ネイ、魔王から魔核の力を受ける
鞘から抜かれた呪いの剣は、刀身に闇の気配を感じさせた。
途端に溢れる魔力の奔流、伝わる威圧感がすさまじい。おそらくこれが魔王の気配なのだろう。
ネイはその魔力を浴びただけで、みぞおちに妙な重さを感じた。
これは多分、長年ここに巣くっていた闇の力の残滓が、畏怖の念を覚えて反応しているのだ。契約が切れた今でも、身体に染みついた昏き業が消えていない証拠。
きっとこの業は生涯背負うもので、だからこそネイは浄化の炎で焼かれるのが贖罪として最上とすら思ったのだけれど。
(……だが、以前のように腹の底から湧くような禍々しさは感じないな)
魂が穢されていたグリムリーパーとの契約からくる悪心とは違う、湧き上がるのは厳かな威圧への畏敬。その印象はどこか大精霊とも似ている気がした。
まあそもそも、闇=悪というわけではないのだ。もしそれが成り立つならば、ユウトのような子が闇の属性を行使できるわけがない。
大精霊も魔王も、世界の創造主。ただ力の方向性が違うだけ。
……ならば己の中を支配していた穢れた魔力は、何に分類されるのだろう。
そんなことを考えていると、不意にネイの視界の端で何かが動いた。
レオだ。見れば、魂を失って倒れ込んだままだった主人が、身体をもたげたところだった。
……もしかして、初代王が剣を抜いただけで魂が戻ったのか? そんな簡単な話だったら、なぜここまで抜くのを躊躇ったのだろう。
ネイは一瞬それを不審に思ったが、すぐにレオのまとう異質な気配を察知して、考えを改めた。この身体の中にいるのはレオじゃない。
これは、魔王だ。
「と、父さん!? どうしてレオ兄さんの中にいるの!? まさか、憑依……」
「……心配するな、使役しているだけだ。憑依ではない。……おいそれと人の子の前に顕現するわけにもいかんからな」
おもむろに立ち上がったレオの正体が魔王であることに、ユウトは即座に気付いたようだ。おそらくその身体を操る魔力を感じ取ったに違いない。
エルドワも同様にその魔力を嗅ぎ分けていて、極度の緊張から耳と尻尾の毛を逆立てていた。
レオの姿を借りた魔王はそんな周囲を一瞥すると、その視線をユウトに向けた。
「……よくぞここまで辿り着いた、我が息子よ。……少々、我の思惑と違う結果になっているようだが」
「父さんの思惑……? ちゃんとレオ兄さんと一緒に父さんを起こしに来たのに?」
「……意図していたのはそれだけではない。本来ならここで、此奴にお前を護る新たな力を授ける予定だったのだが」
此奴というのはレオのことだろうか。そう言った魔王は視線をずらし、じとりと初代王の入ったクリスを睨んだ。
しかし初代王は平然と受け流す。
「あなたの虚空の記録を書き換える提案を自身の意思で蹴ったのはその子です。そしてあなたの魔力を使わずに闇の結界を消し去ったのも。おかげで生け贄を捧げる必要がなくなったのですから、良いではないですか」
「え? 生け贄って……?」
「……お前は知らなくて良い。もう今更の話だ」
どうやら魔王と初代王の間には、口に出せない密約があったようだ。生け贄などという物騒な言葉に反応したユウトに、魔王は軽く目を逸らして、再び初代王に声を掛けた。
「……剣に施されていた術式はどうなった」
「全て起動しなくなっています。トリガーとなっていた魂は輪廻への回帰が叶ったので」
「ならば後は、その剣の悪魔の水晶を破壊すればそちらの事は成るか。……しかし、それを為すにはこちらの始末が先だ」
こちらというのは、これのことか。
ネイは未だ燃える煉獄の檻に近付いてきた男に目をやった。
この檻も、浄化の炎を携えているからには闇属性のアイテム。エルドワが地獄の門にも似た魔道具があると言っていたし、魔王の管轄であるのは間違いないだろう。
彼は立ち上る炎をしばし眺めてから、ネイを見つめた。
「……この煉獄の檻を、まさか此奴以外が掲げるとは……。これも想定外だった。魔核も成ってしまうが、さてどうするか……」
魔核とは何だろう。
……もしかして、檻の中に残っていた黒い物体のことか? いや、そんなことよりも、こちらの始末とは一体?
