兄、敵の狙いが分からず焦る
「……クリスを役立たずのままにしていたのは、こうなるまで俺たちの意識を向けさせないためだったのか……クソが」
「やべっ、俺もああなるとこだったのか。ユウトくんに感謝だわ。俺の欲望と怨嗟も半端ないから」
「欲望と怨嗟か……」
クリスの欲望というと、あの変態的なほどの知識欲のことか。あの男は知識を得るためならどんな危地へも一人で突っ込む欲望全開の知識欲お化けだ。
そして怨嗟の方も、クリスの境遇なら多大に抱えていても不思議はない。
何事にも割り切りの早いクリスは、その手の感情を抱えることを避けている節があった。以前リインデルに行った時も、寂寥感こそ見せたものの恨み辛みを顕わにしたことはなかった。
だが、だからといってそれを完全に消せるわけはないのだ。
以前クリスは「心に浄化しきれない頑固な汚れがある」と言っていたネイの言葉に同意していたことがあるが、まさにそれがこびりついた怨嗟なのだろう。
ただその恨みの向かう先は、誰ならぬ今目の前にいる父王である可能性が高かった。なぜならこの男こそが、ジアレイスと共にリインデルを焼き払った張本人なのだから。
(……親父に向けられた怨嗟が、当人に馴染むことなんてあるのか? 欲望だって、それが知識欲となればこの親父にとっては何の魅力もないものだ。……欲望と怨嗟ならなんでもいいってことなのか?)
もしくはこの父の姿自体が、レオの敵愾心を煽るために象られただけで、中身は別物なのか。
「レオさん、ひとまずどうします? このまま攻撃しないでいても事態は進展しないし、かといって殺せば復讐する死者が爆誕ですよ。クリスさんの魂があっちに行ってるのも地味に厄介だし」
「……復讐する死者になれば、おそらくカリスマは維持できない。そこでクリスの魂が弾き出されて身体に戻るなら、そうすべきだろうが……」
「そんな簡単に戻りますかね? 曲がりなりにも、こいつランクSSSゲートの仮ボスですよ?」
「……そうなんだよな……」
ネイの言葉に頷きつつ、レオは眉を顰めた。
そうだ、さっきからずっと感じている違和感はこれだ。
曲がりなりにもランクSSSのゲート、立場的にボス相当である呪いの剣が作り出したボス(仮)。だというのに、その攻撃力も体力も立ち回りも、いちいちショボすぎるのだ。
クリスの能力が加味されたからといって、ベースとなるエルダール王族の能力が低いのだから高が知れているわけで。そう、何ならごり押しで勝てそうな気すらする。
だから安易に、このまま力で解決できるのではと考えそうになるけれど。
……これもまた、何か不測の事態を引き起こすための仕込みなのかもしれない。そう怪しみ始めれば、下手に動けなくなってしまう。
そうして判断が付かずに逡巡していると、不意に目の前の父王がレオから視線を逸らした。いや、逸らしたというより標的を変えたのだ。その目線の先には、クリスを介抱するユウトがいた。
こちらを攻撃してもかわされるなら、かわせない相手を狙うということだ。
もちろんエルドワが守ってくれているのだが、それでも矛先が大事な弟に向いたとなれば身体が勝手に動く。父がユウトに斬りかかろうと踏み出したと同時に、レオも反射的に剣を構えて飛び出した。
「……っ、させるか!」
その身体を両断する勢いで横から切り付ける。すでに傷だらけで精彩を欠いた動きしかできない父王は、それを憎悪の大斧で受け止めきれずに吹き飛ばされ、強かに身体を打ち付けて赤黒い血を吐いた。
「うっわ、レオさん! ヤバいですって、復讐する死者化と憎悪の大斧へのヘイト溜め、同時にやらかしてるじゃないですか!」
「やかましい、条件反射だ! ユウトが狙われてるのが分かってるのに黙っていられるか!」
