七面鳥、いや、焼き鳥?
気分が悪いのはお前だけじゃない。お前の発言を聞いた俺もすこぶる気分が悪くなった。
シアンさんの話も聞こうとしないそのいかにも上からな態度にも腹が立ち、俺は体を起こしてわざとヴァーミリオンの前でしゃがみ込み、その顔を見上げてやった。
ヴァーミリオンが俺を睨みつけるが、別に怖くもなんともない。
だから嫌がらせをするかのようにその手を強引に掴んで、勝手に握手をしてあげた。くさいだろうが、汚いだろうが、気にはしない。
この子が俺の主となるように、俺もこの子の騎士になるかもしれないんだ。互いの挨拶は重要だ。
横でシアンさんが顔を青くしたような気がしたが、敢えて気づかない振りをした。
「……なんの真似だ。離せ」
「いーや、俺の主となるかもしれないお方なんだ。自己紹介くらいしようぜ。俺はウェインっていうんだ。歳は十歳。よろしくな」
「だからなんだ。まだ俺が主と決まったわけではないし、それ以前に態度が馴れ馴れしい。礼儀作法が欠けている。低俗にも程があるぞ。品性の欠片もない子供だな」
ヴァーミリオンはそう言い放つと、手を振り払った。
だが俺はもう一度奴の手を掴み、握手を交わす。それはもう力を込めて、振り払うことなど許さないよう、ぎゅっと強く。
奴の顔が一層嫌悪感を示すように引き攣ったのが見て取れた。
「その辺にある集落からやって来ました。この世界についてはまだまだ無知なところが多々あると思いますが、よろしくお願いします。主様」
「……何?」
「出来れば一般常識なところから教えてほしいな~。アンタの気に障らないぐらいの、特に礼儀作法の辺りから色々とさ」
にこりとわざとらしく微笑めば、非常に不愉快そうに眉を顰める顔とぶつかって。
俺はすぐにシアンさんの方を向いて、頷いた。もう馬車を出しても大丈夫だと言うように。
シアンさんは一瞬ヴァーミリオンの機嫌を窺うよう視線を移したが、ここは俺に任せると判断したのだろう。すぐに御者席へと向かっていった。
俺も席へと着き、窓の外へと視線を移す。あまりヴァーミリオンの方は見ないようにして。その綺麗なお顔がむすっと膨れていたような気がしたが、気にしてはいけない。いや、気にしない。そんな小さなことを気にしていたらここではやっていけないと判断した。
「……あ、そういえばさっきのモンスターってどうなったんだろ? 大きいのと、その取り巻きもけっこういたよな?」
一応なんとなしに呟いてみたのだが、予想通り返ってくるのは無言ばかりで。
ここで返事でもしてくれたら大したもんだと思うけど、まぁ相手が子供なんだ。期待するのが間違いなのである。ただの独り言、自分自身に聞いているだけだ。
「シアンさんも無事だったから、退治できたのかな……」
ゆっくりとだが、馬車が動きを再開させる。
シアンさんは御者席の方へと移ったのだろうか。さすがに自分が今仕えるよう言われている主の隣には気安く座れないとか、そういうところを気にしているのかな。
ヴァーミリオンが俺を無視するし、俺もヴァーミリオンを視界に入れないようにしているので、もちろん客車内はしんと静まり返っている。
この出来事で互いの印象は最悪なものとなっただろう。
さっきの会話からするに、どうも十歳児同士の掛け合いとは思えなかったのではないかと今更ながらに考えてしまう。
俺ももう少し気をつけて、年相応の子供っぽく言葉を選んでいかないといけないのかもしれない。
いやしかし、このヴァーミリオンという少年、一体いつここに来たんだろう。気づいた時には登場していたけど、まさか屋敷から一人でここまで歩いてきたとかいうんじゃないだろうな。
え、こんな小さな子が一人で? ウェインと同い年なんだよな? 魔物が現れる道を一人で歩かせるだなんて、それこそシアンさんの監督不足とかフォルトゥナ卿に怒られそうな気がするんだけど。なにかあってからじゃ遅いだろうしな。
「――――あれ?」
悶々と考えていると、流れる風景を見ていて気になるものを一つ見つけてしまった。
草原の一部が焼き焦げていることに気づく。しかもけっこう、広い範囲で。
そしてその中心部に、同じように焼き焦げた大きな塊が一つ、葬るように棄てられていた。あれは、なんだ?
俺にはどうもそれが焼かれた七面鳥のようにしか見えなくて、しばらくその物体をぽかんと呆けて眺めていた。
七面鳥には、地面から突き出た大地の串がとどめの一撃とばかりに、ぶすりと突き刺さっている。
七面鳥……いや、焼き鳥?
