだ。みんなの笑顔も守れたらいいと思ってる」
「騎士になればそれが叶うとでも?」
「主を護る使命っていうのも魅力的だけど、騎士になれば人助けをする機会も増えるかと思ってさ。それにほら、フォルトゥナ学園に入れば身を守る方法も色々と勉強ができるかもしれないんだろ? それはきっといつか自分のためにもなるだろうし。下心といえば、それぐらいかな」
「だがお前の主は俺だ。もし困っている人間がいたとしても、俺が手を差し伸べることを拒めばお前は何もできない。では、どうする」
なかなかに難しいことを聞く子だ。それに、非常に難しい選択だ。
なら、どうする……か。俺はどうするだろうなぁ。
ヴァーミリオンは神妙な面持ちで俺のことを見つめているし、ふざけた答えやはぐらかしたりしたら確実に彼を怒らせることになるだろう。
ここで更に機嫌を損ねてしまったら、今後一切信用も信頼も無くしてしまいそうだ。
俺はどうするべきか、声を唸らせながら悩んだ。
「うーん、本当は無視してでも助けに行きたいところだけど、主の言うことは絶対だから俺は手を出さないよ。忠誠を誓うってそういうとだろ?」
「それでその人間が命を落としそうになっていたとしても、か?」
「あぁ、そうだな。だってそれ相応の理由があるんだろ?」
「は?」
「例え命の危険に晒されていようと、助けてはいけない理由があるはずだからな。君が拒むくらいだ、もしかしたら罠の可能性もあるかもしれない。誰かが俺達を貶めるための策略だってあるかもしれない」
なんてったって、ここは貴族の世界。誰がなにを考えているかわからない、腹の探り合いの世界でもある。ならその可能性だって当然あるわけで。
「……お前は疑わないのか?」
「え、なにを」
「俺は困っている者に手を差し伸べることをしない薄情な人間かもしれない。そんな主の下でお前は忠誠を誓えるのか?」
「……何をそんなに試そうとしているのかわからないけどさ、そんな人だったらもう俺をとっくにここから追い出しているだろ? 適当に騎士を見つけて、とっくに学園に入る準備だってしているだろうし。どんなにデリケートな性格だって、ここまで疑心暗鬼にはならないさ」
そう言えばヴァーミリオンはその場に固まってしまったようだった。
話を聞いている感じ、この子はそこまで悪い子ではないと思う。
もし本当に碌でもない子供だったら、シアンさんだってもっと手を焼いているし、馬車の中でのように決してこの子をフォローしたりはしないだろう。
無関心でいるように見せかけて、実は人一倍他人を気遣っている子なのかもしれない。その理由はわからないけれど。もしかしたらシアンさんの言う、そこが繊細でデリケートな部分だったりするのかもしれない。
「……無知とは恐ろしいものだな」
「今度はなんだよ。俺だってここに来たからには君の力になれるよう精一杯頑張るつもりだぞ。まだ会ったばかりだし、互いが互いを信頼できるかといえばそれは無理だろうけど、俺をここから追い出すならもう少し時間が経って様子を見てからにしてもいいんじゃな――――」
「もういい」
ヴァーミリオンは最後まで俺の言葉を聞くことなく、ドアを強く閉め、振り返りもせずに部屋から出ていってしまった。俺の顔を見ようともしなかった。
「……なんなの、あれ」
見ないようにしていた、と言った方が正しいのかな。
取り残された俺は、呆然とドアを見つめるばかり。
気付かぬ内に彼の逆鱗に触れてしまったのだろうか。でも、どこで?
最初から不機嫌だし、怒っていたしで、いつ地雷を踏んでしまったのかがわからない。やっぱり偉そうに俺に叱られたのが面白くなかったとか?
入れ替わりでシアンさんが部屋に入ってきた。恐らく飛び出していったヴァーミリオンと擦れ違ったのであろう、眉根を潜めてやってきた。
俺もわけがわからないといった様子で両肩を上げ、シアンさんを迎え入れた。
「なにかあったのかい? ヴァーミリオン様が珍しく怒ったような様子だったが……」
「珍しく!? 顔を合わせた時から怒ってたじゃん! 色々と貶されたりしたんですけど、俺!」
「あれが彼の平常運転だ。喧嘩でもしたのかい?」
「あれが平常運転って……。べ、つに……そんなつもりじゃなかったんだけど、なぁ。そう捉えられたのかな。さっきヴァーミリオンに言われたんだ。いきなりここに来て、自分の騎士を見つける気もないし、つくる気もないってさ。嫌気がさしたなら出ていけばいいとか……。あまりに突拍子もないから、だからちょっと説教くさいこと言っちゃったんだよね。やっぱりそれがいけなかったのかなぁ」
「説教? 君があの子に?」
「一般庶民の分際で図に乗りすぎたかな……。でも、フォルトゥナ卿のことを思えば、あれは誰かがきちんと言わなきゃいけないことだと思ったんだ。ここに来る子を突き放して帰してばかりじゃ、フォルトゥナ卿の面目を潰してるって。あの子は自分のお父さんを慕っているように見えたから」
差し出がましいことをしたかな、と今更になって思うけど、過ぎたことを気にしても仕方ない。それでも悪いことを言ったつもりはないんだし。
そこはやっぱりまだ幼いから、すんなりと受け入れることができないのかもしれない。だからこそ俺のような豚小屋と揶揄する子供に言われてカチンときた可能性もある。
気難しい年頃なんだろうけど、さすがに俺にはまだ彼の心を掴むことはできないようだった。
すると何を思ったのか、シアンさんが急にくすくすと口元を押さえ、笑い出した。
あれ? 今、笑うようなところだっけ? と首を傾げてしまう。
むしろこの屋敷の主を叱り飛ばした俺が注意されるところじゃないの? 逆に怒られるところなんじゃないの?
