大きいようで小さい背中
俺は話すことなんてないんだけど、シアンさんがアディの提案を快く承諾しようとしている。二人きりになっても大丈夫なのか(絶対に大丈夫じゃないって)、それこそいきなり剣を振り回すようなことにならなきゃいいけれども。
すぐに後ろからぐさりと刺されたりしてな。……ありえそうで、笑えない。
『ヒロさん、私がいます。大丈夫です。気圧されてはいけません。雰囲気に、負けないで』
それはわかってる。わかっているけれど……。
アディが一歩踏み出すと同時に、ヴァーミリオンが前に出た。
俺を隠すようにして、アディの正面へと立った。
驚いて、その大きいようでまだ小さい背中を見つめてしまう。
ヴァーミリオンは腕を組むと、軽く鼻を鳴らして顎を上げ、アディのことを見下ろした。身長は同じぐらいのはずなのに、なぜかヴァーミリオンのほうが態度は上だ。さすが屋敷の主、というだけはあるかもしれない。
敵意を持っているんだろうか、それともただ警戒しているだけなのか、雰囲気がピリピリとしていた。いや、もしかすると怒っているのかも……?
「アディ、と言ったな。悪いが、この男は貸せない。先程シアンが説明した通り、こいつは俺の専属使用人だ。俺の許しがなければ勝手に動くこともできない。もし本当に話がしたいというのなら、俺が同行しよう。なに、必ず二人きりでなければできないような話だというわけでもあるまい」
アディの目が細められる。やばい、なにか探るような目付きだ。
もしかすると、ヴァーミリオンを敵だと認識したのかもしれない。こうなればこいつにも刃を向けてしまうんじゃ……。
俺は焦って、主人の腕を不躾に掴んだ。ダメだ、いまお前を巻き込みたくない。
だけどヴァーミリオンは俺の腕を振り払った。お前の言うことは聞かないといったようにも見えた。ひ、人が心配してやってるっていうのに、こんにゃろう……!
「どうだ? それが嫌だと言うのなら、諦めるといい。なにせ今はこの男に説教中でもあったのだからな」
「……そうですね。いいえ、特に嫌だというわけではないのですが。ただ、本当に久しぶりに会えたので二人で話してみたかっただけなので。そこに貴方が思うような他意はありませんよ」
「ならば茶だけ馳走になるといい。シアン、案内してやれ。俺はまだこの使用人に話がある」
シアンさんも内心、冷や汗をかいているかもしれない。まさかアディの申し出を断るとは思っていなかっただろう。
複雑そうな顔をしながら「はい」と返事をすると、アディを連れて客室へと移動していった。
俺の横を通り過ぎていく時に、聞こえるか聞こえないぐらいの小さな声で、ぽそりとアイツは呟いた。また肩が跳ね上がってしまった。
「……ここでお前を狙うつもりはない。安心するんだな」
心臓が重く音を立てた。
振り返ると、アディはこっちを見ることもなく、シアンさんの後をついていってしまった。俺の心臓はバクバクと音を立てたままだ。
アイツはただ偶然に、ここを訪れただけなのか。たまたま出会ってしまっただけなのか。聞きたくても素直に答えるヤツじゃないだろうから、どうしようもないけれど。
なんとも言えずにその後ろ姿を眺めていると、ヴァーミリオンに背中を叩かれた。そして、舌打ちをされてしまった。
「俺に隠し事は許さん。なにを隠している。あいつとの関係は、なんだ。手を組んでいるように見えないことは確かだが」
「なんだ、と言われましても。えーと、なんて言ったらいいのやら。むしろ言ってしまってもいいものか」
「普通ではないだろう。お前があの男に対して抱く感情が。不安か、恐怖か、それとも敵意か」
ヴァーミリオンは見抜いている。俺がアディに抱いている感情を。しかも見事、すべてが当たっている。
それこそ、ここにいる人達を狙っている張本人だと言ってしまってもいいものか。いいや、そうすれば必ずヴァーミリオンが先に動く。なら言えない。絶対に言わない。
俺が言い淀むと、ヴァーミリオンはルナへと視線を移した。
