弟、ネイを取り戻す
すると少しの時間を置いたのち、唐突に目の前の初代王の動きが鈍ってきた。
いや、鈍ったというと語弊があるか。変わらず気の抜けない難敵であるし、憎悪の大斧の鋭い剣筋などはそのままなのだが、ネイのような特筆すべき速さが消えたのだ。右手にある短剣の扱いも精彩を欠いている。
(これは……初代王の中から狐が消えた……?)
つまり、ネイに掛かっていたカリスマが消えたということ。それに気付いてユウトを振り返ると、ちょうど聖なる領域を解除するところだった。
「ユウト! 狐は……!?」
「うん、うまくいった! ネイさんはもう大丈夫!」
球から解放されたネイを見れば、顔面蒼白して口元を押さえている。ものすごく気持ち悪そうだが……まあ、大丈夫といえば大丈夫なのか? ひとまず先ほどまでの狂気じみた目付きは消えているようだ。
ネイはユウトを追うのをやめ、うえっぷ、とえずいた。
「うげぇ……瘴気酔いから醒めたら、途端に気持ちわる……。二日酔いってこんな感じなのかね……」
そんな男の頭の上に、大精霊の魔力の一部である光る狐がぴょこんと顔を出す。
そうだ、考えてみればネイには欠片とはいえ大精霊の加護が付いていたのだった。こいつのおかげで瘴気が浄化されて、正気を取り戻したのだろう。レオはそれに納得しかけて、しかしふと疑問に思った。
(……こいつが狐を元に戻せるなら、ユウトは何でわざわざ咆哮によるバフ消しと沈黙を指示してまで、聖なる領域を使ったんだ? ……もしかして、ここの空間は聖属性封印が掛かっていたのか?)
おそらくユウトは聖属性の魔法を使おうとして、この空間でそれが発動しないことに感付いたのだ。その流れで、聖属性魔力の塊である子狐が力を封じられていることにも気が付いた。
だから聖属性無効をドラゴンに消させた上で、すでに掛かっている敵からの封印を封じるために聖なる領域を使って、子狐を連れたネイごと空間から隔離させたのか。
元々あの男を選んで引っ付いていることからして、ネイの身体は大精霊の魔力が馴染みやすくなっているのだ。おかげで子狐程度の力でも、瘴気を追い出すことができたのだろう。そうなれば、あとは念のため沈黙で初代王から声が掛からぬようにしておけばカリスマは解ける。
ユウトはそれを狙っていたわけだ。
一度解けてしまったカリスマは、もうこの状態の初代王相手に掛かることはあるまい。ならば、残すはクリスのみ。
レオは復活した戦力を呼びつけた。
「狐! 動けるならとっととこっちに来い!」
「うっぷ……はい、どうにか動けます、けど……。ご覧の通り得物をあいつに取られちゃってるので、あんま役に立てないですよ」
「攻撃できないなら、貴様が攻撃の的になればいいだろうが!」
「あっ、そういう……。了解です」
レオの言葉で、ネイはその言わんとしていることを汲み取ったらしい。すぐさま切り替えてポーチを漁ると、出席簿を取り出した。
もえす特製、物理反射と魔法反射を兼ね備えたボードだ。
剣で切り結んでいると憎悪の大斧に無駄にヘイトを稼がせてしまうが、物理反射で跳ね返してしまえば攻撃が強くなるに従って敵への返りダメージも大きくなる。上手くいけばヘイトが溜まりきる前に倒せるかもしれないし、溜まりきってもそれを跳ね返してしまえばHP残量1も残さずにオーバーキルできる可能性がある。
レオが隙を見付けて切りつけるよりもずっと手っ取り早かろう。
ネイに前衛を譲って一歩下がったレオは、一旦視線を巡らし状況を確認した。
(……ユウトから腕輪に込めてもらった沈黙は今ので全部使ってしまった。キイとクウもそろそろ融合が解ける頃だ。クリスは敵を倒しきるまでこのままだな)
ドラゴンの戦力は大きいが、攻撃対象が小さいから参戦させるのはむしろ邪魔だ。クリスを捕まえておいてもらおうにも相手が曲者すぎるし、ひとまず上空で待機させておくのがいいだろう。
どうせこの状態のクリスなら、放っておいたところで問題ない。ネイが抜けて単身でユウトを追うことになったのだから、広く遮蔽物もないこの場所でエルドワに追いつけるわけもないのだ。
現状の戦局を見れば、こちらが優位。
……ただ、楽観するのはまだ早い。レオには少々不可解に思うことがあった。いつも仲間が傷付くことを極度に嫌うクリスが、いくら初代王が血を流してもこちらに見向きもしないことだ。
レオはその違和感に眉を顰めた。
(……瘴気中毒のせいで自由意思を阻害されているのか、クリスがただの役立たずになっている……。それをそのままにしておくのにはなぜだ……?)
