兄、操られたネイと対峙する
襲ってくるネイの短剣を打ち払いながら、レオはタイミングを見計らう。何って、手出しする隙のない自分たちの攻防に、後ろに控えて様子を見るしかない二人と、ネイが真っ直ぐに重なるタイミングを、だ。
こちらを攻撃してくるネイの顔には、今も楽しげで悪い笑みが乗っている。全くいけ好かない顔だ。だが、だからこそ分かる。こいつはまだ操られていない。そのフリをしているだけだと。
なるほど、ネイは魔力しか供給できないグリムリーパーの現状を逆手に取ったのだ。ここまでの行動が全て事前に組まれた呪詛や術式によって制御されているなら、その命令は『敵が自分たちに向かってきたら応戦』し、『暗殺者が主人に攻撃に行ったら援護』に違いなかった。
その術式に行動さえ沿っていれば、戦っている二人のその内心がどうなどと死人に計れるはずもなく、次のフェーズに移る。そこに気付いたネイがレオに攻撃を仕掛けるフリをしているだけのことだ。
しかし少しでも手を抜けば後ろの二人がその隙を突いて攻撃に加わる可能性も高く、結果こんな本意気のやりあいになっている。
ああ全く、面倒臭い。
そうしてしばしの攻防を繰り返した後、レオはようやくそのタイミングを捉えた。
「……吹っ飛べ、クソが!」
一瞬開いたネイの鳩尾を、渾身の力で蹴り飛ばす。
その蹴り飛ばした先にはもちろん狙い通り男の父と叔父がいて、とっさに避けようとしたのをネイが手を伸ばして捕まえた。そのまま三人で地面に倒れ込む。
「かはっ……レ、レオさん、今っ……!」
「分かってる!」
鳩尾を蹴られたせいで血を吐き上手く声が出せないネイに短く返し、レオはすぐさま剣を収めポケットから超聖水を取り出した。
ネイが押さえてくれているおかげで、これなら十分対応できる。
レオがその蓋を開け、三人まとめて超聖水のサークルでぐるりと囲んでしまうと、ネイのホールドから抜け出そうともがいていた死人の二人はピタとその動きを止めた。
「ごほっ……はぁ~……なるほど、二人の動きを止めろってこういうことかあ~……」
「やはり赤い宝箱に入っているものは、そのフロアの攻略に役立つもののようだな。超聖水がなければ、こうも簡単にはいかなかっただろう」
きっと赤い宝箱を開けたのがレオだった場合、もっと有用性の低いアイテムだったに違いない。ネイが開けたからこその超聖水だ。そう考えると、このゲートでの幸運値はかなり重要。……クリスにはだいぶ不利だが……まあ、あの男ならどうにかしているだろう。
レオは大の字になったままのネイに構わず、残りの超聖水をその父と叔父に傾けた。
途端に死体はもろもろと崩れ、ただの土塊のようになる。その魂を救えたわけではないが、これでもう、彼らは操られることがなくなったのだ。
「あー……ありがとうございます、レオさん。これで俺のわだかまりが少しだけ解消しましたわ……」
「まだ終わってねえぞ。後は貴様と、グリムリーパーを殺さなくてはならん」
「……だったらもう、俺のこと殺してくれて良いですよ。……昔レオさんと戦った時と同じ、内蔵やられてすでに死にそうです……」
「そのまま死ぬなら勝手に死んどけ。後で適当に生き返らせてやる」
「レオさんに殺されることに意味があるんですって……あ、やば、超聖水のサークル内にいても時間切れ、がっ……!」
「くっ……貴様!」
殺気も何もなく。大の字になっていたネイが、唐突にこちらに足払いを食らわせてきた。
それを間一髪でかわしたレオは、大きく飛び退いてチ、と舌打ちする。
「死にそうと言ってた割にはずいぶん元気そうじゃねえか」
「……レオさんが早く殺してくれないからですよ~。あ~くっそ、俺今すっげえレオさんのことぶち殺してえ~」
ネイは口元の血をぐいっと拭うと、ゆらりと立ち上がった。