「貴女も、すぐにヒロを庇うようにして前に出たな。ということは、昨日聞いた話に関係する人物なんだろう。お前達が、立ち向かうべき相手だな。言わなくてもわかる」
今の一瞬で、そこまでわかってしまうのか。隠そうとしたって、こいつにはバレバレか。
だから俺はもう、俯くことしかできなかった。きっと顔にだって、いま抱えている感情が馬鹿正直に出ているかもしれないからだ。
ルナは話すつもりでいるのかな。だけどあそこまでハッキリと言われたら、白状するしかないんだろうか。隠し通そうとするほうが苦しいよな、きっと。絶対なんて、無理なんだ。
緊張で固まっていると、そばにいたステファニーがぽつりと呟いた。そしてそれは俺達三人の耳に、しっかりと届いてしまった。
「……さんかく、かんけい」
彼女がこの場に残ってくれていて、心の底から良かったと俺は思った。
ヴァーミリオンの盛大な溜息が、大きく響いた。
「それで、どういうことなんだ。お前とあの男の関係性については」
「うーん。どう、説明するべきか……」
「ここまできて、まだしらばっくれるつもりか。大体お前の事情は把握しているんだ。いい加減、俺を本当の意味で信用しろ」
「それはそうなんだけど、わかってはいるんだけど……。どうしてもさ、やっぱりさ、心苦しいといいますか、なんといいますか」
は? とヴァーミリオンの目が一層厳しくなる。そうは言われても。そうは言いましても。
まだそんなことを言っているのか、この男は。そう噛みつこうとしているのが目に見えてわかってしまった。
「なにが心苦しい。今の状況より苦しいことなどあるか? 他人のことよりもまず自分を優先的に考えろ。一人でうだうだと悩んでいるほうが余程苦しいだろう。まさかとは思うが俺のためだと言い張るのであれば、今この場で張り倒してやるからな」
それはそうなんだけど、と不自然にルナへと視線をずらしてしまう。気まずい。気まずいよ、俺は。
だけどさすがのルナもアディがこの屋敷へ来てしまったことに対して、暗い表情を浮かべていた。
そういえばさっき、なにか良くないものが近づいてきているだとか言っていたような気がする。ルナの不安が的中してしまったって感じか。
ヴァーミリオンと揉めていたから詳しく聞くことができなかったけれど、やっぱりあれはアディを指して言っていたのかもしれない。今の俺達にとってはまだ準備も整っていないし、最悪な展開だもんな。
アディがここにいるってことは、おそらくあの女も俺がこの屋敷に身を潜めていることを知っている。だとしたら、いつ動くのかわからない。
次は一体なにを狙ってくるのやら……。
用済みになった俺なんて、ゴミ同然みたいなもんだし。ルナのことは再利用しようだとか考えているかもしれないけど、彼女をあの女に手渡す気はさらさらない。俺やウェインのような境遇も、絶対に起こさせない。
だけど、ヴァーミリオン。
まさかこんなところでアディと顔を合わせることになるなんて。
しかも勘のいいヤツだから、すぐに俺達が対峙している相手だって察してしまった。やっぱ鋭いよな。
素直に理由を言えば言葉の通り、この場で張り倒されるのかもしれない。張り倒されるのも痛い思いをするのも、もう嫌だ。
片足だけ突っ込んだ状態だったけど、このままだとすべてを引きずりこんでしまいそうだ。いや、ヴァーミリオンの場合、自ら飛び込んできそうだけれど。
だけどヤツは気づいているんだから今更しらばっくれることもできない。誤魔化しなんかきかない子なんだから……。
俺も俺で、いちいち怒られるのも嫌だ。むしろなかなか話し出そうとしないから、すでに怒鳴り始めそうな気もするし。もうピリピリしているぞ。
「……子供のうちからキレやすいと、この先が心配だな」
「誰が俺をイライラさせていると思っている。お前しかいないだろう。俺だってそうずっと気が立っているわけではない。そういう印象付けはやめてもらおうか」




