最終話
「目が覚めたみたいだですね」
起きてすぐ、ヴォルフが顔を覗き込んできた。聖十字騎士団の時はなにも考えずに信頼できた。しかし、今となってはその顔を直視することができなかった。
上体を起こし、布団の上に置かれていた本を手に取る。古めかしい、けれど綺麗な装丁の赤い本だった。
「おめでとうございます、これで貴方は大魔導書の主人となりました」
「お前はこれを知ってたんだよな」
「知ってましたよ」
「じゃあ俺の本当の名前も知ってるのか?」
「当然じゃないですか」
ヴォルフは微笑み、間をとった。
「貴方の名前はウィロウ=レッド。赤の一族の末裔です」
「赤の、一族……」
「籠手に力を宿し、触れたものすべてを滅ぼすと言われる伝説の大魔導書。貴方はそれを手にしたんですよ。喜ばないんですか?」
「喜んでいいのかどうかわからない」
「貴方を捨てた親もそう、貴方の居場所を奪った盗賊もそう、貴方の邪魔をする者を排除できる能力です。喜んでもいいんじゃないんですかね」
「嫌なものを見なくてもよくなる、か」
「わかっているとは思いますが、貴方はその力を使って私の補佐をしてください」
「世界を滅ぼすためにか?」
「滅ぼすわけじゃありませんよ。浄化です。汚らわしいものを浄化し、この世界を一度ゼロにするんです」
「気に入らないものを根絶やしにして、それで満足なのか?」
「わかっていませんね。私の気持ちなどどうでもいいのですよ。世界がそれを求めている。スリエルが、それを求めているんです」
ああ、やはりもうこの男は自分が知っている人物ではなくなってしまった。ウィロウはそう直感した。
大魔導書の契約を強要されるよりも前から知っていた。ただ、信じたくなかったのだ。
なにを追いかけて、なにを求めて、なにをしてきたのだろう。自分は一体なんのために生き、なんのために死ぬのだろう。
きっと、この男のために死ぬのだろうな。いや違う。この男のために死のうと決めていた。だから信念だけは通さなければいけないのだ。騎士として、一人の主人に仕えた従者として、この信念は不屈でなくては道理が通らない。
「わかった」
そう呟いた。
「期待していますよ、ウィロウ」
肩を叩かれた。しかし顔は上げられなかった。
「お前のために騎士になったからな」
「貴方のような従者を持って私は幸せ者ですね」
顔を上げ、ヴォルフの顔を見ることができなかった。
昔のように爽やかに微笑んでいるのだろうか。それとも汚らしく醜悪に顔を歪めて笑っているのだろうか。
見たくなかった。
ヴォルフという男は、自分の中でいつまでも聖人で、清く正しくあってほしかった。だからヴォルフが部屋を出ていくまで、ウィロウは顔を上げることができなかった。




