風格は立派な当主
俺は自然とその場で綺麗に気をつけをしていた。
なにも仕事をしていなくて、こんなところでおしゃべりを続けていたことに今更ながら気まずさを感じてしまったからだ。本当に、今更。そうでした、俺の優先順位はやっぱり仕事が先なのでした。
まるで体育館裏で授業をサボっているところをたまたま通りかかった教師に見つかってしまった生徒のようだと思う。俺にはサボろうだなんて意図、なかったんだけどな。
そんな慌てふためく俺を見て、執事さんは微笑んだ。ひええ、ごめんなさい、すみません。
「いえいえ、そう構えなくとも結構ですよ。ヴァーミリオン様は貴方にはとても素直でいてくれるようなので、私達も安心しているのです。ヴァーミリオン様を、どうぞよろしくお願い致しますね」
改めて頭を下げられて、俺は恐縮してしまった。それよりもやっぱり、申し訳なさが先行してしまう。
「それにしてもヒロさん、貴方も少し纏っている空気が変わりましたね。常にピリピリと緊張、警戒しているようでしたが、柔らかくなっています。落ち着いたのですね」
「え?」
「以前、一人で抱え込んで潰れてしまうのではないかと心配しておりましたが、今は自分の進むべき道をしっかりと見つけることができたようでホッとしているところです。もしやとは思いますが、それもヴァーミリオン様のおかげでしょうか? いやはや、まさかそんなに親交を深めていたとは」
二人で、顔を見合わせる。
執事さんがそうだと感じたなら、そうなんだろうか。いや、でもそれはそれで、どうなんだろう。俺と、ヴァーミリオンが?
確かに抱えていたことをヴァーミリオンに話して、スッキリはした。
まだ隠していることもあるけれど、それでも以前より胸の中に漂っていたモヤモヤが晴れたのは事実だ。素直にそうだと言えないところが難しいところではあるけど。
うーん、俺がもっと純情なヤツだったらすぐに認められるのにな。おそらくヴァーミリオンも同じだと思うんだけど。
だけどヴァーミリオンは照れもしない様子で平然と答えていた。それを聞いた俺はさすがにぎょっとした。
「当然だろう。俺はこの屋敷の当主であり、この男を専属の使用人として選んだ責任もある。不安を取り除けないでいて、なにが主人だ」
彼の後ろにはドーンという文字が見える。
なるほど、素晴らしいぐらい自信に満ち溢れている。腕組みをして答える様は、さすが屋敷の当主といった感じだ。年齢は幼いものの、風格は立派な当主だよ、お前は。
だけど次の瞬間、吹き出してしまった。
「ヒロも俺を信頼してくれている。いま俺がここまで持ち直すことができたのも、こいつの激励があったからだ。もちろん、皆の支えもあっての話だが。この男を屋敷へ連れてきてくれたじいにも感謝している。でなければ俺は、ヒロと出会うことができなかった」
「ヴァーミリオン様……」
「正直、ウェインのことも諦めきれない節もある。しかし、いつまでも引きずってはいられない。肩を落とす俺を奮い立たせてくれたのが、この男の存在だった。本当に、まるで何年も前から俺のそばにいてくれた友人のような男だ」
あんぐりと口を開けてしまう。
ヴァーミリオンを奮い立たせた記憶なんてないんだけど、一体なにを捏造しているんだろうか、こいつは。さりげなく何年も前からそばにいた友人とか言ってるし。
横で聞いていて、なにを言い出すのかと怖くなってきてしまう。
「話というのは、フォルトゥナ学園に関してか? それとも、じいを助けたという、あの男か? またなにか近くに魔物でも現れたのではないだろうな」
「魔物の件ではありませんが、その両方でございます。あの少年に関しては、本当に危ないところを助けていただきました。本来は私から直接ヴァーミリオン様に伝えなければいけないことだったのですが、すでにシアン達と鉢合わせてしまったと聞きましたので」
