兄、喜んで命を握られる
生きることも死ぬことも、自分の勝手にできない。それは己の人生を魔王に握られたも同然だ。
あまりにも不自由。だが、当時のアレオンはここで兄に殺され共倒れになるよりも、それを選んだのだろう。実際このままの身体では、何事もなかったとしても何歳まで生きられるかすら分からない。
決めるしかないのだ。
「……あんたに身体を提供すると、具体的にどうなるんだ?」
それでも安易に応じる前に確認はしておきたい。この魔王の力が、レオにどういう影響を与えて、その命をどう管理しているのか。つまりレオの命が、現在どう管理されているのか。
つい挑み睨め付けるように見上げてしまうが、しかし魔王は歯牙にも掛けない様子で口を開いた。
『お前には、この世界のおおよその人間や魔物を凌駕できる力を授ける。今後働いてもらわねばならぬからな』
「働く……? 待て、『神のようなもの』を憑依させないために、あんたの力を注ぐだけじゃないのか……?」
『お前は稀少な力の「依り代」になり得る者。人は通常、魔力も身体能力も受け取れる量に上限があるが、お前にはそれがない。そんな便利な人間を使わない手はないだろう』
「……生かす代わりに命を握って、便利に使おうってことかよ……。そんなのあんたの奴隷じゃねえか」
『人外に等しい力を与えた人間を野放しにはできぬ。その手綱を握っておくのは当然ではないか』
どうやら「奴隷」というのは否定しないようだ。
だが、後に剣聖と呼ばれるだけの能力を付与されることを考えれば、ここでアレオンが魔王の言葉に乗ったのは決して悪い選択ではなかった。それは間違いない。
ただ分からないのは、魔王が当時のアレオンにどのような仕事を与えたのかということ。正直言って、現在のレオはそんな内容まるで覚えていないのだ。……もしかするとこれまで、魔王の言いつけを丸無視してきたことになるのだろうか。
もしも今後現実世界で魔王に会うことになったら、仕事を放棄していたことをしこたま怒られそうだ。
今から挽回不可能な仕事でないことを祈りつつ、レオはその内容を直接魔王に問うた。
「……俺に力を与えて、どう働かせる気なんだ?」
『よくぞ聞いた、小さき者よ。お前には世界の存亡を掛けた任務を授けようと思う』
「世界の、存亡……?」
……さすが魔王と言うべきか。想像していたよりも仕事のスケールがデカい。いや、やばい、感心している場合ではない。その仕事に全く手を付けていないのだが。
「ぐ、具体的にはどんな……?」
『うむ、世界の宝たるこの子を何が何でも護ることだ』
そう言った魔王は、腕の中の赤子を撫でた。
……つまりそういうことか。
緊張していた身体が一瞬で昂揚に転化する。
アレオンに課せられた任務は、ユウトを護ること。
「それを先に言え! その話、乗った!」
そうと分かれば当然レオは前のめりに受け入れた。
ユウトを護る力を得、ユウトを護る任務という名の権利が手に入る。こんなレオにとっておあつらえ向きの話、断るわけがない。
途端に乗り気になったレオに、魔王が怪訝そうな顔をしたがどうでもいい。
『お前が途中で任務を放棄したら、代償に命を』
「それで構わない! さあ、力をくれ!」
食い気味に承諾すると、魔王からさらに胡散臭そうな顔で見られた。まあ、本来ならアレオンがこれほど赤子に執着する理由がないのだ。何か裏があると思われても仕方がない。
魔王はしばし何かを考えた後、レオに向かって手をかざした。
するとあまり動きの良くないアレオンの心臓が、規則正しく力強く動き出す。どうやら命を握ると言っても心臓を奪うようなものではなく、その動きを制御するものらしい。
なるほど、この状態であればレオが命を握られていたことに気付かないのも当然だ。身体にまるで違和感がない。