「シアンさん?」
「いやいや、やはり君を連れてきて正解だったな。なかなかいないぞ。侯爵家の息子に意見を物申すだなんて」
「だからそれもあってか、やっぱり面白くなかったんじゃないかってさ。今になってめちゃくちゃ不安になってきた」
「不安になる必要などないさ。確かに面と向かってあの子を叱る人は私を含め、この屋敷にはいないかもしれない。情けない話だが、私もあの子の境遇を含め、厳しく接することは避けてきた。だから私は今のヴァーミリオン様を見て、とても喜ばしいことだと思っている」
――――喜ばしい? あれが?
「普段自室から出ないヴァーミリオン様が、自分から進んで君のところに来たんだ。すごいと思うよ。一体あの子になにをしたんだい?」
「部屋から出ないの、あいつ」
「あぁ、他の候補者達とも大体屋敷に着いた時に一度顔を合わせる程度だ。そこでまぁ、彼にきつい言葉を投げつけられ、大体が心が折れてしまい、ここから去っていくのだが」
顔を合わせた時に俺が全く怯まないから、敢えてもう一度脅しに来たんだろうか。それでもやっぱり怯まないから、逆に怒ってしまったとか。
それに加え説教までされたのだから、機嫌の悪さが絶頂にまで登っていったのかもしれない。
また拗らせてしまったかなぁ、と俺は疲れきったように目頭を押さえてみせた。
「……そういえば、馬車で言いかけた続きなんだけど。聞いてもいい?」
「あぁ、どうしたんだい」
「ヴァーミリオンのことなんだけど。本来人が持つことのない力を与えられたせいで、あいつは他人から距離を置かれることになったって言ってたよね?」
「……あぁ、それか」
「それって一体なに? どういう意味なの?」
気になっていたことを聞いてみれば、一瞬シアンさんが気まずそうな顔をしたのを、俺は見逃さなかった。
その力が原因で人を突き放し、あんな子供らしからぬ捻くれた性格になってしまったのかと、少しばかり気になったのだ。
巨大な烏に邪魔されたせいで最後まで聞けなかったので、今ここでなら答えてくれると思ったんだが。シアンさんはあまり答えたくないようで、渋っている様子だった。
「……今ここで君に話してもいいものか」
「今更じゃないか。あの時だって話そうとしてたんだし、別に……」
「君達の良好な関係を見ていたら、私が話すべきことではないと感じてね」
「良好? あれが良好!? 俺は幸先不安でしかないんだけど!」
「君ならばヴァーミリオン様を正しい道へと引っ張っていってくれそうで、私は安心したんだ。きっとその力についても、いつかヴァーミリオン様自身が話してくれると思うよ」
だから今は私が出張る時ではないのかもしれないと、シアンさんは早々に話を切り上げようとしていた。やっぱりあまり話したくないことなのだろうか。
シアンさんは自己完結しているけど、俺はなにか腑に落ちない。なにをそんなに隠したがるんだろう。
今の俺の経緯を考えてみたら、特におかしな話をされても驚かない自信しかないんだが。
「もったいぶられた方が気になって仕方ないんだけど」
「……そうか。そこまで気になるなら、一つだけ教えてあげよう。だが自己責任だ」
なに、とシアンさんを覗き込めば、彼女は微笑みながら俺の耳元に唇を寄せてくる。
女の人と接近した経験のない俺の心臓は、一瞬にして大きく跳ね上がってしまった。
十歳児が、女の人が近づいてきただけで頬を赤く染めてもじもじするって、ちょっとおかしいかな。おかしいよな……普通の子供はそんなこと、気にしないよなぁ。変に意識しすぎだろう、俺。今は十歳児、しっかりしろ。十歳児相応の態度を忘れるな。
シアンさんの髪の毛の匂いだろうか、ふわりと甘い香りが鼻いっぱいに広がり、途端鼓動が速まっていく。情けなくも、それだけで俺は緊張して動けなくなってしまうのだった。
自分で言うのもなんだけど、女の子の扱いに慣れてなさすぎだろ……。それだけで自分に対し、肩を落としてしまいそうだった。恥ずかしい。あぁ、恥ずかしい。童貞丸出し、情けない。
「……先程遭遇した大きな鳥類のモンスターだが、あれを討伐してくださったのがヴァーミリオン様だ」
だがその言葉に、ときめきかけた俺の心臓が今度は違う意味で大きく鼓動を打つ。
「ヴァーミリオン様が、あれを一人で仕留めてくださった。さぁ、君はそれを、どう思う?」
どう思うって……。
シアンさんに視線を移せば、彼女はすぐに距離を置き、内緒話をしたかのように楽しそうに微笑みながら俺の方を見ていた。
あのモンスターを、ヴァーミリオンが一人で倒した?
