八十二話
誰もが彼女の存在に畏怖した。魔女ではないにも関わらず魔女と同等、いや、それ以上の力を持ってしまった存在。魔導師も魔女も彼女の存在を追い続け、けれど勝つことができぬまま逃げられる。力の差があるということは逃げることも容易で、逆を言えばどうして魔女たちを殺さなかったのかが疑問視された。
スリエルには魔女たちを殺さない理由があった。
魔王復活のために必要なのは強大な魔導力である。そのために人々を殺しているのだが、魔女が持つ魔導力もまた必要なものであった。魔法陣が完成した際に魔女そのものを生贄とするため、どうしても生かしておく必要があった。なによりも魔女四人を相手にするなどたわいないと思っていた。魔女を殺すのは大したことではないが、彼女たちが持つ魔導力を吸収できない。
時折旧魔王城に戻って魔導力を保管した。保管する専用の魔法陣を作成して見つからないようにと細工した。
「また戻ってきたのか」
エネアがペンを動かす手を止めて顔を上げた。目の下にはクマができて頬はコケ始めていた。憔悴が全身から溢れ出ているようだ。
「ちゃんと警戒はしている。追手はない」
人の気配を察知するのは得意だ。誰も追ってきていないことは毎回確認している。
「それで、進捗はどんな感じだ」
イスに座ってパンをかじる。
「おい、私にもくれよ」
「ああ、多めに買ってきた」
紙袋と瓶入りの牛乳をエネアの胸に投げ込んだ。
「人間らしい気遣いもできるじゃないか」
なんて言いながら、エネアはパンを食み牛乳を飲んだ。基本的にスリエルが買って来なければ食事はないのと同じだから、エネアの嬉しそうな表情も誇張や過激な反応というわけでもない。
「私は人間だ」
「世間一般でいうところの人間ってのはね、涼しい顔して殺人を繰り返したりはしないもんなんだよ」
「これにも理由がある」
「でも楽しんでるフシはあるでしょう?」
かなりの数の人間を殺した。そのたびに人の悲鳴に身震いした。ナイフで人を刺すこともなく、銃で人を撃つこともない。自分の力が相手より優れており、生殺与奪の権利を握っているということが楽しくて仕方がないのだ。
だが血を見るのも嫌いではない。それは自分の方が優れている証拠であり、自分が相手に勝ったという証明でもあるからだ。
「人殺しが楽しいわけじゃない」
「その割には楽しそうに見えるけどなあ」
そう言われて考えてみる。
人殺しは好きだ。だが人殺しだけが好きなわけではない。破壊そのものが好きなのだ。なにかを破壊できるということは、すなわちそのなにかよりも優れているからだと考えている。
「人殺しも好きなだけだ」
なによりも上にあることが楽しいのだ。そこに人や動物や物なんていう概念はどうでもいい。
「一番たちが悪いやつじゃない」
エネアはパンを片手にまたペンを動かし始めた。魔法陣の完成は近づいているがまだまだ完成には時間がかかる。時間を無駄にはできないからこそ、今でもペンを走らせ続けていた。
「でもそれくらいできるやつじゃないと魔王復活なんてできやしない」
「確かにそうだね。気が触れてなきゃそんなこと誰もやらないだろうしね」
スリエルは牛乳を飲んだあとでエネアの手元を覗き込んだ。
「まだイカれ具合いが足りないかもな」
エネアが書いている魔法陣のある場所に人差し指を落とした。
「ここだけだ。ここを変えればおそらくは完成だぞ」
「マジでか……」
エネアの頭をそっと撫でる。エネアは大きなため息をついて机に突っ伏した。
「あとは地面に描くだけだな」
「私は無理だよ」
「当然私がやる。人の魂も集まってきたしな。あとは魔法陣を設置して魔女たちをおびき寄せればいいだけだ」
「じゃあ任せるよ。はいこれ」
手渡された紙には魔法陣や文字がびっしり書かれていた。その紙を持って魔王城の広場へと向かった。そうして魔法陣を描き始める。直径十五メートルほどの大きな魔法陣。魂を吸い上げて魔王の心臓へと流れ込む。そしてそのままスリエルの体を使って魔王へと至る。だが魔導力がまだ足りない。魔女をおびき寄せて一気に殺すしかない。
手を動かしながらこれからの戦闘を思い描く。魔女たちの戦闘能力は大したことはなく、どうやっても魔女四人が自分に勝つビジョンは浮かばなかった。
問題は特殊な魔導書を持っている連中だった。全力で魔導術を使えば抵抗することができないこともない。しかしそれでは一度に多くの敵を相手にすることは不可能だ。であれば戦う方法は一対一で葬る方法しかない。
出した結論は一つだった。魔法陣を描き終えたあとで魔女を一人ひとり拉致してくること。そうしてここで殺し、魔導力を搾取する。できるかできないかはわからないが、そうするほかに道はなかった。魔女たちは取るに足らない存在であるが、特殊な魔導書だけは切り捨てることはできなかった。同時に相手にすることは不可能だという結論に達した。できることならば魔導書を持った人間も一人ひとり相手にする。これが唯一の勝ち筋だった。
「バカバカしい……」
これほどまでの力を持ち好きなだけ殺してきた。そんなスリエルが「一つしかない価値筋」を拾う戦いしかできないとは。
それでもスリエルは笑っていた。
「こういう戦いも、悪くはないな」
そう言いながら魔法陣を描き続けた。そのまま、一晩中魔法陣を描いて過ごした。彼女の表情はまるで遠足前の子供のような、嬉しさを我慢しているような顔をしていた。




