兄弟、夢から脱出した
腕の中にいるユウトは、十八歳のいつもの弟だった。
どうやら、夢の中からの脱出に成功したらしい。それに小さく安堵のため息を吐くと、途端にもふもふ子犬に頭をぐりぐりと押し付けられた。
「……エルドワ」
「アン!」
名を呼べば、少し怒ったような鳴き声を返される。枕元に置いていた時計を見ると、すでに時刻は昼過ぎ。どうやら、予定よりだいぶ寝過ごしたようだった。
「……もうこんな時間か。エルドワ、そう怒るな。俺もユウトも、今まで夢の中に閉じ込められていたんだよ」
「アン~?」
レオの言葉にエルドワが怪訝な声を上げるが放っておく。それよりもと、兄は身体を起こすとユウトの頬を軽く叩いて覚醒を促した。
「ユウト。起きろ」
「んむう……」
何だか赤子がむずかるような声。夢の中の状況を引き摺っているのだろうか。そんなユウトの額に、やはりエルドワがぐりぐりと頭を押し付けた。しかし、起きそうで中々起きない。
……何だろう。レオより少し目を覚ますのが遅いのが気に掛かる。
もしかして夢から覚める条件が、レオとユウトでは違ったのだろうか? その可能性に思い至ってさっと血の気が引きかけたところで、身じろいだ弟がぐりぐりしてくるエルドワを手探りで抱き寄せた。
「ん~、エルドワ、くすぐったい……」
「ユウト!」
未だ眠そうに薄く開いたまぶたに、兄は杞憂だったかとようやく安心する。その視線がレオに向いて、ユウトからもまた安堵のため息が漏れた。
「……お疲れ様、レオ兄さん。無事に夢から帰れて良かったね」
「ああ、お前のおかげだ。……ただ、だいぶ寝坊をしてしまった。とっとと起きて飯と出発の支度をするぞ」
「アン!」
「えっ……? あ、ホントだ、もうお昼! ごめんね、エルドワ。お腹すいてるね。ネイさんも待たせちゃってるし」
「まあ、この寝坊も無駄ではないだろ。ヒントもなしに迷宮を歩くよりは、多少時間を消費しても情報を手に入れた今の方が攻略は早い」
この夢のおかげで、迷宮の奥への進み方は分かったし、そこに待っている敵も予想が付いている。その情報の有用性と比べれば、この程度の時間のロスは問題になるまい。
それでもとりあえずは手早く支度をして、二人はテントの外に出た。
「おっっっっっっそ!」
途端に、ネイに不満げな声をぶつけられる。すでに自分のテントを片付けて準備万端の男は、ずっと外でレオたちを待っていたらしい。
そんなネイに、ユウトが苦笑をして頭を下げた。
「ごめんなさい、ネイさん」
「別に謝ることないだろう、ユウト。俺たちは夢の中に閉じ込められていたんだし、それ以上に有用な情報を手に入れて来たんだからな。褒められこそすれ、文句を言われる筋合いはない」
「それはそうだけど、ネイさんを待たせていたのは事実だもの」
「誰かさんと違って、ユウトくんはきちんと謝れる良い子だね~。……ところで、夢の中に閉じ込められてたって、どういうこと?」
「昼飯を食いながら掻い摘まんで話す。貴様は飯の準備をしろ」
「はいはい。もう下ごしらえはしてありますよ」
不満を漏らしながらも、食事の準備はしていたようだ。見れば後ろにテーブルと簡易キッチンが設置されている。そこにはすでに具の入った鍋と、パンの入ったダッチオーブンが置かれていた。
ネイがさらにフライパンを出して一・二品作っている間に、レオは自分たちのテントを片付ける。ユウトとエルドワの手も借りれば、さほど時間も掛からずに出立の支度はできあがった。
食事をしたらすぐに出立できる状態まで荷物をまとめて、ユウト共々ようやくテーブルに着く。そのタイミングに合わせて、ネイがそれぞれの食事を並べた。相変わらず行動にそつがない。
「俺たちが起きてくるまでの間、何か変わったことはなかったか?」
「あー、直接的な変化ではないんですけど、マーカーの赤が濃くなってました」
「マーカー? ユウトが招集の魔石に付けたやつか」
「そう、それです」
配膳を終えてお茶も注ぎ終わったネイが、ポーチから魔石を取り出す。すると確かに、埋め込まれた水晶部分の赤が濃くなっていた。
