弟、キュンキュン言う
「待って、レオさん! 今行ったらもったいないことになるかも!」
「……もったいない?」
あと一歩でレオが階段に足を踏み入れるところで、後ろからネイに引き留められた。
その手が服の裾を掴んでいる。
すでに弟のもとに行くことしか考えていなかった兄は、眉根を寄せつつも振り返った。
「何だ、もったいないって」
「どうせ戦力が集まるなら、ユウトくんたちが次のフロアに行った直後に飛んだ方がいいでしょ。そうすればみんなで攻略できますし」
「……ああ、そういうことか」
ユウトたちは順調だと言っていたし、すでにフロアの大体を攻略しているはずだ。そこにレオたちが合流したところで、大して戦うこともなくクリアしてしまうだろう。そうなるとまたすぐに、次のフロアに行く時に分かれることになる。
それよりもユウトたちが次のフロアに行くのを待って、そこで合流すれば力を合わせてそのフロアの攻略ができるのだ。
確かにその方が間違いなく賢い選択。
しかしようやく可愛い弟に会えると思っていた兄にとっては、お預けを食らった気分だ。レオは大きく舌打ちをした。
「……チッ、もうユウトに会える気分だったのに」
「まあ、もう少し辛抱して下さいよ。とりあえずユウトくんに連絡入れてみたらどうですか? もしかすると、すでに次のフロアに行っている可能性もありますし」
「連絡か」
ユウトの邪魔にならなければいいのだが。
そう思いながらも弟の動向が気になっていることもあって、結局通信機を取り出す。
まあもし今現在戦闘中で苦戦しているようなら、次のフロアと言わず合流すればいい。そう考えて、レオは通話ボタンを押した。
呼び出しのコールが鳴る。
すると、いつも通りにワンコールで通話が繋がった。
良かった、今は戦闘中ではないようだ。……と思った矢先、通信機の向こうで二つの魔獣の声が聞こえ、途端にぞわっと背中に戦慄が走った。一つはエルドワの声だが、もう一つは明らかに聞いたことのない魔物の声だ。
「ユウト!? 大丈夫か!?」
一応すぐに通話に出れる隙はあったようだが、状況が分からず問い掛ける。しかし、返ってきた声はレオの想定とは違うものだった。
『キュン!』
「うっ、可愛い! ……じゃなくて、どうしたユウト!?」
『キュンキュン』
何か知らんが弟が向こうで子犬になっている。いかん、こんな状況なのにその声だけで勝手に和んでしまう。
突然の癒やしに困惑していると、通信機の向こうに現状を説明してくれる者が一足遅れて現れた。
『レオさん、ご心配なく。こちらは間もなくフロア最後の敵を討伐できそうです』
「ヴァルドか!? 何がどうなっている? ユウトは何で子犬なんだ?」
『実はこのフロアが、エルドワの因縁のある場所でして……。とりあえず今いるところで人間の姿でいると敵の注意を引いてしまうので、犬に変化しているだけです。敵はエルドワがもうすぐ倒してくれると思いますから大丈夫ですよ』
「エルドワの因縁の場所……?」
『ここをクリアできれば、世界の救済に繋がるかもしれません』
やはりユウトたちのいた坑道のフロアも、パーティメンバーの心象風景から引っ張られて来た場所らしい。今回はエルドワか。
(その攻略がいちいち世界を救済する一助となるのが、出来過ぎな気がするが……)
まるでご都合主義のできそこないのシナリオのようだ。
……しかし、もしも逆だとしたら? 世界の危機としがらみのある者だからこそユウトに引き寄せられて来たのだと考えると、これこそが必然なのかもしれない。
大精霊もグラドニもユウトを特別扱いするのは、そうした世界の救済の中心にこの子を置くためなのだろう。それが何とも腹立たしいが、一方でだからこそユウトは皆から愛され護られていると思えば、それを逆手に取って利用した方が手っ取り早いとも言える。どうせ逃れるのは不可能なのだから。
