嫌悪感、警戒
話を逸らすなら今だと、ステファニーに向かって声をかけた。
もちろん、隣からは物凄く怒り狂ったようなヴァーミリオンの視線がすぐに突き刺さったけど。
俺はバタバタとステファニーの元へと駆け寄っていった。
「ステファニー、さん! なにをしてるんですか、こんなところで! いやぁ、奇遇ですね!」
ステファニーはすぐに怪訝な顔をして、嫌そうな目で俺のほうを向いた。うわうわ、なにもそんな明らかな嫌悪感丸出しにしなくても……。
どうやら警戒されているようだ。どうして自分の元に来たんだと、巻き込まれるのはごめんだと言おうとしているのを、雰囲気で察してしまった。
俺はステファニーを盾にするように、わざと背中のほうへまわった。
女の子を盾にするなんて、ヒーローにあるまじき行為……っ。でも、ごめんな、ステファニー!
「……貴方、この屋敷の使用人よね? 確か、名前はなんだったかしら……えーと。ヒロー、ピロー、ピーラー」
「ヒロです、ヒロ。今はヴァーミリオン様の専属使用人でもあります」
「そうそう、あー、ヒロね。こんなところで油を売ってなにをしているのかしら? この屋敷で働いているのだからもう少し自覚を持って、優雅に動きなさい。バタバタと騒々しい。野蛮な盗賊でも暴れているのかと思ったわ」
続いて、ステファニーはヴァーミリオンへと視線を向けた。ふん、とそれこそ小馬鹿にするような感じで。
「また辛気臭い顔をしてるわね、この男は。そんなんだからこの使用人にも、自分の騎士にも逃げられるのよ。せめてもう少し眉間の皺を伸ばしたらどうなのよ」
「お前も機嫌が悪いのか知らないが、人に当たるのはやめておいたほうがいいんじゃないか? そもそもなぜ未だこの屋敷に滞在している」
「機嫌が悪い? 機嫌が悪いだなんて、そんなふうに見える? ハッ、そんなことあるわけないじゃない! べつにウェインが気になるからこの屋敷にいるなんて、アンタには関係ないでしょ!」
なるほど、ウェインのことを気にしてくれているのか。
バチバチと、二人の間に火花が散っているような気がする。
だけど今の言い方からするに、ステファニーはステファニーなりにウェインのことを心配して、この屋敷から離れられないのかもしれない。口は悪いけど、彼女なりの優しさなんだろう。
ウェインがこの屋敷に戻ってきても、ステファニーがいるならきっとあの子を支えてくれるかもしれない。兄ちゃん、今の言葉にものすごーくホッとしたよ……。
ヴァーミリオンとステファニーが睨み合っている中、ルナが俺のそばへとやってきた。耳元で、こしょこしょと小さな声で話しかけてくる。
『ヒロさんとヴァーミリオンさんはじゃれ合っているかのような上辺だけの仲の悪さですけど、この少女との場合は本当に犬猿の仲といった様子ですね。さすがにここで迂闊にヴァーミリオンさんをけしかけることはできませんよ』
「……けしかける気でいたのかよ。ルナ、こういう時は空気を読んでだな」
『まぁまぁ。私も早くヴァーミリオンさんと打ち解けていきたいと思っておりますので。ちょっとした茶目っ気ですね。ふふふ』
その茶目っ気に巻き込まれることになるのが俺なんだけど、ルナはそれをわかっているのか、それともそうじゃないのか。
さすがに呆れていると、またこの場にいなかったはずの誰かに声をかけられてしまった。
「ヴァーミリオン様に、ステファニー様。こんなところでなにをしているのですか。それに、君も……」
現れたのは、シアンさんだった。俺以上に呆れているような声だった。
振り返って、頭を下げる。
ですよね、階段で話し込んで何をしているんだってなりますよね。
あはは、と苦い笑みを浮かべながら下げていた頭を上げて、だけどそこで凍りついてしまった。
息を止めてしまうほど驚き、そして目を見張る。かちこちに、体が石のように固まってしまった。
だってシアンさんの影になるようにして立っていたのは、あの時俺を追いかけてきていた、褐色肌で銀髪の少年だった。
アディ。
なぜ、彼がこの場にいるのか。どうして、シアンさんと一緒に屋敷の中にいるのか。
