弟、黒猫と遭遇する
その日の夜、ユウトはレオに連れられて『もえす』にやって来た。
転移ポーチを受け取るためだ。
正面からではなく、いつものように民家の2階から店に入る。
すると、普段なら工房の方にいるはずのタイチとミワが、何故か店内を走り回っていた。
「姉貴、そっち行った! あっ、もう遅いって~!」
「うっせえな! すばしっこくて動きが追っつかねえんだよ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎながら、何か黒いものを追っている。
「……何をしている」
「あ、レオさん、ユウトくん、いらっしゃい! 聞いてよ、姉貴が黒もじゃらを手懐けたいって言って、カゴから出しちゃってさあ! 姉貴が触ろうとしたらスパーンってジャンプして見事な脱走を……」
「もじゃちゃ~ん、怖くないでちゅよ~ナデナデするだけでちゅから、こっちおいで~」
「やめれ姉貴! 赤ちゃん言葉超怖え!」
どうやらユウトが昼間にルアンと取ってきた『黒もじゃら』を、カゴから逃がしてしまったらしい。
「その子たちめっちゃ素早いから、普通に追いかけたら大変ですよ」
「いや、それは分かってんだけどね。あ、でも4人いれば追い詰められるかも。レオさんとユウトくんも手を貸してくれない?」
「待って、それなら僕と兄さんで大丈夫。タイチさんとミワさんはカウンターの裏に行ってて下さい」
ユウトは『もえす』の2人を下がらせて、『黒もじゃら』の姿を商品棚の奥に確認した。
このもじゃは人間の気配を嫌う。だったら昼間と同じようにユウトの魔力で気を惹いて、レオに気配を消して捕まえてもらえばいい。
「レオ兄さん、僕の魔力で釣り出すから、捕まえてくれる?」
「……ああ」
レオもあまり時間を掛けたくないのだろう。やれやれといった様子で頷いてくれた。
2人で掛かれば大丈夫。
ユウトは指先から魔力の糸を出すイメージで、『黒もじゃら』を誘う。その糸の先端に黒い塊が反応したのを見計らって、魔力を手前に引き上げた。
つられて奥から出てきた『黒もじゃら』を、すかさずレオが捕まえる。終了。
結局兄弟が来てから5分も掛からず、『黒もじゃら』はカゴに戻された。
「ええ……こんなあっさりと……。俺たちすでに2時間くらい追い回してたのに。こうなるって分かってたら、2人が来てくれるまで放置しておいたのになあ」
「タイチにはいいダイエットになっただろ。それにこれだけ戯れていれば、もじゃちゃんとの距離も縮まったかもしれん」
「迷惑掛けといて正当化すんな。それに、もじゃには絶対恐怖心を植え付けたと思う。そもそも姉貴、いまだかつて動物に懐かれたことねえだろ」
「動物じゃねーし! もじゃちゃんは植物だし!」
言い合いをする2人を呆れたように見ながら、レオがカゴをカウンターの上に置く。そのカゴの隙間から、『黒もじゃら』がユウトに向かって2本の触手を伸ばした。
何となく、力がない。
ずっとカゴに入れられているから、もしかすると魔力が欲しいのかもしれない。ファームでは地中からマナを吸っていたようだが、今はそれができない状態だから当然か。
ユウトはその触手に両手で触れて、魔力を送ってあげた。
すると『黒もじゃら』の少しひからびていた表面が、水分を吸ったようにつやつやとしてくるのが分かる。やはり、魔力が足りていなかったようだ。
手を離すと、『黒もじゃら』は万歳をするように3度触手を上げた。何だろ、お礼を言っているのだろうか。
……ちょっとカワイイ。
「……何かすでに弟が私のもじゃちゃんを手懐けている……」
「俺だってもじゃだったら姉貴よりユウトくんに懐くもん」
「そうか、やはり魔力か。くそっ、私にも魔力があれば……!」
「姉貴の場合、魔力だけの問題じゃない気もするけど」
「……何でもいいから、早くポーチ持ってこい」
痺れを切らしたレオが催促すると、ようやくタイチが工房へアイテムを取りに行った。
そしてすぐに、品物の入った箱を持って戻ってくる。
「はいはい、ごめんね、お待たせ。まずはこれ、ユウトくんのポーチだよ。はい、掛けてみて、絶対似合うから!」
笑顔のタイチに渡されたのは、白いふわふわもこもこのポシェットのような肩掛けポーチだった。
うわあ、めちゃ可愛い。18歳男が着けるものじゃない。
「……確かにユウトなら間違いなく似合うな」
「ですよねー! レオさんなら分かってくれると思ってました!」
「弟のポーチは斜め掛けにちょうど良いストラップの長さにしてある。金属織り込んであるから、そうそう切れねえぜ。ほれ、掛けてみ」
……相変わらず、こちらに拒否権はないようだ。
まあ、作り直すにもすごい金額になるだろうし、素材も足りない可能性があるし、レオも納得の様子だし、ありがたく受け取るしかないのだけど。
仕方なくポーチを肩から斜めに掛けると、それはやはりさすがの造りで、大きさもローブへの収まりもぴったりだった。
「うん、やっぱり可愛い! その萌え袖でふわもこポーチを扱う姿なんて、もう萌えの結晶だよね!」
「これ、ポケット2つあるけど、どうやって使うんですか?」
