弟、血を吸われる
ヴァルドとの契約を受け入れることに決めたユウトは、小首を傾げて彼を見た。
「えっと、じゃあ僕はどうすればいいですか?」
「私が勝手に済ませますので、じっとしていて頂ければ。……ところで、麻酔のように無痛がいいですか? 何なら気持ち良くすることもできますが……」
「無痛だ、無痛に決まっているだろう。ユウトに変な感覚を覚えさせるなクソが。そもそも最初だけとはいえユウトの身体に痕を残すとか、本来ならぶっ殺すレベルだというのに」
隣に座っているレオが弟の代わりに即座に答え、ギロリとヴァルドを睨む。
それにびくりとして怯えつつも、彼は契約を進めるべく急いたように立ち上がり、ユウトに近付いた。
おずおずと伸びた手が、ユウトの左の耳朶を撫でる。
ちょっとくすぐったい。
「血を吸ったらすぐに止血しますし、証を通す痕だけ残して傷もふさがりますから。本当に痛くしないので心配しないで下さい」
「はい、大丈夫ですよ」
何故だかユウト本人よりも心配そうにしているヴァルドがちょっと面白い。思わず笑ってしまう。
彼は緊張した手付きのまま少しユウトを横向かせ、顔を傾げると、恐る恐るといった様子でこちらの耳元に犬歯を寄せた。
すぐに耳朶に牙が触れる。
ぷすり、とそれが皮膚を突き通る感覚があったけれど、確かに全く痛みは感じない。
そのまま血を啜られるのを、これちゃんと血が出てるのかなあなどと、ユウトは他人事みたいに考えていた。
「……あれ? ヴァルドさん……?」
しかし、その途端に生じた違和感に驚いて目を丸くする。
自分の身に何かが起こったわけではない。間近にいるヴァルドの様子が変わったのだ。
耳を食まれているせいで直視できないが、その身にまとう魔力が明らかに増大している。殺気や気配は分からないが、ユウトだって魔力くらいは分かるのだ。間違いない。
「……ランクSSか。確かにな……」
隣でレオが独りごちた。
ようやくヴァルドがユウトの耳朶から顔を離し、そこに契約の証のピアスを着ける。
その姿を視界に入れて、ユウトはさらに驚いた。
さっきまでのひょろりとした身体に、何故か適度な筋肉による厚みがついている。レオを若干細くしたような身体は、ミワが速攻で食いつくこと間違いなしのスタイルだ。
気弱そうな雰囲気は吹き飛び、掻き上げた前髪の下にあった赤い瞳は生気に溢れ、肌も髪も艶々の美青年になっている。
ヴァルドのベースは変わっていないのに、まるで別人だ。
そして何より、まとう魔力が尋常じゃなかった。
「……ああ! 長きに亘り待ちわびた、この力がみなぎる感覚……! 素晴らしい!」
「あの、ヴァルドさん、その姿は……」
「はい、これが私の本来の姿です。ユウトくんのおかげで、ようやく取り戻せました。……とはいえ、血の効き目がある間だけですけれど」
「何だ、その状態は保持できないのか。せっかくのランクSSが」
「……この状態を常時保持できるだけの吸血行為をすると、自我が保てなくなる可能性があるので。これは自慢でも何でもなく事実ですが、私はザインを一瞬で消し炭にするくらいの力を持っている。そんな私がぷっつんしてたら、怖いでしょう?」
それは確かに怖い。
その言が嘘でないことは、彼の周りに渦巻く魔力を見れば分かる。
「召喚する時はその姿で来るんですか?」
「もちろんです。その契約の証に付いているブラッドストーンは、私の分身のようなもの。あなたの血をストーンに塗して詠唱による呼び出しをして頂ければ、完全無欠な状態で馳せ参じます。どんな時にも、いかようにも私をお使い下さい」
「どんな時にもって……戦闘以外でも?」
「構いません。ただの話し相手でも結構ですよ」
「そうなんですか」
何だか思ってた召喚より自由度が高いみたいだ。
横からレオも彼の呼び出しを促した。
「……もし、万が一の話だが、俺やルアンたちが付いていない時に困ったことがあったらこいつを呼べ」
「うん、分かった。ヴァルドさん、これからよろしくお願いします」
「こちらこそ、我が主……ユウトくん」
ヴァルドは頷き、自信に満ちた笑顔を見せた。
こうして彼は、ユウトの召喚魔となったのだった。
装備は揃った。ユウトの周りもだいぶ護りを固めた。
そろそろ、本格的に動き出してもいいかもしれない。
「……そんなわけで、こういう物を作って欲しいのだが」
その日、レオはひとりで『シュロの木』を訪れていた。魔工爺様にアイテムの作成依頼をするためだ。
消費アイテムは後回し、とりあえずは行動するのに必要な道具類が欲しい。レオはあらかじめ作ってきたリストを老人に手渡した。
「ずいぶんあるな。……ふむ、ゲート探索用のアイテムか。それから野営道具等々……優先順位はあるか」
「野営用のキャンプ用品から頼む。……野暮用で少し街の外に出ることが多くなるからな。できあがりは早ければ早いほどいい。タイチやミワの手を借りられるなら頼む。代金は言い値で構わん」
「了解した。……ただ、既存のアイテムではないから効果的な術式の構築にはそれなりの時間が掛かる。3人で作業しても、全部作りきるにはひと月は掛かると思ってくれ」
「ああ、その程度は許容範囲だ。……実はアイテムができるまでの間は、王都に行ってこようと思っている」
「ほう、王都に?」
魔工爺様はリストから顔を上げ、レオを見た。
「……もしかして、ウチの関係か?」
「いや、それも少し見てくるが、一番の目的はユウトの魔法強化のためだ。あんたの作ってくれた指輪のおかげで攻撃の幅は広がったが、魔法自体の強化はどうしても剣士の俺が教えるには限界がある」
「ああ、なるほど。では魔法学校に入れるのか?」
「そこまではしない。魔法学校の講師に直接会う伝手があるから、指南を受けさせようと思う」
本当はパーム工房とロジー鍛冶工房の魔研との繋がりを調べるのも大きな目的だが、それを魔工爺様に言っても無駄に心労を掛けるだけだろう。レオはもうひとつの目的だけを語った。
元々、ユウトの魔法強化は以前からずっとしたいと思っていたのだ。期間はひと月もあるし、今回は本腰入れて学ばせよう。
「まあ、王都に行くとは言っても、どうせ転移魔石でちょくちょく顔出しには来る。できた物からもらっていくから、商品はこっちにまとめておいてくれ」
「ん? 商品を置いておくなら『もえす』の方が広いから、そっちの方が……」
「いや、いい。ここにまとめておいてくれ」
「そうか?」
レオは少し食い気味にここでの受け取りを主張した。察しろ。
まあとりあえず、この3人に頼んでおけばアイテムの品質に関する心配はないだろう。
さあ、ここからは王都行きの準備を進めなければ。