体が震えそうになって、身構えてしまう。ついでに、足もガタガタと震えそうなんだけど。
もう治ったはずの、だけどアディに傷つけられた腹を無意識に手で押さえて、後ずさりしそうになってしまう。怖い。そう、俺は怖いんだ。
ルナが俺の肩に乗って、異変に気づいたらしいヴァーミリオンが咄嗟に隣に並んでくれる。
シアンさんとステファニーもなにか勘づいたように見えたけど、様子を窺うようにして、こちらに視線を向けるだけだった。
「……シアン、その男は」
ヴァーミリオンが訊ねると、シアンさんは彼を紹介するように横に並んで、説明を始めた。
その間も俺は動けずに、ただ恐怖に耐えるしかなかった。
「あぁ、紹介が遅れました。彼は先程、街で輩に絡まれていたアルフレッド殿を助けてくださった、アディという少年です。アルフレッド殿が是非御礼をしたいと、この屋敷に招いたそうですよ。アディ君、この方は屋敷の主人であるヴァーミリオン様になります。そちらにいらっしゃるのはステファニーお嬢様と、ヴァーミリオン様の隣にいるのが彼の専属使用人である……えー……」
「ヒロ」
「そうだ、ヒロ君だ。……ん?」
アディが、俺の名前を口にする。
瞬間、心臓が跳ね上がってしまった。
その夜空に浮かぶ月のように輝く金色の瞳は俺を射抜こうとしているのか、じっと真正面から見つめていた。綺麗だと思っていた瞳が、嫌にきらきらと光っている。
俺も目を逸らすことができずに、ただ微かに体を震わせながらアディを見つめるばかり。
身を隠していたはずの居場所が、バレてしまった。いや、もしかするとこいつはもっと早くからこの場所を突き止めていたのかもしれない。俺に逃げられたあの時には、きっと。
なんとなくだけど、そう感じた。そしてこの屋敷に潜り込むためのきっかけを待っていたのかもしれない。随分と前から、目星は付けられていたんだと思う。
お前は闇から逃れることなんてできないんだと、そう言われているような気がした。とどめを刺しに来たんだと、俺はその場から走って逃げ出したくなった。
刺された時には自分がアディ達をなんとかしなきゃいけないって思っていたのに、実際こうして会えば尻込みしてしまうなんて、想像以上に俺は傷ついているようだ。
「知り合いなのかい? なぜ君が、彼の名前を知っているんだ? 向こうはそうは見えないが」
「俺が一方的に彼を慕っているだけですから。当の本人はそんなこと、知る由もないでしょうが」
にこりと、アディが微笑んだ。
うわ、嘘くさい笑顔だ。取り繕った笑みだっていうのはすぐにわかってしまった。
どうするべきか、どうしたらいいのか、俺は頭を悩ませる。
だけどここで逃げ出せば、次はシアンさん達におかしな目で見られるかもしれない。逃げた理由を聞かれても、本当のことなんて言えないし、なんて言ったらいいのか。
ヴァーミリオンの専属使用人になったばかりでおかしな行動はしていられない。不審な動きを見せる使用人を、ヴァーミリオンの傍に置いてはおけないだろう。あぁぁぁ、だからといってこのまま平然となんかしてられないし。
二度もヴァーミリオンの前からいなくなるわけにはいかない。また深く傷つけたりでもしたら、ガチで顔向けなんてできるはずがない。
だけどここにいれば、ヴァーミリオンも危ないかもしれない。いや、ヴァーミリオンだけじゃなくて、ステファニーやシアンさんもアディの攻撃対象と見なされる可能性があるんだ。
それはまずい。絶対に、まずい。
だからまずはこの屋敷の住人達をアディから離さなきゃいけないんだ。どうする。どうするべきだ。良い案が思いつかないぞ。
「すみません、ヒロと話がしたいのですが。ここでこうして出会えたのもなにかの縁ですし、次はいつ彼と会えるかわかりませんので。アルフレッドさんには、申し訳ないのですが」
顔は笑っている。だけど、目が笑っていない。言っておきたいけど、めちゃくちゃ怖いからな、その表情。
呑み込まれそうな闇に、俺はただアディを睨むことしかできない。