「まさかとは思うけど……あれ、もしかして」
さっき俺達の前に現れた、あの巨大な烏……だったり、して。なんてね。まさかね。
「おい、貴様。さっき見ていたが、あの弓の使い方はなんだ」
「え、俺?」
「ここには俺とお前しかいないだろう。的も狙えていなかったが、あのへっぴり腰はなんだ。構えも疎かだったし、自信の無さが見事に放った矢に表れていた。見ているこちらが恥ずかしくなるぐらいだ、相当だな」
急に俺に向かって話しかけてくるヴァーミリオンに、驚いてしまう。
きっと嫌われているし、無視を貫き通すと思っていたから、普通に声をかけてくるとは思いもしなかった。
俺はただ首を傾げる。
「俺、そんなに自信なさそうだった? まぁ当たればラッキーぐらいの気持ちで狙ってみたんだけど。そんなのもわかっちゃうぐらいひどかったのか?」
「当然だ。ど素人丸出しの弓の使い方だった。なんだ、あのザマは」
「なんだも何も、かじったぐらいの腕だからなぁ。そんな格好良くは打てないよ。それにほら、まだ十歳だし。俺にそこまで腕を期待されても」
「俺も貴様と同じ、十歳だ。だがお前よりも確実に腕は上だ」
その言い草に、少しばかりかちーんと来る。
結局そこが言いたいだけなんじゃないかと突っ込みたくなる。俺はお前より格段に上手い、俺はお前よりも上、って。どんだけ高いところから見下ろしているつもりなんだ。何様だ。
いやいや、待て、ウェイン。……じゃない、比呂。
この子は今、目の前で十歳と宣言したばかりだ。俺は精神的に十七歳。圧倒的に俺のほうが年上なんだ。言ってみれば俺は高校二年生、向こうは小学四年。大人になるんだ。いちいち真に受けてたらやってられないだろ。言葉を流すことを覚えるんだ。
引き攣る頬を手で軽く叩き、俺は「へー、そうなんだ」とわざとらしい笑顔で受け流した。
「やっぱり主となるべきお方はさぞかし腕っ節も強いんだろうなぁ。俺なんか剣も弓もかじったぐらいだから、相手にもなりゃしないんだろうなー。俺みたいなのが本当に騎士候補としてここで暮らせるのかチョー不安になってきちゃったぜー。いやいや、もしかすると逆に俺が守ってもらう立場になっちゃうのかもなぁ。すみませんね、主様」
大人気ないとは思いつつ、それでも口から出るのは皮肉った言葉ばかり。自分でも自分が可愛くないなぁ、と内心呆れている次第である。
大人になれと心掛けたばかりでコレだ。全っ然流せてない。むしろ買っている。
この先が思いやられる。自分にも、目の前の少年にも。
「だが」
俺が自暴自棄になりつつ口を尖らせ窓の外を見つめ始めた時、ヴァーミリオンがまた口を開いた。
なんだ、さらに嫌味が続くのかと嫌そうに視線を向けると、少年は鋭い目付きでこちらを見つめていた。
「馬を助けようとしたお前の勇気と度胸には賞賛に値するものがある。腕は大したことはないが、胸を張れる事ではある。もう少し自信を持て」
ん? と自分の耳を疑い、ヴァーミリオンに怪訝な眼差しを向ける。
彼はすでに視線を逸らし、相変わらずふんぞり返って外を眺めていたけれども。今の言葉は俺の聞き間違いではなかったのだろうか。生意気な言葉を交えつつも、一応褒められたような気がしたのだが。
ヤツの考えていることがわからず、信じられないものを見るような目でまじまじと見つめていると、ヴァーミリオンが急に盛大な舌打ちをした。
子供らしからぬその音に、俺も驚く。大人でもなかなかそんな大きな舌打ちはできないぞ、と呆れてしまう程に。
「ちっ……しかしなんだ、この豚小屋と同じニオイは! 一体どんな生活をすればこのような体臭になるのか聞いてみたいものだな! 泥の中で何年も過ごしていたわけではあるまいな、貴様! 頭の中にノミやダニを潜ませていそうだ!」
だがやはり、上昇しかけたヴァーミリオンの株は俺の中で急落していくのだった。
豚小屋とか、泥の中とか、そりゃないよお前……。俺だって最初は涙が出るぐらい強烈な体臭だったけどさ。
シアンさんを見習ってくれよ。シアンさんは俺と一緒に客車に乗っていても、嫌な顔一つせず付き合ってくれたんだぞ……。
というか、俺ってそんなにくさいの? オブラートに包み隠す事さえせずにハッキリ臭いと言われた俺は、今どんな顔をしてここに座っていたらいいんだ。複雑なんですが。自分で自分の体を嗅ぎたくなってくるんですが。
「……君、容赦なさすぎて本当にひどいな。俺のガラスのハートが今ここで砕けてしまいそうだぜ」
「臭いものを臭いと言って何が悪い。こんな異臭を漂わせておきながらガラスのハートなど笑わせてくれる。お前の神経は狂っている。図太すぎる。普通であれば人前に出ることさえ億劫になりそうな強烈っぷりだ!」
本当に彼は容赦がなかった。
屋敷に着くまでの間、俺はどうにも自分の体臭が気になりすぎて、客車の隅で背を丸くして黙っていた。




