兄、記憶封印の影響を疑う
「俺とお前の、重要な何かとは……?」
「ん~、それは分からないけど……でも自分で記憶を封じたくらいだから、絶対秘密の大切なことだと思うんだ」
「……大切……なのか? どちらかと言うと思い出したくないこととか、知るべきではなかったことを封じ込めているんじゃないのか?」
言っていて、自分で薄ら寒くなる。
つまりそこには、ユウトにとって忘れ去りたいレオたちとの思い出が眠っているかもしれないのだ。もしかすると、グラドニに封じてもらった記憶よりももっと酷い過去が。
だとしたら、正直この先には行きたくない。
レオにとってはユウトこそ世界。そんなリスクを負ってまで人間界を護ろうなんて思わない。この兄は弟さえいれば、いっそ世界を捨てて別天地へ行ったって構わないのだ。
しかしそんなふうに暗い考えに傾きかけたレオに対し、ユウトはあっさりと首を振った。
「思い出したくないから記憶を封じてるってことはないと思う。僕も最初に自分で自分の記憶を封印してるって聞いた時はそう思ったけど、だったら封じるより記憶を消しちゃうと思うんだよね」
「……記憶を消す? そんなことができるのか?」
「ええと、できるって言うよりは『する』って感じ? もしここでの記憶があるとしてさ、当時の僕って生まれたばかりか、まだ卵のはずでしょ。だから余程意図して残さなければ、記憶なんてほぼほぼ消えちゃうんだよ」
当時とは、つまりレオが七才の頃。今のユウトを十八才とすれば、本当に生まれたか生まれていないかというところだ。出生日の分からない弟の歳を決めたのはレオだが、ディアの話では実年齢とほぼ齟齬がないらしいから間違いない。
そう考えると確かに余計なことをしなければ、全ては忘却の彼方だったろう。
赤子の頃の記憶を『わざわざ封印して残した』。ユウトはだからこそその記憶が悪いものではなく、重要なことだと認識したのだ。
……多分に推論を含むこの弟の言葉を鵜呑みにするにはまだ不安がある。しかしそれでも、当のユウトの言葉であるならば信じるに値する。レオの気持ちは幾分軽くなった。
「……お前は赤ん坊の頃から魔術が使えたのか?」
「覚えてないけど、多分ね。きっとディアさんたちが作ってくれた卵の中で、魔力にひたされていたからだと思う。魔術に関しては記憶というより、そもそも身体に染みこんでいるんじゃないかな。……さっきの聖なる領域の魔法とかも僕の身体が元々知ってるから、やり方を聞いただけで術を発現できるんだって。これはあの子狐さんが言ってた」
「……そうか、ユウトの場合は全ての魔法に適性があるんだろうしな。魔法の詠唱が必要ないから、言葉を話せなくてもいいし。それでも、赤子の状態で魔法を発現させるなんて驚きだが」
「ん~……僕も赤ちゃんの状態でどう状況を判断して記憶の封印を掛けたのか、驚きというより不可解なんだけど……。普通の赤ちゃんよりは意識が発達していたのかな」
やはり赤子が封印の魔術を発動したなんて、当の本人ですら半信半疑のようだ。ただ考えられる状況から、客観的な推論で問いの答えを導いていく。
「ほら、ディアさんが例のゲートで行方不明になったのって、二十年前でしょ? だとするとすでにその時点で僕……卵は生成されていて、僕は生まれ出るまで最低でも二年は卵の中にいたはずなんだ。その間に外の世界の声や音を聞きながら魔力と知識にひたっていれば、少なくとも幼児程度の知能はあったのかもしれない」
言われてみればユウトが誕生したのが十八年前だとしても、卵の状態ですでに何年かは過ごしていたはず。ディアがいなくなるまでの間はおそらく卵は大切に育てられていただろうし、間接的な魔術の英才教育もあったろう。
そもそもユウトの身体には創世主の与えた魔力が宿っているのだ。常人と同じように考えること自体がナンセンスなのかもしれない。
「まあことの子細はともかくさ、だからここは多分、僕とレオ兄さんにとって重要な何かがあると思うんだよ。ラフィールさんが記憶を呼び起こすにはフックが必要って言ってたけど、この既視感は僕にとってのフックなんじゃないかな」
「……俺としては過去のことなど思い出したくもないし、実際ほとんど覚えてもいないんだが。どうせ楽しいことなんぞ、ひとつもなかったに決まっている」
「それでも、僕はレオ兄さんと過去に縁があったなら思い出したいな」