「ああ、うん。これは片方が転移用のポケットで、もう片方が持ち運び空間用のポケットだよ」
「……持ち運び空間?」
首を傾げたユウトに、隣に立っていたレオが説明してくれた。
「転移用ポケットは一方通行で指定した場所にアイテムを送るポケットだが、持ち運び空間用は出し入れ自由の空間と繋がっているポケットだ。放り込めるアイテムは100個まで」
「へえ、すごい! だったらそれひとつでも良さそう」
「最初はそう思うんだが、100個なんてすぐだぞ。取り出しやすさも考えて、そっちのポケットはいつも最低限のものしか入れないようにしておけ」
「そっか。うん、分かった」
デザインはどうあれ、やはりとても性能のいいポーチのようだ。
タイチはレオのポーチも取り出した。
「そしてこっちがレオさんのウエストポーチ。黒のレザー基調で、ベルトに通して使うタイプにしたよ。剣士だと荷物の揺れで動きを妨げられたら不都合だろうし」
「ポーチは敢えて形をカッチリめにしなかったぜ。ポケットが4つもあるからかさばるしな。代わりにポーチの口を閉じるのにベルトや金具使って、こう、兄の腰回りにふさわしいものにしてやった! さあ、着けてみるがいい! ベルトの金具とかとデザイン合わせてるから、絶対萌える!」
「萌えるな。貴様は黒もじゃらでも見てろ」
嫌そうな顔をしながらも、レオもポーチを着けた。
うん、装備とはまた違う質感で確かに似合う。
「思った通り、ジャストフィット! 上着のシルエットを邪魔しないが、きらりと光る存在感……。黒のレザーの高級感はスーツとも相性抜群! 萌・え・す!」
「ウザい……」
「姉貴こう見えても今控えめだよ? こっちのメインは俺だったとはいえ、ポーチ作りと金庫作りを同時進行してたから、ほとんど寝てないんだよね」
「……ミワさんもタイチさんも、そんなの全然分からないくらいいつも元気ですね……。でもちゃんと休んで下さいね?」
「今日はとりあえず寝るよ。ひとまず泥棒捕まったし、可愛いポーチを下げるユウトくん見れたし。姉貴も多分そろそろガス欠起こすんじゃないかな。さっきの黒もじゃらとの追いかけっこが結構効いたからね」
そう言ったタイチの隣で、ミワが欠伸をした。確かに眠いらしい。
「だったら、俺たちはもう帰る。貴様らはとっとと寝ろ」
「おっ、兄ってば遠回しに私らの身体心配してる? ツンデレ?」
「殺すぞ」
「すみませんでした」
レオに殺気のこもった目で睨まれて、ミワは即座に謝った。しかし、その視線にゾクゾクしながらちょっと萌えてるっぽいのが怖い。
「じゃあ、僕ら帰りますね」
「うん、2人ともまた来てね~」
殺伐とした挨拶を交わしたレオたちの隣で、ユウトとタイチが平和に別れる。
とりあえずこれで一通りの装備は完成した。しばらく『もえす』に直接来ることはないだろう。
そう思いながら2人は店を出た。
その帰り、リリア亭に向かう路地。
「あれ、猫だ」
ふと前方に、月明かりの下に黒い塊を見つけて目をこらす。
一瞬『黒もじゃら』かと思ったけれど、よく見ればそれは黒猫だった。
暗がりに光る、赤い目がこちらを見つめている。
そのまま近付いてみるが、逃げる気配はなかった。
「どこかの飼い猫かな? ……でも、首輪してないなあ。どうしたの、お前」
逃げない猫に近付いて、ユウトがしゃがんでその喉元を撫でる。
素直に撫でさせてくれるところを見ると、やはりどこかの飼い猫か。首輪を外してしまったのかもしれない。
その様子を、レオが若干難しい顔をしながら見ていた。
「……何か変だな、その猫。気配がおかしい……?」
「何が? 普通の猫だけど」
おずおずとこちらの手の甲を舐める黒猫は、人懐こいだけでおかしなところなど感じない。赤い瞳が珍しいくらいだ。
その背中を撫でて、ユウトは立ち上がった。
「猫ちゃんばいばい。パトロール終わったら、ちゃんとおうちに帰るんだよ?」
黒猫に手を振って背中を向けると、2人は再びリリア亭へと向かって歩き出した。
しかしすぐにレオがちらりと後ろを見る。
「……ついてきてるな」
「え? あ、ホントだ」
猫はユウトについてきていた。立ち止まると、その足下にじゃれつく。すっかり懐かれてしまったみたいだ。
「どうしよう。もしかして捨てられたのかな」
抱き上げると、黒猫はあっさりと腕の中に収まった。これだけ人に慣れているなら、絶対飼い主がいたはずだ。なのにユウトについてくるというのは、今は飼い主がいないのではないか。
「……連れて帰ってもいいかな?」
「ちょっと待て」
何故かレオが猫を取り上げ、顔の前に掲げてじっと見る。
その視線に、黒猫はおどおどとした様子で尻尾を足の間に巻き込んだ。
明らかに気弱そうな猫。害心はまるで感じられない。
兄はしばし逡巡してから弟にその黒猫を返した。
「……まあ、いいだろう。……野放しにしておく方が厄介な奴かもしれない」
「? 厄介って?」
「ユウトは気にしなくていい」
とりあえず、猫は一緒に連れ帰ってもいいようだ。
それに安堵して、ユウトは黒猫の喉を撫でた。