あの巨大なモンスターを、俺と同じ十歳の小さな子供が、一人で?
「……冗談でしょ?」
「事実だよ。彼はあの短い時間で見事モンスターを一匹、誰の力を借りることもなく倒してみせた」
「シアンさんはなにをしていたの? あと、一緒にいた御者さんは? どうしてわざわざ子供のヴァーミリオンを敢えて一人でモンスターに立ち向かわせたりしたの?」
疑問が多すぎて、シアンさんに質問を投げ返してしまう。
「私と御者は横で見ていただけだよ。それと、なぜヴァーミリオン様を屋敷から呼び出し、モンスター相手に一人で戦わせたのか、だが。彼にしか消すことのできない魔物が、この世界にはたくさんいるからだよ」
ヴァーミリオンにしか倒せない魔物、ってなに? 子供が一人であのモンスターを倒せるって普通じゃないよね? それが他の人にはない力と関係しているってこと? すみません、やっぱりワケがわからないんですが!
もっとシアンさんに聞きたいことがあるのに、彼女はもうこの話はこれで終いだと切り上げ、ドアに向かい歩いていく。
ぽかんとする俺を尻目に、シアンさんはこちらを振り向き、手招きをしていた。
「君の部屋に案内しよう。ついておいで」
何を言われても驚かない自信しかなかったのに、結果的に俺は驚いてしまった。
俺はあの時、怖くて馬車の中でただ震えることしかできなかったのに。それをヴァーミリオンはたった一人で倒してしまっただなんて。にわかには信じ難い話だった。
ヴァーミリオン、君は一体何者なんだ?
やっぱり俺なんかが偉そうに説教するべき相手ではなかったのかもしれないと、今更になって顔が青く染まっていく。彼を同じ十歳児として見てはいけないのではないかと、俺の額には汗が滲み始める。
「ウェイン君?」
「……今、行きます」
いつまでも動こうとしない俺を不思議に思ったのかシアンさんが声をかけてきたので、俺はこれ以上不審に思われないようすぐに彼女の後を追った。
「すまない。君を動揺させるつもりはなかったんだが」
「えっ? あ、あぁ、いや、気にしないでください。ちょっと驚いたぐらいで。それにほら、自己責任だし」
「恐ろしくは感じないのかい?」
「いや、だからそこは別に、少し驚いたぐらいで、その――――――……恐ろしい?」
途中まで言いかけ、思わず聞き返してしまった。
恐ろしい? 特に恐ろしいだなんて思いはしなかったけど、それにしたって恐ろしいって。なんだろう、その表現。どう聞いても良い意味には聞こえない。
シアンさんが通路を歩き出したので、俺も置いていかれないよう早足でついていく。
「恐ろしいって、どういうこと?」
「そのままの意味だよ。普通じゃないだろう? 一人であんな巨大な魔物を倒してしまうだなんて。私でさえ難しいよ」
「……そうなの?」
「そうだよ。私だって本当は心苦しいんだ。あんな魔物相手に子供を立ち向かわせなければいけないなんて。大人達で退治できれば、それに越した事はないんだが……。それもできないのが悔しくて仕方ないよ」
窓から見える風景から、ここは恐らく二階だろうか。メイドさん達に連れられてばたばたと移動してきたので、ここが屋敷のどの辺りなのかも把握できていなかった。
通路の奥まで進んでいき、隅にある部屋の一つ手前のドアの前で、俺達は止まる。
「それがヴァーミリオンの力なの?」
「……私が言えるのはここまでだ。勝手にべらべらと話したら、それこそヴァーミリオン様の怒りを買ってしまうかもしれないからね」
「あいつはそんなことで怒るヤツじゃないと思うよ? だって俺に、自分のことをシアンさんに聞いたんじゃないのかなんて言ってきたぐらいだし。フォルトゥナ家のヴァーミリオンといえば噂ぐらい聞いているだろう、とかさ」
俺はその辺疎いから全然知らないんだよね、と言えば、シアンさんは少しだけ寂しそうに微笑んで頭を撫でててくれた。
「ヴァーミリオン様はきっと、臆病になっている部分もある。課せられた運命に、自分は人に疎まれて当然なんだと思い込んでいる節があるんだ。周囲の人間が残酷すぎたばかりに、彼は人と接することを極端に嫌がっている。だけど、君なら」
扉を開ければ、そこには子供一人が過ごすには十分すぎる程広い小綺麗な部屋が待っていた。
「君ならきっと、あの子の良きパートナーになれると、断言できる」
部屋の中には赤い絨毯が敷かれ、窓際には俺が寝るには少しばかり大きい高級そうな、まるでフランス製のシングルベッドが一つ、その反対側にはクラシック調の本棚と机、壁には子供が使うものと思われる数本のレイピアが立て掛けられていた。




