六十三話
それでもまた、目の前にはゼクトの巨躯が迫っている。
「そんな……」
「これが差だ」
地面に思い切り叩きつけられた。
「ガハッ!」
スリエルによって肉体は強化された。それでもゼクトの攻撃は尋常ではないほど強力だった。
そして、胸ぐらを掴み上げられた。
「前も似たようなことがあったな」
思い出す。
最初は防戦一方だった。味方が陣形を整えて魔王の魔導力を押さえつけるのに時間かかったからだ。自分を含めた数人で魔王の相手をし、その間に魔導力を抑え込む紋章を地面に書いた。だから勝てた。
「前のような卑怯な手は使えないぞ」
「なにが卑怯だ。人間が魔王に勝つなんてのは普通じゃありないことだったんだぞ。それを知恵でやり遂げたんだ」
「でも腕っぷしでねじ伏せることはできなかっただろうに。それができたら我もお前を真の勇者と認めたんだがな」
正々堂々と魔王に勝てる者など存在しない。もしも存在するとしたら魔王と同等の力を持っていることになる。つまり、魔王以外ではありえないのだ。
ダインスレイヴがいくら強い力を持っていたとしても魔王と同等の存在にはなれなかった。だから味方に支援してもらう他なかったのだ。
「お前に認めてもらう必要なんかない……!」
身を捩り、少しだけ勢いをつけてダインスレイヴを振った。
ダインスレイヴを避けたおかげでゼクトの手からは開放された。だが開放されただけと言えばそれまでだ。この速度、この膂力、この魔力、そのすべてがヘリオードを上回っているのだ。逃げたところで追いつかれ、防いだところで貫かれる。
自分の行動を想像して身震いした。なにをしても魔王ゼクトに勝てるヴィジョンが浮かばなかったからだ。いつの間にかここまで差がついてしまった。自分たちが知らぬところで、こんなにも遠い存在になってしまったのか。
「なんだ、その顔は」
どうしてか、ゼクトの顔が歪んだ。なにか汚らしいものを見るようで、どこか落胆したような様子だった。
「なんだよ、その顔は」
それがあまりにも愉快でヘリオードは思わず笑ってしまった。
ゼクトのこんな顔は見たことがない。不遜な態度で豪快に笑う、もしくは不愉快だと怒り狂うかどちらかだった。
「お互いに年を取ったということか」
ゼクトが自嘲気味に笑った。それもまた見たことがない一面だった。
先程まではゼクトとの力の差に畏怖を覚え、自分に失望し、足も手も止まってしまいそうになった。
だが、まだやれることがあるのだと気がついた。それを教えてくれたのは他の誰でもない、目の前にいる魔王ゼクトだった。
「感謝するよ。相手がお前じゃなかったら、とりあえず突っ込んでって砕けてたかもしれない」
「お前が我に感謝するとはな。特になにもしたつもりはないがな」
「俺が勝手にしてることだ。お前は気にしなくてもいい」
もう一度ダインスレイヴを構え直した。
今まで接したことがないようなゼクトがここにいるように、自分もまた前とは違った生命に成り代わったのだ。生命体としてだけではない、存在そのものが変わってしまったのだ。欠如しただけではない。進化と退化を同時に行うことによって、その身に革命が起きたと言ってもいい。
そうだ。今この身はヘリオードであってヘリオードでないのだ。
細く長く息を吐く。集中すれば自分の中にある魔導力がどれだけのものかを確認することができた。半分はスリエルの物で半分は自分の物だ。
「行くぞ!」
スリエルからもらった魔導力を使って飛び出した。元来ヘリオードが持っていたものよりも明らかに強力な力だった。
気を抜けば衝突してしまいそうなほどの速度だった。
ダインスレイヴには自分の魔導力だけを込めた。すると今までにないほどダインスレイヴが呼応する。ヘリオードの人間性に反応して力を示したのだ。
振るった剣は全盛期を超える速度でゼクトの首を狙う。だがゼクトも反射でこれを弾く。
「まさか、ここに来て……!」
ヘリオードは確かに見た。ゼクトの首筋に入った赤い線を。
あの魔王ゼクトに傷をつけたのだ。
「そうだ、俺が――」
ヘリオードだ。
誰も近付くことができず、傷つけられず、ただ蹂躙されるしかなかった。だから魔王こそが世界の中心だった。そんな世界を変えたのはヘリオードだ。それはきっと今も変わらない。変わらないからこそ、自分がやるしかないのだ。
素早く体勢を立て直してまた突進していく。今度は準備をしていたのか先程よりも早い段階で弾かれてしまった。
しかし、ちゃんと傷はついている。
また、体勢を立て直して向かっていく。
何度も、何度も向かっていく。
その度に速度を上げて、何度弾かれても突撃する。
「ちょこざいな!」
ゼクトは右手に魔導力を溜めて照射した。だがそこにヘリオードはいない。勢い任せの突進ではあるがなにも考えていないわけではない。それに突撃の度に速度を上げているため、ゼクトの目がその速度に慣れることはない。常に、一瞬前よりも早い速度で向かってくるのだ。
ゼクトのコメカミから一筋の汗が落ちた。この速度の中でもヘリオードはそれを見逃さなかった。
自分がそうであるように、魔王ゼクトもまた昔とは違う存在なのだとよくよく気付かされた。千年前のゼクトであったなら、この程度の攻撃で汗を流すことなど絶対になかったからだ。
魔王ゼクトは間違いなく劣化した。世界の中心であった頃の強烈な魔導力もなく、対峙しただけで心臓が潰されるような思いもしなかった。今の魔王ゼクトはスリエルの魔導力を間借りして作られた偽物である。いくら魔女スリエルであっても、過去最強の魔王ゼクトを模すことはできなかったということでもある。完璧に模倣できないのであればそれはもう魔王ではない。魔王のまがい物以外のなにものでもないのだ。
だがそれはヘリオードも同じである。
目の前の敵が魔王のまがい物であるのなら、自分もまた偽物の勇者である。
「だから、どうした!」
たとえ偽物の英雄に成り下がったとしても、それでもこの胸のうちに秘めた思いは間違っていないのだ。誰かを、なにかを守りたいという気持ちに嘘偽りはなく、きっとそれはヘリオードがヘリオードとして顕界した理由でもあった。