「そうだな。想定外のことではあったが、だがそれもあって有益な情報を得られた。…………まだ隠していることはあるようだがな。隠し通せると思ったら、大間違いだぞ」
うわぁ、背筋が凍りつくような思いだ。
俺の口から、直接ではないけど内情を聞き出すことができて満足しているのかと思えば、どうやらヤツにはすべてバレているらしい。ひえええ、遠回しに言われてるぞ、これー。
横目で見られて(睨まれて?)、冷や汗が流れていく。
執事さんはそんな怯える俺の様子には気づいていないようで、ヴァーミリオンにもう一度心を開くことのできる唯一の友人ができたのだと、それはもうニコニコと満足気に微笑んでいた。
「それでアディさんのことなのですが、私がもてなしたいと思い、この屋敷へ招待しましたので」
「あぁ、その件は心配しなくていい。俺には頼りない専属使用人がついているからな。気が済むまで、思う存分にもてなしてやれ。こちらのことは気にするな」
「ありがとうございます。ヒロさん、ヴァーミリオン様を頼みましたよ」
頼みましただなんて、なんて大袈裟な、と俺は苦笑いを浮かべてしまった。それよりも頼りないという言葉が、ぐさりと胸の奥深くに突き刺さったけれど。その隠そうともしない刺々しさよ……。
執事さんは頭を下げると、アディをもてなす支度をするためか、すぐに部屋を出て行ってしまった。
なんだか嬉しそうだったなぁ、あの顔を見ると。この屋敷への来訪者ってなかなかいないから、余計にかな? それに自分を助けてくれた人へのお礼なんだから、いつも以上に張り切っているのかもしれない。
だけど抱えている事情が事情なだけに、俺は素直に喜べないのだった。
「複雑そうな顔をしているな。まぁ無理もないのだろうが。思っていることが顔に出すぎているぞ」
「でも、執事さんを助けてくれたのは事実だし……。アディとの問題は、ここだけの話だし。俺がとやかく言うことじゃないんだろうけど、でもやっぱり警戒しちゃうっていうか、色んな意味で心配っていうかさ」
腹の中では何を考えているかわからない分、警戒は解けない。色々と、怪しいから。怪しすぎるから。
この屋敷でなにかしようとしているんじゃないかって勘繰ってしまうのは今までの経験上、仕方のないことなんだ。追われたし、アディの仕業ではないにしろ、傷つけられたのも事実だし。
ここでは何もしないと言いつつ、屋敷から一歩出た瞬間を狙って仕掛けてくる可能性もあるんじゃないかと俺は考えてしまっていた。考えすぎ、疑いすぎと言えばそれまでなのかもしれないけれど。
「それにルナの言ってることも気になる。アディの他になにか気配がするって言ってただろ? どうしてもアイツと関連付けちゃうんだよな」
「……それは実際ありえる話だからな。警戒していて損はないだろう。お前も気をつけておけ」
「何事もなければいいんだけどさ」
「シアンもいる。なにかあればすぐに駆けつけられる。大丈夫だ。俺も、お前も、ルナもいるんだ」
不安が胸を徐々に覆ってきているみたいで、モヤモヤとしたものが晴れることもなく、溜息を吐き出して窓に目を向ける。黒くて分厚い雲が空いっぱいに広がっていて、雨の予感をはらんでいた。
そりゃ何事もなければ、それに越したことはないけれども……。
昼の間は特にすることもなく、ヴァーミリオンからなにか言われることもなかったので、とりあえず俺は庭をぐるぐると走っていた。これはもちろん、体力をつけるためだ。
アディの登場で、いかに自分が何もしてこなかったかという事実を突きつけられ、痛い程よく思い知らされたので、ようやく本当の意味で危機感を持ったんだ。
特訓をしなきゃと思いつつ、結局は傷を理由にして動いてこなかったんだから、さすがにこのままダラダラと過ごすのはやばい。だからヴァーミリオンに頼み込んで、外で走ることの許可を貰ったんだ。やっぱり決めたならすぐに動かなきゃいけなかったんだよな。相手の目がどうこう言ってる場合じゃなかった。