彼はひたすら愚直に、ユウトを抱えたエルドワの後を追っている。どうもクリス自身は自発的に行動を変える意思はなく、指示されたこと以外は眼中にないようだ。
しかしそれならそれで、初代王が自身の回復を指示すれば良いこと。敵は人体を持っているのだから、クリスの持つ回復薬や、何なら継続回復の魔石だって有効なはず。だというのに、なぜ初代王はそれを使わせないのか。
(回復よりもユウトの確保を優先しているってことか? だが、クリスにそれを狙わせているわりには、あまりに無策すぎる……。もしかして、何か別の狙いがあるのか……?)
そう怪しんだレオだったが、次の瞬間ネイが焦ったように声を掛けてきたことで、思考は中断された。
「レオさん、レオさん! この敵やばいかも! それに、見た目が……!」
「見た目……?」
言われて敵を見ると、これまでの攻撃と物理反射で負った傷から、妙な黒い靄が立ちのぼっているのに気が付いた。それに伴い、初代王の姿かたちも歪み始める。……何か、別のものになろうとしているような変化だ。
その変化してきた顔に、レオは何とも言えない嫌悪感を覚えた。
「こいつ、まさか……」
「この男、傷を負うたびに身体に呪詛を刻んでるんですよ! このままだとおそらく体力が尽きたと同時に復讐する死者になります! おまけにこの顔……!」
「この姿……親父か……!」
ネイを相手にしているにも関わらず、敵の視線はずっとレオに注がれている。その憎悪を乗せた瞳は、五年前にライネルが殺した父王のものだった。
おそらくこの男は、ライネルと結託して自身を死に追いやったレオに対し、呪いの剣から具現化するに足るだけの強い恨みを抱えているのだ。そしてその恨みを晴らすため、身体に付いた傷に歴代エルダール王族の呪詛を塗り込んで、自ら復讐する死者になろうとしている。
その身体を回復しないのは、呪いの剣に溜め込んだ怨念のエネルギーを自身の身体に刻んで取り込むためだったのだ。
「……復讐霊の意思が介在してないのに何で俺に攻撃してくるのかと思ったら、親父の個人的な恨みかよ。そこに初代王の思惑やら歴代王族の怨念やらクリスの能力やらが混在して、しっちゃかめっちゃかじゃねえか」
「呆れてる場合じゃないですよ、レオさん! 呪いの剣で力が増幅されていることを考えると、とんでもない魔物が誕生するかもしれないんですから! これ以上反射ダメージとヘイト溜めさせるとまずいですって!」
言いつつネイが、敵の攻撃を振り払って一歩飛び退いた。
すっかり父王の姿に成り代わった男が、それにたたらを踏む。クリスの身体能力を取り込んだとはいえ、身体にダメージがあるからだ。
父はよろめきながらもレオに剣呑な目を向けると、にやりと口角をつり上げた。
「くくくっ……ここで攻撃を止めたところで意味はないぞ。その男は逃したが、こちらはもう手遅れだ」
「何……?」
「レ、レオ兄さん! クリスさんが……!」
「どうした、ユウト!?」
ユウトの声に、レオが慌てて振り返る。
すると弟とエルドワから少し離れたところで、クリスが倒れているのが見えた。それはただ転んだというわけではなく、明らかに意識をなくしている様子だ。その気配に生気が感じられなくなっていた。
ユウトが急いでエルドワの腕から降り、クリスに駆け寄る。あの子犬がそれを阻止しないということは、罠でもなさそうだ。エルドワはその側で数度鼻をひくひくさせると、レオに状況を伝えた。
「レオ! クリスの匂いがこっちの身体からなくなって、そっちに行ってる! 気を付けて!」
そっち、というのは、もしや目の前の父王の中か。……クリスの能力が全てこの男に吸収された? いや、能力だけならまだいいが、その知識や記憶まで吸い上げられたとしたら……。
仲間全員の思考の癖や弱点を、全て掴まれたことになる。
その危機感でもって敵を睨めつけると、父はひどく面白そうに口元をつり上げた。
「……この身体に、欲と恨みはよく馴染む。我が愚息よ、これほどの欲望と怨嗟渦巻く魂を私の元に届けたこと、褒めてやろう」