……それにもしも、自分さえもそうしてユウトに引き寄せられた一人だとしたら、この子が特別扱いされていたからこそ出会えたのだ。全てを否定してしまえばレオはユウトと出会えなかったわけで、ならば全てを飲み込んで弟を護りきるしかない。
となれば、救済の助けはいくらでもあって良いのだ。エルドワには頑張ってもらおう。
『キュンキュン、キュアン』
「くっそ、何言ってるか分からんが声が可愛いなユウト……! モフりたい……!」
『ユウトくんがフロア攻略終わったらこっちから連絡するって言ってますが』
「ああ、このまま繋いでいても無駄に充填してある魔力を消費するだけだしな……。分かった、待ってる」
『キュン!』
ユウトが可愛く一声鳴いて、通話は切れた。
レオはそれに少しだけ落胆すると、通信機を胸ポケットに入れ、仕方なくその場に留まることにする。おとなしく待った分、ユウトには後でモフらせてもらおう。
「今、向こうは戦闘中なんですか?」
「そうらしいな。ただ、戦ってるのはエルドワだけのようだ。ユウトもヴァルドも、おそらくキイクウも参戦していない」
ネイの問いに答えて、レオはひとまず近くの壁に身体を預けて腕を組んだ。
「向こうは、エルドワの因縁があるフロアらしい」
「へえ、エルドワの……。そう言えばエルドワって、地獄の番犬でかなり高位の血筋の魔獣ですよね。あんなに小さいのに親元離れて人間界に来てるのは、やっぱり過去に何かあったんでしょうね」
「そういや以前、ガラシュのせいで半魔の排斥があったようなことを言っていたな。あいつも純血の親族と何かしがらみがあるのかもしれん」
「親御さんとは仲が悪そうな感じはありませんでしたけどね」
「わざわざ虎人のガイナに預けられていたようだし、親が人間界に避難させたのかもな」
そうなると、今エルドワが戦っているのは過去にあの子犬を排斥しようとした親族か何かなのかもしれない。
「敵がどんな奴かは分からないが、当時と違ってエルドワも今や激強子犬だからな。あれに勝てる魔獣はそうそう居るまい」
「まあエルドワはグラドニの力も受けてますからね。半魔の特性はその成長力ですし、これまでの経験値も加味すれば同族と相対して負ける要素はほぼないでしょ。エルドワはこのまま青年になったらとんでもない強さになりますよ」
「ああ。……だが結局は半魔だからな。いくら実力があっても地獄の門番を継ぐ事はできないだろう。ま、そもそもあいつ自体にその気がないかもしれないが」
魔界は実力主義だが、どうしても爵位付きや高位家紋になればなるほど純血である方がありがたがられる。もちろん絶対継げないわけではないが、配下魔物が半魔の言うことを聞きたがらないのだから統治が難しいのだ。
「半魔って能力は高いのに、魔界でも人間界でも居場所がないんですよね。ヴァルドもそうですし。隠れてなきゃいけないなんてもったいないなあ」
「……そう言えば、その隠れた半魔を引き寄せて統べているのもユウトだな……」
成長も衰退もする半魔は、上手く育てれば純血の魔物をしのぐ力を持つ。ある意味、ユウトの周りには成長を遂げた規格外の最強半魔が集まっているのだ。……おそらく彼らが本気になれば、王都を容易く陥落させるほどの実力があるだろう。もちろん、ユウトがそんなことを指示するわけはないけれど。
(……まあ、エルドワたちが純血をしのぐ能力を持っているのなんて今さらだ。……だが、そうすると半魔のユウトは?)
レオは未だに弟を庇護対象としているが、その実力がとても高いことは知っている。
しかし、その能力の高さを測るのに、純血種に当たるのが大精霊や魔王なのだと考えて、出た結論にレオは薄ら寒い気持ちになった。
(……ユウトは、大精霊や魔王をしのぐ力を持っている……?)
もしもそうだとしたら、それほどの力を与えて、彼らはユウトに何をさせる気なのだろうか。
……世界の救済、本当にそれだけか?
そうして答えの見えない思考に陥ったレオの胸元で、不意に通信機が着信を告げた。