つまりは、他のフロアからここに来た仲間がいるということだ。キイとクウは合流できていないだけですでにこのフロアにいたはずだから、それが誰なのかは自ずと知れる。
「あ! もしかして、クリスさんがこのフロアに来たのかも! ちょっと待っててね……探索の波紋!」
すぐさまユウトが探知の魔法を掛けた。同じフロアにいるならば、これでどこにいるのか分かるのだ。
ユウトは周囲を見回して、ふむふむとその位置を読み取った。
「……うん。やっぱりクリスさんがこのフロアに着いてるみたい。おまけにキイさんとクウさんと一緒にいるね。三人でこの迷宮の外周を歩いてる」
「へえ、合流してんのか。あの不運のかたまりの事だから、このフロアに来たらいきなり敵の真ん前に出たりするかと思ったがな」
「多分このフロアに来た時点でユウトくんの幸運が働いてるから、クリスもその恩恵にあずかってるんですよ。クリス自身が、ユウトくんの影響下にあると幸運の方が勝るって言ってましたし」
「ああ、なるほどな」
ユウトは自覚していないだろうが、この弟が仲間と認めた者はその幸運の庇護下に入る。もちろん常にというわけではなく、同じエリア内にいる場合など限定的ではあるが。
レオたちはその効果をはっきりと認識してはいなかったけれど、通常幸運値ゼロのクリスはすぐにその効果に気付いたのだろう。
「向こうも招集の魔石でこのフロアにユウトがいることは分かっているはずだから、こっちとも合流できるかもしれんな。少し待つか」
「……クリスさんたち、ここに来るための隠し通路、分かるかな?」
「キイとクウだけだと難しいが、クリスがいれば大丈夫だろ。隠された術式は特殊だが、あの男ならおそらく気付く」
「本当は俺たちがこっちから迎えに行ければ良いんですけど……レオさんたちが起きてくるまでの間に調べた感じだと、何か条件がないと外周への通路はこっちから開かないっぽいんですよね」
「……まあそうだろうな。この迷宮から簡単に出られないようにしてあるんだろうし」
もともとここはアレオンを逃がさないための迷宮だ。何もせずに内側から開くような造りにはなっていまい。
「外周の移動の法則に気付けば、魔石の色を頼りにユウトの近くまで来れるはずだ。クリスならさほど難儀はしないだろう。あいつらが到着するまで、とりあえず飯を食っておくぞ」
「そうですね。はい、ユウトくん、エルドワ。冷めないうちに召し上がれ」
「ありがとうございます、ネイさん。頂きます」
「アン!」
焼きたてパンを取り分けてもらったユウトとエルドワが、両手を合わせて頂きますをする。それを見ながら、レオもパンにベーコンとレタスを挟んで頬張った。
弟が可愛いと飯が百倍美味い。
その子リスのような食事風景に和んでいるレオに、ネイが横から不躾に突っ込んできた。
「レオさん、ユウトくんをガン見してないで、さっきの話をして下さい」
「さっきの話? 何だったか忘れた」
「ガン見を邪魔されたからって、面倒臭くなってとぼけるの止めて下さいよ。夢に閉じ込められたとか、情報を手に入れてきたとかいう話です」
レオの態度に呆れたため息を吐いたネイが、話を促す。その突っ込みもいちいち勘に障るから、無視を決め込みたくなるのだ。しかしそうして黙っていれば、ユウトが兄の代わりに口を開いた。
「僕とレオ兄さん、さっきまでこのゲートが作ったらしい過去の夢の中に閉じ込められていたんです。その夢を正しく進めないと脱出できなくて……。それをやっとクリアして来ました」
「過去の夢?」
「……俺がまだ病弱なガキだった頃の夢だ。その辺は俺とユウトだけが知ってれば良い思い出だから割愛する。大事なのは情報の方だ。ここの迷宮の進み方と、フロアのボスの見当が付いた。クリスたちが来るまでの間、その対策を立てるぞ」
そのままユウトにしゃべらせると、この男に揶揄されそうないらない情報まで与えてしまいそうだ。レオはそう考えて、渋々弟の話をこちらに引き受ける。もう少しユウトに和みながら飯を食いたかったが仕方がない。
「……おそらくここのボスは魔物としての前例がなく、今まで以上に手強い。覚悟しておけ」