おそらく魔王の意に添わないことがあればその動きを止められてしまうのだろうけれど、そうでなければこうして正しく管理してもらえるのだ。これはある意味ありがたいことだった。
そうしてレオの命を掌握した魔王が、次にユウトに手をかざす。
一体何をするのかと見ていると、その身体をぽんと叩いて何かを収めたようだった。
『……お前の命は我が管理するつもりだったが、気が変わった。小さき者よ、お前の命はこの子の魔力で維持されるよう、縁を結びつけた。これよりお前の生殺与奪の権利はこの子にゆだねる』
「それは願ったり叶ったりだ!」
これは完全なる朗報。
アレオンの心臓を動かすに必要な最低限の魔力が、ユウトから供給されるということだろう。
魔王に命を握られているのであればやはり面白くない気分だが、それがユウトならば話は別。レオはうむと頷いた。
「つまり、俺を生かすも殺すもその子次第ということだな?」
『それだけではない。万が一この子が死ぬようなことがあれば、この子の魔力で生命を維持しているお前も問答無用で死ぬということだ』
「……逆に考えれば、その子が生きてさえいれば、俺が死ぬことはないってことだよな?」
『心臓が動いている、という点だけで考えればそうだ。だが身体が欠損などをした場合は、その部分がなくなったら再生などはできぬ』
「切断されただけならくっつくのか?」
『それは可能だ。この子の魔力には傷を癒す効果があるからな』
おそらく魔王は、アレオンが彼に隠れて赤子に危害を加えた時のことを考えて、それを事前に阻止しようと予防線を張ったのだろう。
けれどレオにとっては渡りに船。
ユウトを護り、ユウトに護られている。この時から、兄と弟は一蓮托生だったのだ。
……とはいえ、当時はこれと同じ展開ではなかったはず。現実世界でも全く同じ条件になっているかは、後で確認する必要がありそうだけれど。
『では次に、力を注ごう』
「ああ、頼む」
再びアレオンに向かって魔王の手がかざされ、今度は急激に身体が熱くなった。体内の臓器が全て活動を始めたような感覚。もしやこれは、全身の細胞が活性化しているのか。
「う、ぐっ……!」
一気に身体に掛かってきた負荷に、レオは呻いた。
これは、元々のアレオンの心臓だったら耐えられなかっただろう。人間本来の能力に加え、魔王の与える人外の力ものしかかっているのだ。
だが、分かる。レオの手に馴染んだ力の感覚、それが身体の隅々に行き渡っていく。『人類最強の剣聖』、そんな肩書きは興味もなかったが、これがユウトを護るために与えられた力だと思えば、この苦しみなどどうということもない。『依り代』の体質だった自分に感謝したくなるほどだ。
身体の中を作り替えられるような苦痛をうずくまってどうにかやり過ごすと、ようやく熱が引いてくる。
それにほうとひとつため息を吐いて、レオは身体を起こした。
……なるほど、さっきのアレオンの身体とはまるで違う。筋肉や骨はこれから鍛えねばならないだろうが、そこにみなぎる活気は溢れんばかり。
これでユウトを護れる身体を手に入れた。もはや、弟を失うこと以外、恐れるものは何もない。
レオは満足し、軽くなった腕を慣らすように動かした。先ほどまで感じていた怠さはなく、違和感もない。明日からでも修練が出来そうなほどだ。
そのレオの動きを確認した魔王が、補足のように呟いた。
『……今後の成長でお前の身体には吹き込んだ力の影響が多少出るだろうが、特に問題はあるまい。我の力に直接触れたのだから、致し方ないことだ』
「影響……?」
それは、容姿や雰囲気が魔王に似てしまうということだろうか。まあ、創造主の力が影響するのだから、そんなこともあるだろう。
自分の見た目にそれほど頓着のないレオは、どうでもいいかと聞き流そうとした。
しかし。
『我が隷属の術式を刻むと、どうしても下僕は主に似てしまう』
「はあ!?」
思いも掛けず出てきた『隷属』の言葉に、レオは思わず目を見開いた。




