フォルトゥナ卿、ヴァーミリオン?
ガタンガタンと揺れる馬車の中で、俺は次々と自分の身に起こる出来事に動揺を隠せずにいた。
転生したかと思えば、モンスターに襲われている子供を助けることになり、その次は女騎士に鞘で頭を叩かれそうになって、今度は唐突にどこかの家に迎え入れられようとしている。
展開が早くて、家族を含め、あの集落の人達とはあまり馴染むこともできなかった。目まぐるしく変わり始める出来事に、思考が追いついていかない。次は一体何が起きようというのか。憂鬱な溜め息を隠す事もなく、俺は盛大に腹の底から吐き出したのだった。
「はぁ……」
「どうした、そんな重い溜息を吐いて。一人家族から離れ、やはり心寂しいところがあるのかい?」
「いや、別にそういうわけじゃないんですけど……。ちょっと、色々思うところがありまして。えーと、その前にまず俺……あなたのこと、なんて呼んだらいいですか」
そう、そもそも俺は未だこの人の名前すら聞いていないのである。向こうはこちらのことを知っているような素振りだったが、さすがに自己紹介もされていないのはなにか納得がいかない。せめて名前だけでも教えてほしいものだ。一人置いてけぼり状態の俺は唇を尖らせていた。
「そういえば君には名乗っていなかったな。私はシアンだ。フォルトゥナ家当主の騎士として仕えているが、今は理由あってヴァーミリオン様の護衛として就いている。よろしく頼む」
「……ヴァーミリオン様?」
また知らない単語が出てきたぞ、と渋い顔をしながら俺は首を傾げる。
こちらが知らない事を、さも当然知っているかの如く話すのはあまり好ましくない。この世界について何も知らないのだから、とにかく今の俺には全ての説明が足りないのである。
俺はぷくりと片頬だけを膨らませて、シアンさんの話に耳を傾けた。
「ヴァーミリオン様はフォルトゥナ家の次男として生まれた子だ。だが体調を崩し、現在ご家族とは別宅で暮らされている。とても繊細な子で、なかなかデリケートなところも多くてな。その上、精神的にも落ち込まれていて……。私が父君から護衛を任されているんだ」
「……ふーん。その様子だと、なかなかシアンさんも手を焼いている感じ?」
そう返せば、シアンさんは一瞬だが驚いたような表情をしてみせた。
まるで何故そんなことを聞くのかわからないといった様子で、図星を突かれたような顔をして曖昧に笑っていた。
「そ、うだな……。心を開いてくれなくて、警戒されているようなんだ、私も。いや、警戒というよりは無関心に近いかもしれない」
「私"も"?」
「ヴァーミリオン様はもしかすると君の主になるお方かもしれないんだ。ウェイン君とは歳も同じだし、仲良くしてくれると助かる。君ならばきっとあの子の心を開いてくれると私は踏んでいるし、良きパートナーになってほしいと願っている」
「……はあ、よっぽど気難しい子なんですね。俺で良ければなんとか力になりたいところだけど」
シアンさんが困ったように微笑んだので、俺はそのまま窓の外に視線を移し、誤魔化した。
なんだかよくわからないけど、多分この人も色々と苦労をしているんだと思う。真近で顔をよく見てみると、疲労が隠せていない。目の下は若干薄黒いし、顔は青白く、機嫌が悪いわけでもないのに眉間には皺が寄せられている。よっぽどヴァーミリオンという子に振り回されているに違いない。
そんな子と、良きパートナーに? というか、俺の主? なかなか難しい話だ。さっぱり頭が追いついていかん。
「ねぇ、シアンさん。俺、一回天国に逝きかけたせいか記憶が飛んでるみたいなんだ。わからないことがあったら、なんでも聞いていい?」
「私に答えられることならば。そういえば君は、一週間程前に埋葬されるところだったそうだな。ご両親にそう伺ったよ」
