八十四話
しかし、それまででしかないことに今更ながら気付かされた。
魔女という称号は手に入らなかった。他人からは厄災だの悪魔だの死神などと罵られて忌み嫌われた。何一つとして成すことはなく、それでいて陰口のような二つ名でしか呼ばれない。そんな哀れなただの魔導師。
あっという間に捕らえられてしまった。魔導術使っても防御され、回避され、打ち消されてしまっては意味がなかった。魔女の二人や三人ふっとばした程度では、あの魔導書を持つ者たちを止めることができなかった。
四肢を切り刻まれ、鎖で縛られ、障壁に閉じ込められ、自分よりも魔導力が低いであろう連中に見下される。それがここまで苦痛だとは思わなかった。自分には指一本触れることができないとさえ思っていたのに、気がつけば膝をついて見下されている。心身ともに苦痛以外のなにものでもなかった。
「殺さないのか?」
それでも気丈に笑って見せた。
「まだ殺さない」
そう言ったのは黒い魔導書を持った青年だった。
「まだ? まだってどういうことだ?」
「ここで殺しては、今まで奪われた命の対価として正しくはないと思うからだ。王都まで連れ帰って正式に処罰を下す」
「お前ら、私を連れて帰れると思ってるのか? わかってるんだろう? 私はお前らよりずっと強いんだって。気を抜いたら一人ずつ首を刈り取ってやる」
「無理だよ。お前にこの拘束を解くことはできない。そもそもこの魔導書は強い力を持つ魔女が世界にとって敵となった際の対抗手段として作られたものだ。少なくとも俺たちはそう思っている。魔導書の作者たちの考えなんてわからないが、そうでなかったらこんな強力な魔導書は誕生しなかっただろうしな」
「ははっ、なるほどな……」
そんなことはとうに理解していた。理解していたが、いくつか腑に落ちないことがあったのだ。それを聞き出すには「まだこちらが折れてない」と思ってもらわなければ先に進めない。
「でもその魔導書よりも強い魔導術があると言ったらどうする?」
「じゃあなぜ使わなかったんだ、と返すよ」
「使わなかったんじゃない、使えなかったんだ」
そう、魔導力が足りなかったから。膨大な魔導力を持つスリエルであっても、万全でない体調と敵の能力を完全に把握していないことによる不備など、さまざまな要因が重なって発揮できなかった。
しかしここには多くの供給源がある。供給源があるのに、魔女一人も殺せない。殺せなければ魔導力に還元することができない。
「どちらも同じだ。さあ連れて行こう」
全員がうなずく。魔導書の魔導術を維持したまま、魔女たちが私の体を持ち上げようとした。
その時、いくつもの閃光が魔女の体を貫いた。
魔女が地面に倒れるのと同時に、三人の魔導師が自分たちの影に襲われて頭や心臓を潰された。
スリエルの前に何かが立ちふさがった
「エネア……?」
「すまないな、遅れたようだ」
エネアは両腕を広げて体内の魔導力を一気に高めていった。
「なにをするつもりだ」
「方法がもうない。黙ってな」
魔導力が目に見えて上昇していく。
「キミの体を魔導力に置き換える。一時的に魂としての存在になるが外界とは接触できるだろうし、時間をかければ体を取り戻すこともできるはずだ」
「なぜそんなことをする必要がある」
「今のままでは勝てないからだ。魔王復活もできなければ、そもそも生きることもできないんだよ。だったら一度身を隠すしかない。私がそのために体を張ろう」
地面の魔法陣が赤く光る。同時にエネアの体に刻まれた紋章も赤い光を放っていた。
「一度は捨てたが、やはり志は一緒だったみたいだ」
捨てた、という言葉が胸に突き刺さった。
「なにをやるかわからん! あの女を殺せ!」
エネアの体に魔導術が襲いかかった。体はバラバラになったが、発動させた魔導術は止まることはなかった。
「利用したかっただけじゃない。大きくなったキミを見て、一緒にいたいと思ったんだ」
エネアは目を細めて笑った。
「最期だけはらしい姿を見せてやりたいじゃないか」
次の瞬間、目の前がホワイトアウトした。消えていくエネアの笑顔を見ても思考が追いつかない。しかし胸中がぐちゃぐちゃになっていくことだけはわかった。
お前がすべての元凶かと思う反面、コイツがいなければ今の自分はいなかったという葛藤がある。そんな葛藤の中で意識が途切れた。
気がつけば見たことがない場所に立っていた。体は半透明、手で物を持つことができない状態だった。集中して魔導力を込めることでなんとか介入できる程度の存在。それでもスリエルとしての意識だけはなんとか繋ぐことができた。確実なことはわからないが、おそらくエネアの命を犠牲にして得た新しい命だった。
強く叱責してやりたい。憤りを叩きつけて半殺しにしてやるのもいいだろう。それでもその相手はもういない。
「これがお前の答えか」
であればやるしかない。二人分の魔女が成そうとした魔王復活という大業だ。一人では無理がある。
力をつける必要があった。力を持つ者を引き入れる必要があった。なによりもあの魔導書を持つ者たちを排除する必要があった。
それからスリエルは魂だけの存在であっても世界各地を奔走することになる。自分の子孫を見つけ出し、いつでも自分の依代にできるようにと新興宗教を立ち上げた。
魔導書の子孫を見つけ出して自分の元に引き入れる準備をする傍ら、英雄ヘリオードの亡骸に魔導力を込めて魂と言うなの魔導力を集めさせた。自分の従者になりそうな人間を選定して手を貸した。
絶対に成さなければならないという信念めいたものがあった。執着や執念という言葉でも当てはまり、生きがいという言葉でも代替できる心からの願望。元々汚いことに手を染めるのはいとわない性格だった。残虐非道であることも自覚があった。そしてそれこそが宿願を果たすために必要だとわかっていた。
あとは前に進み続けるだけだった。
自分にはやらなければならないことがあるのだ。それが約束だからだ。
約束。その言葉に自分が縛られていることに気が付かないまま長い年月が経った。
スリエルは気が付かなかった。
魔王に憧れ、魔王になりたかった自分を見失ったことに。そして、誰かのために魔王復活を成そうとしていたことに。そうして、スリエルは子孫の体を媒介にして復活した。結局彼女は気付くことはなかった。
自分がどうして魔王を追い求めたのかということを。