「その衝動を誘うのが敵の手でしょうが~! 何まんまと掛かってるんですか、もー!」
この一撃で、父の身体がぐずぐずと湧いてきた黒い靄に包まれ始める。ネイの言うとおり、復讐する死者化が始まったのだ。つまり、人間から魔物に変質し始めたということ。
まあ今更、やってしまったものは仕方がない。レオはすぐに切り替える。
この段になればクリスにだって変化があるかもしれないのだ。
レオはユウトたちを振り返った。
「ユウト、エルドワ! クリスの様子はどうだ!?」
「かろうじて心臓は動いてるけど……全然生気がないよ」
「レオ、クリスの匂い戻って来てない!」
「……クソ、やはりそんな単純な話じゃないってことか……!」
魔物になってカリスマが消えても、クリスの魂は囚われたままらしい。血の契約をしたわけでもないのだから、エルダール王族の怨嗟とそれほど強固に結びついているわけではないと思うのだが。
そう思った矢先、黒い靄に包まれた父の手から、憎悪の大斧がガシャンと大きな音を立てて落ちた。
「あれ? あいつ、憎悪の大斧が持てなくなってません?」
「……変質の影響で取り落としただけじゃないのか?」
「でも右手の俺の短剣は持ったままですよ。あの斧、適合者には軽く感じるらしいから、重さの問題じゃないはず……。エルドワ、何か分かる?」
「うん。クリスの匂いが、そいつの身体から剣の方に移ったみたい」
「は? ……親父からクリスの資質が抜けたってことか?」
ということは、もう父王は憎悪の大斧を扱えないということだ。
当然クリスの技量も作用しなくなり、戦闘力はめちゃくちゃ落ちる。
復讐する死者になったとしても、もはや何の脅威もないのではなかろうか。
……いや、待て。明らかに何かおかしい。あまりに無意味な行動が多すぎる。
何のための初代王の警告だった? 何のためのカリスマ? どうしてわざわざ父王の姿を取った? 何のために憎悪の大斧にヘイトを溜めた? なぜ手に入れたクリスの力を無駄にして復讐する死者に変化する?
これは、ただの愚昧な行動というには不自然なほど一貫性がない。いくらエルダール王族が愚王揃いだといっても、この全てに意図がないということはありえないだろう。
レオはこの現状に、得体の知れない焦燥を感じ始めた。
先ほどから気になっているように、もしもこの行動が何かの事象を引き起こすための布石だとしたら、己にはその予測が全く付いていないことになるのだ。このランクのゲートでは、僅かな判断ミスでも弟を思わぬ危地に陥れてしまうかもしれないというのに。
それは兄にとって、許されざることだった。
(……ならば、奴が動きを止めている今のうちに、呪いの剣を破壊してしまえば……!)
普段なら、状況把握に努めるべき場面。だがレオは不可解な現状に耐えかねて、動いてしまった。これは判断ではなく、焦りから出た短絡的な決断だ。一刻も早く、現状を打開したいがための。
それに気付いたユウトが、レオの背後から慌てたように声を掛けてきた。
「待って、レオ兄さん! 剣は僕がどうにかするから!」
「大丈夫だ、俺がぶち壊してすぐに終わらせてやる!」
「そうじゃなくて、今その剣とレオ兄さんがやり合ったら……!」
今、この剣と己がやり合ったら。その言葉を終わりまで聞く前に、兄の剣は呪いの剣に到達する。
そうして一際固い手応えを感じた瞬間。
レオの意識はぱたりと閉じてしまった。
「ネイさん、下がってください!」
「え、何? これ、レオさんどうしたの?」
突然動かなくなってしまったレオに、ネイが困惑している。だが密かにずっと剣に干渉していたユウトは、何が起こったかを察してしまった。エルドワも、匂いで気付いているはず。
……これは、由々しき事態だ。
「……レオ兄さんが、敵に憑依されました……!」