「うん。意識もなかったから、ぶっちゃけほぼ記憶がないのと同じなんだ。初めは自分の両親の顔さえ覚えてなくて、色々大変だった」
その辺は上手く設定を考えておく。実際本当のことだし、この人になら後ろめたさを感じることもないから色々と情報を聞き出すことができそうだ。
この世界の常識を少しでも頭に叩き込んでおかなければ、後々困るのは俺になる。些細なことでもいいから、なにかしら知っておかないと。
「それでまず、聞いておきたいんだけど……あの、そのフォルトゥナ家っていうのはなんなの?」
「フォルトゥナ卿はこの地を治める侯爵のことだ。他国からの侵略を常に監視し、軍事力を持つ存在でもある。フォルトゥナ卿は大変主と騎士の絆を重んじるお方で、そのお気持ちが強いせいか、この地方に住む住人達にも自分と同じように心を許せる唯一のパートナーを見つけてほしいと願い、自らフォルトゥナ学園を設立したんだ」
「パ、パートナー? フォルトゥナ学園?」
「主は自分を護る唯一の騎士を見つけられるように、騎士となる者は自分が生涯護り続けたいと思う唯一の主を見つけられるように。貴族、庶民、農民、階級は問わない。誰もが平等に自分のパートナーを見つけるための場として、フォルトゥナ学園がつくられたんだ。……まだ君には難しかったかな? 私も、もう少し噛み砕いた説明をすることが出来たらいいんだが」
とりあえず騎士と主との出会いの場を提供している、という事なんだろうか。恐らく勉学、実技も学園では訓練させるけど、本来の目的は自分のパートナーを見つけ出すこと。
まぁ、主となる人間も騎士が護衛となってくれたなら身の危険を感じる可能性も低くはなるし、騎士も騎士で主がいれば食い扶持にも困らないし、双方にとってメリットがあるというわけか。
この間のようなモンスターと遭遇した場合も、騎士がいてくれたなら自分が動かずともきちんと対応してくれるわけだし、そこから少しでも治安維持に繋がればと考えているのかもしれない、フォルトゥナ卿は。それで貴族だろうが平民だろうが、気にせず学園に呼び込んでいるんだろう。
他国からの侵入者をチェックしたり、学園のことにも気にかけたり、忙しい人なんだなぁ。
「……でも、入学費を考えたらお金のない人には難しい話なんじゃないですか?俺はこうしてシアンさんに声をかけてもらえたからラッキーだったけど、普通だったら入れないんじゃ? 学費だって、払えるかどうか……」
「元々あの学園に入学費用というものはないんだよ。入るのに必要なのは面接と実技試験に受かること、それとある程度の実力だけだ。そこでこの学園へ通うのに適しているかどうかを判断する」
ははぁ、なるほど。そこは税金かなにかで賄っているというわけか。フォルトゥナ卿はそこまでしてその学園に力を入れてるってことなんだな。
俺はなんとなーくだが、理解した。
候補として呼ばれている俺だが、やはり入園する際は同じように面接、実技試験を受けなければいけないんだろうか。
……受けなきゃいけないよなぁ、そりゃ。裏口入学とかやってらんないもんな。ある程度の実力が、どの程度あればいいのかが謎だけど。
「うん、とりあえず一通りのことはわかったよ。ありがとう。あとさ、俺が戦ったっていうモンスターなんだけど」
「あぁ」
「あれって普段からあんな感じでその辺をうろついてたりするの? あの集落の子達が遊んでいるところに急に現れたんだけど。相当危ないよね? 下手をすれば、命を落としかねない出来事だったんだけど」
「……そうだな。我々、フォルトゥナ卿に土地の管理を任されている騎士達も、なるべく見つけ次第討伐するようにはしているのだが。それでもやはり数が多い分モンスターの存在自体を消すことが出来ず、手を焼いている状況だ。本来であれば、どうにかしてこの地方から抹消したいものなんだが」