しかし考えてみたところで、ネイにそんな魔王の思惑など分かるわけもない。結局真っ直ぐに声をかけた。
「……俺が煉獄の檻を掲げたことに、何か問題が? レオさんの魂を戻すためなら、俺は何でもしますけど」
「ほう、何でもか。……お前、よく見ればずいぶんと人間らしからぬ混沌とした体内魔力を宿しているな。そしてお誂え向きに、素晴らしく綺麗に断ち落とされたばかりの新鮮な腕がある。……これなら器として代わりに使えるかもしれん」
「……器?」
新鮮な腕という言い方もどうかと思うが、それよりも。
器という言葉で、さっき初代王がレオを「神の依り代の器」と称したことを思い出す。
(代わりの器ということは、レオさんの代わりってことじゃないのか? もしかして魔王の思惑にあった『生け贄』って……)
「余計な詮索は不要。何でもすると言ったからには、その器を我に捧げよ」
不意に湧き上がったネイの疑念を蹴散らすように、魔王が煉獄の檻に手をかざして炎を吹き上げた。途端に旋風が巻き起こり、火柱が立ち上がる。
……腕は燃えないが、熱の伝播がめちゃくちゃすごい。
「あっちい! ちょ、何でもするけど、何をするかくらいは教えてくれません!?」
「……このゲートで集められた魔核を、お前の腕に埋め込む」
「埋め込む……?」
「と、父さん!? ネイさんに何か危ないことさせる気!? だったら代わりに僕が……」
「「それはダメだ!」」
ネイと魔王が思わずハモった。
何が起こるにしたって、それをユウトに投げることは絶対できない。それは魔王も同じようで、大きく首を振った。
「この魔核は細胞を変異させるが、半魔や魔族の細胞には根付かない。そして人間の、魔力抵抗のない細胞組織である方がより良いのだ。その点で、この男の断ち落とされた腕が丁度良いのであって、お前が自らを差し出す必要はない」
「そうそう、よく分かんないけど俺の腕の有効利用みたいだから、ユウトくんは気にしないで! エルドワとそこにいて!」
「そもそもだな、この魔核の力はお前を護るために準備されたものだ。この男が受け取ることに何の問題もない」
ユウトを護るために、「準備された」力。つまり、埋めることを見越していた力、だ。
その裏にある真意が透けて見えて、ネイは一瞬閉口した。
……この魔王、もしもレオが煉獄の檻を掲げていたら、とんでもないことをしでかしたのではなかろうか。
まあ結果的に回避できたから、今は不問にするけれど。
ネイは一つ息を吐いてから、魔王に問いかけた。
「……俺の腕に、ユウトくんを護る力をくれるんです? でも、切り離されてトリモチでくっついてるだけなんですけど」
「問題ない。魔核によって変異した細胞はお前の思念に呼応する。トリモチでくっついてるだけでも使える」
「え、トリモチ必須?」
「埋め込めば分かる」
魔王がそう言うと、ようやく炎が収束し、煉獄の檻の中に以前よりも大きくなった黒い塊が現れた。闇を凝縮したような、美しい漆黒だ。
その塊に、ふわっと魔界古語が浮かび上がった。
次いで、檻に刻まれていた術式が発動して輝き出す。
「魔核から引き出される力は、お前との相性による。……お前の中にある混沌が、さて、どう作用するか」
魔王がそう呟いた時、ネイの繋がっていないはずの右腕が、大きく脈打った。