その険呑とした目つき、どこか酩酊したような身体のゆらぎ。まるで、死神だった頃のネイが復活したようだ。
さっきのような、レオに気付かせるためのわざとらしい殺気など放ちはしない。本気でこちらを殺す意思を感じる。
これは、明らかに操られているのだろう。だが、そこには確かにネイの自我も存在するようだった。
「貴様なんぞに俺が殺せるわけがねえだろ」
「それはどうですかね? 俺はレオさんの戦い方を間近で何度も見てますし、その攻撃力も当たらなければ意味がないことを知ってます。俺のスピードが、レオさんを凌駕していることも」
「……俺を軽く見てると後悔するぞ」
「軽くなんて見てませんよ。……ただ、あなたを殺して復讐する死者に仕立て上げ、使役したらさぞかし楽しいだろうと思っているだけです」
普通に会話もできる。つまり、グリムリーパーの魔力の影響を受けてはいるが、意思決定自体はネイが判断しているということだ。
もちろんその意思は、だいぶ闇に冒されているようだけれど。
(狐が俺を使役する、ねえ)
いつものネイなら絶対言わない言葉だ。なぜならこの男は、自分を御することができるのはレオしかいないと考えているから。
そもそもネイは自分の抱える闇を何よりも忌み嫌い、自分自身を信用していない。だからこそ安易に他人を懐の中に入れようとしないレオにならと安心して仕えられていたのだ。
そして、こうして叛意を見せれば躊躇いなく殺してくれることも知っている。信用できない自分の行動を力尽くで御してくれる、ネイにとってレオは、いつだって常に上にいて欲しい存在なのだ。
とはいえ、レオとしては進んでその意図に沿ってやろうなどとは考えていない。ただ、ネイの思うレオ像は実際のレオとさほど乖離していないのだから、自分の考える通りに行動すればそこに寄ってしまうのは仕方ないだろう。
どうせこの男がどう操られてどう変化しようが、殺すつもりだったのだ。何と言うこともない。
レオは剣の柄に手を掛けて、ゆらゆらと揺らした。
「俺の上に立てると思うなら、試してみろよ。ひねり潰してやる」
「レオさんこそ、俺を軽く見ないで下さい」
「俺に勝てると思ってる時点で、貴様の頭はだいぶ軽いだろ」
「あはは~俺そういう挑発に乗るタイプじゃないんで~」
「挑発じゃねえよ。今みたいに揺らいでる自我を、貴様自身が一番信用できてないことは知ってんだ。今の貴様ごときが、俺を倒せるわけがねえ。そう事実を言ったまでだ」
ネイに対する今のグリムリーパーの支配は完全ではない。その心には、相反する思考が内在しているはずだ。ただ、レオがその支配に反発するなと言っておいたから、悪意が全面に出てきているにすぎない。
だが、中途半端な支配でいくら本気を出したところで、その揺らぎは必ず表出するのだ。
心技体が揃わずして、レオに勝てるわけがない。
その上、支配によって麻痺しているようだが、今この男の内臓はレオの蹴りによって損傷している。無理に動けばボロが出るだろう。
そのマイナス分を補うための数多のアイテムも、今はレオのポーチの中。
レオが負ける要素は微塵もなかった。
(……狐を殺すのは大して難しくない。……問題は、グリムリーパーがどう動くか、だが……)
立ち位置的に、ちょうどネイの向こうにグリムリーパーの魔法陣が見える。
先の二人が倒れ、この段になればネイに加勢してくるかと思ったけれど、未だ動く気配がないのが不気味だ。まさか、ネイがレオを倒せると安易に考えているのだろうか。
……それとも、あの魔書に何かの制約があって、これ以上手が出せないのか。
(狐の魂を闇落ちさせるつもりなら、加勢するのは今しかない。それができないということは……リーパーはやはり、あの魔法陣と魔書から自力で抜け出すことができないのか)
ならば、今はネイに集中するべきだろう。レオは向かいで短剣を構えたネイを前に、すらりと剣を抜いた。