そりゃそうだよな。その存在を根絶することができるのなら、きっと誰だってそうしてる。
ゲームでもモンスターのいないフィールドなんてないんだから、同じようなことなんだろう。たぶん。倒しても倒してもキリがないという感じで。こんな感じのまとめ方でいいものか悩んだが、これ以外思いつかなかった。すみません。
「じゃあ、最後にあと一つだけ。この世界にお風呂は存在しますか?」
「……は?」
「いや、あの、変なこと聞いてるってのはわかってるんだけどさ。さっきまでいた家では風呂っていうものがなくて……。体を洗う時はわざわざ川にまで出向いて水を浴びなきゃいけなかったんだけど、もしかしてその家でもやっぱり風呂はなくて、井戸なんかで水浴びをするのかなぁ、なんて。卿ってつくぐらいの地位の高さの人なんだし、そんなことはないと思いたいんだけど」
「なるほど。だから君達は……」
体に異様なまでの汗臭さが染みついているのか、なんて言わないですよね……シアンさん。
歯切れが悪い言葉の続きは、なんとなくだが察してしまう。俺だってこちらの世界に来た時はあまりの臭さに驚いてしまったものだから。
自分ではよくわからないけど、俺も同じような臭いを染み付かせているのだとしたら、今非常に申し訳なく思う。自分の体臭って自覚がない分、余計に。
「……そうだな。君はまず屋敷に着いたら、一度風呂に入って全身を綺麗に洗おうか。川の冷たい水などではなく、温かいお湯で」
「え、それって……」
「心配しなくていい、風呂ならあるよ。だがやはり、その辺りの格差は消えない、か……」
俺は風呂があるという事実に内心喜び、シアンさんの呟いた言葉をよく聞けずにいた。思わず、人前であろうと構わずにガッツポーズをしてしまう程、喜んでいた。
ようやくまともな風呂に入れる……! 髪の毛も体も綺麗に洗える、温かいお湯につかれる! そうだ、顔も洗えるんだ! これから朝はぬるま湯で脂ギッシュな顔も洗えるかもしれないと思うと、つい嬉しさで顔がニヤついてしまう。
もしかしたらその屋敷になら鏡もあるかもしれないし、初めて自分の姿を確認できるかもしれないんだ。俺って一体どんな子なんだろう。楽しみだなぁ。どんな顔をしているのかなー。
「……君は、不思議な子だな」
「え、俺ですか」
「あぁ。君と話していると、とても十歳の子とは思えない。難しい言葉も理解しているようだし、返答が幼い子供のものとは思えない。何故だろう」
どぎーん、とまた嫌に心臓が跳ね上がる。
体は十歳、でも中身は十七歳、話し方は子供を意識したことはなく比呂のままなので、やはりそう聞こえてしまうのだろうか。
でも十歳の話し方というのは、どんな感じだったろう。向こうの世界で言えば小学四年生ぐらいだろうが、あまり俺と変わらないんじゃないか? うーん。でも最近の子は無駄に賢いからなぁ。こんなもんじゃないか?
「一回死んでしまった分、一回り大きくなったのかもしれないですね……中身だけが」
「いや、気分を悪くしたならすまない。ただ、やはり君ならばあの方も心を開いてくださるかもしれない。今回こそ、上手く進んでくれたらいいのだが」
「今回こそ?」
「……君のような聡明な子にならば、話してもいいかもしれないな。ヴァーミリオン様の元には、度々こうしてパートナー候補となる少年が屋敷に呼ばれることがあるんだ。次男とは言え、侯爵家の息子だからね。彼にも信頼出来る騎士をつけたいというフォルトゥナ卿の想いがあるんだ。だが、やはりそこは先程も言った通り、あの方は繊細でデリケートなところがある分、なかなか他人と上手く付き合うことができない。候補として呼ばれた子の方が嫌気がさし、屋敷から逃げ出していってしまうことが続いている。無償でフォルトゥナ学園に通うことよりも、ヴァーミリオン様から逃げ出す事を優先してしまう子が多くて……。困り果てていたんだ」