ユウトはすっかり迷宮の奥に行くのに乗り気のようだ。
レオとしてはそれが恐ろしくもあるのだが、一方で卵のユウトに関する記憶のない自分自身が、不可解で気になるのも確かだった。当時あそこで何があって、何故ユウトを一度手放したのか。それが気に掛かる。
どうせ流れ的にも行かないわけにはいかないし、覚悟を決めるしかないだろう。
そう自分に言い聞かせて、レオは話を切り上げた。
「何にせよ、主目的は迷宮の奥に進んでフロアの敵を倒すことだ。明日も戦闘があるだろうし、お前はエルドワを連れてもう寝ろ」
「うん、そうする。レオ兄さんも早めに寝なくちゃ駄目だよ?」
「ああ」
今度こそ素直に頷いた弟が、子犬を抱いて奥のスペースに消える。
その背中を見送りつつ、レオは特に今まで思い出そうともしなかった昔の記憶を探ろうとした。
ライネルがユウトの卵を持ってきたのは一体いつだったか、そしてそれをどうしたか。
しかし。
(……思い出せない)
ずっとベッドの上にいたとはいえ、ここまで記憶がないことがあるだろうか。
ユウトが言ったように、記憶はフックがあれば芋づる式に引き出されることが多い。さっき唐突に、ライネルが卵を持ってきた時のことを思い出したように、だ。
しかしどれだけ考えても、卵に関する他のことを思い出せない。どうでもいい世話係の名前を覚えていないのとは明らかに違う。
まるで意図的に消されたよう。
……誰に?
そこにきて、レオは一つの可能性に思い至った。
(もしかして、ユウトの記憶封印の影響を受けた……?)
過去のユウトがここにいる間の記憶を封印した際に、レオの記憶も巻き込まれたのではないか。赤子の魔術に作為があるとも思えないし、偶然だとは思うけれど。
(だとすれば、ユウトの記憶が解放された時に、俺の記憶も戻る……?)
可能性はある。もちろんあくまでレオの推測だが。
(そういや兄貴からもその後卵の話を聞いた覚えがないな。……もしや、兄貴の記憶も一緒に封じられてる……? それとも、兄貴自体が卵に興味が薄かっただけか……?)
唯一覚えているのはあの時だ。卵をレオの部屋に持ち込んだあの日、ライネルの様子はどうだったか。
……確か自慢げで少し意地の悪い顔をしていた。おそらくあの卵は、父王に内緒で手に入れてきたものだったに違いない。そういうものを父に見付からないようにレオの部屋に隠すのが、ライネルの常套手段だった。
だとすれば、興味のないものだったとも思えないが。
そこまで考えて、レオはふと当時のライネルの変化に意識が向かった。そういえば、彼が今のような性格に変わったのもあの頃だった。
レオが七才の頃というと、五つ違いの兄は十二才。変化前のライネルは、そも王子らしく権力を笠に着たわがままさと、血筋に裏打ちされた傲慢さを持った、普通にいけ好かない子供だった。
ただ、レオにとっては訪ねてきてくれる数少ない話し相手であり、それほど毛嫌いはしていなかったけれど。
そんな絵に描いたようなクソガキだったライネルが、あれほど国民思いの賢明な男になったのはなぜだっただろうか。
そこの記憶も抜け落ちている。
やはりユウトの記憶封印に、何かしらの影響を受けているとしか思えなかった。
(……俺がしっかりと記憶をたどれるのは、体調が良くなってイレーナから剣の指南を受け始めた頃からだ。その直前、俺たちに何があった……?)
そもそも、病名すら知らされなかったレオの身体が快復した理由も、この迷宮がなくなった経緯も、何も覚えていない。ライネルに訊ねたところで、その答えが返ってくるとも思えなかった。だってきっとあの兄も、当時のことは覚えていない。そんな気がする。
そしてもちろん、記憶を封印しているユウトが当時の出来事を知っているわけもなく。
結局迷宮の奥に進むことでしか判明しないのだと考えれば、不安よりも事実を知りたい気持ちの方が少しだけ前へ出る。
レオは再び気合いを入れ直して入念に剣の手入れをすると、それを鞘に戻した。
(……このゲートにこの場所が現れたってことは、ここで俺たちが当時の出来事を思い出すことで、何か世界の救済に繋がるということなんだろうか……?)
実際の目的は宝箱に入っているアイテムを手に入れることがメインなのかもしれないが、それだけだとは思えない。特にユウトに関しては。
……いや、もしかすると、レオにとっての記憶だって。




