弟、ウィルを家に招く
「おお、すげえな……」
ユウトが魔力を供給し始めた途端に、世界樹の杖の老木のようだった乾いた表面が、瑞々しく生気を帯びる。
向かいで見ているマルセンが感嘆の声を上げた。
「俺が少し頑張って魔力を注いでも、こんな変化したことねえわ。何だろ、魔力量もだが、やっぱり質が違うんか? 半魔の魔力ってどんだけ美味で栄養たっぷりなんだろうな……」
「これ、どのくらい魔力を入れれば大丈夫ですか?」
「もうそんなもんでいいわ。俺が世界樹の杖を手に入れてこのかた、こんなに魔力に満ちた状態見たことねえし。大概の術使えるわ」
マルセンはユウトから杖を受け取り、しげしげと眺めている。その変わりように驚いているようだ。
「世界樹の杖は他にどんな術が使えるんだ?」
「荒れ地を再生したり、汚染された水を浄化したり、自然を護る系の術がメインだな。大地の浄化も、土を綺麗にして不純物である残留魔力を取り除き、術式を通れなくする術だ。サーチ型の術式は魔力の残滓を手繰って動くから、1回大地を綺麗にしちまえばしばらく使えない」
「へえ、すごい。自然を護る術なんて、何か素敵ですね。マルさん世界の守人みたい」
「世界樹の精霊に認められてその杖を与えられているのだろうから、間違ってはいないんじゃないか」
「……そんな、ありがたいもんでもねえのよ、これ。ほとんど脅されて持たされた杖だし……」
「脅され……?」
「あー……、いや、何でもない」
マルセンは自分の言葉を打ち消すように首を振った。
そしてひとつ咳払いをして話を戻す。
「とりあえず他人に見られると面倒だし、今晩あたりこっそり街の中心に行って術を掛けてくるわ」
「……俺たちも一緒に行くか?」
「必要ねえよ、引退したとはいえ元ランクA冒険者だぞ? 夜道に追い剥ぎが出たところで、プチッと潰して憲兵さんに差し上げてくるだけだっつうの。……それよか他の街はどうするかとか陛下に確認してくれや。大地の浄化だってひと月しか保たねえ一時しのぎだし、根本的な対策が要るだろ」
「……確かにな。では、術はあんたひとりに任せる。明日、またユウトを迎えに来る時に首尾を聞かせてくれ」
「りょーかい」
世界樹の杖をローブの中に隠すようにしまうと、マルセンは立ち上がった。遅れてレオとユウトも立ち上がる。
「俺はこれからちょっと国の魔法術研究機関に行って、降魔術式に関する文献を見せてもらってくるわ。俺の同級生がみんなそこで偉くなってるから、融通利かしてもらえるんだよね」
「そうか。あんたみたいな魔術に通じた人間が術式について調べてくれるのは助かる」
「ま、乗りかかった船だしな。……それに何より、ジアレイスに30年越しの鬱憤をぶつけられるかもしれんのだぜ? やる気も出るってもんよ」
そう言ってマルセンはニヤリと笑う。
レオがそれに強く頷いた。
「そのリベンジを全力で応援するぞ」
「おう、ありがとさん。じゃあ、今日はここまでな。2人とも、気を付けて帰れよ」
「はい。今日もご教授ありがとうございました、マルさん。また明日」
「ああ」
ユウトがぺこりと頭を下げ、マルセンがそれに軽く手を上げて応える。3人は実習室を出ると、もう一度「じゃあ」と軽く声を掛けて別れて行った。
「……あれ? ウチの前に誰か……」
その後、魔法学校からまっすぐ家に帰ったレオとユウトは、自宅扉の前で思わぬ人物に遭遇した。
こちらと目が合ったにもかかわらず言葉を発しない、無表情で寡黙な青年。冒険者ギルドの受付、ウィルだ。ただ軽くお辞儀はした。
「あれ、冒険者ギルドの……僕たちに何か用事ですか?」
「ザインから届け物を預かってきました」
「届け物?」
そう言った青年の手には紙袋が下がっている。
しかし誰から何を預かってきたのか、見当も付かなかった。
他の人間と間違っている、ということはないだろう。彼の記憶力ならこちらの名前なんてもう覚えているだろうし、彼に紹介された人間から借りた家なのだから、きっちり調べて待っていたはずだ。
「えと、よく分かんないけど中へどうぞ。お茶淹れますから。……レオ兄さん、いいよね?」
「構わん」
とりあえず家の中にウィルを案内しようとするユウトに頷く。
まあ、ちょうど良かった。
彼には色々情報をもらいたいと思っていたのだ。ウィルがザインから帰ってくるのを待っていたわけだし、渡りに船と言える。
そうしてユウトに誘われた彼は、特に逡巡することもなく、あっさりと部屋に入った。
無愛想ではあるが、人付き合いが嫌いなタイプではないのだろう。
ユウトが紅茶と焼き菓子を用意してテーブルにつくと、彼はおもむろに高そうな包装をされたチョコレート菓子を差し出した。
「父からです」
「……お父さん、ですか?」
そういえば、彼はザインの父親に会いに行っていたのだったか。
しかし、何故そのウィルの父が自分たちに菓子折を寄越したのだろう。
「お前の父とは?」
「職人ギルドで支部長を勤めている、ロバートです」
「ええ、ロバートさん!?」
隣でユウトが目を丸くしている。レオも意外だった。
彼の父ならきっと使える男だろうと思っていたが、まさかロバートだったとは。
あの人当たりの良い優男の息子が、何でまたこんなに無表情なんだろうか。
「父が以前、ユウトさんの好きそうな菓子を送るとレオさんに約束していたと言っていました」
「ああ、そういやずいぶん前にそんな話をしたな……律儀なことだ」
「うわっ、これザインの有名なお店! 予約で3ヶ月待ちのやつ……! 一度食べてみたかったんだ、嬉しい! ありがとうございます! 今度ザインに行ったら、直接お礼言わなくちゃ!」
何で今、と思ったら、予約の商品か。人たらしらしい、ロバートの絶妙なチョイスだ。ぱっと買ってこれるものではない分、印象もだいぶ跳ね上がる。何というか、さすがだ。
ユウトがこれだけ喜んでいるのだから、彼の思惑ははまったということだろう。弟を喜ばすことで兄の心証も上がると織り込み済みなのだ。
「それから、レオさんに手紙も預かっています」
「手紙?」
すっと差し出されたそれは、だいぶ薄い。
シンプルな封筒を開けて、これまたシンプルな便せんを開くと、そこには時候の挨拶の下に数行があるだけだった。
『もしも息子があなたのお眼鏡に適ったら使ってやって下さい。
少々癖のある男ですが、お役に立てると思います。
ロバート』
端的な用件のみの本文。しかし、若干不可解だ。
……息子をこちらと関わらせようというのか。職人ギルドの支部長であるロバートなら利するところが大きいだろうが、ウィルが関わっても大して得はないだろうに。
「……この手紙の内容は?」
「知っています」
「お前としては」
「異議はありません」
おそらくロバートはレオたちの秘密を息子に打ち明けてはいないはずだ。そういう男だと理解している。
なのに、ウィルはランクCとDのレオたちに使われても構わないと言う。一体彼は父の言うことに従順なだけなのか、それとも何か勘付いているのか。




