弟、トレントの構造を知る
「根っこが全部攻撃に回ってる今なら、僕たちの動きを感知されることはないんじゃないんですか?」
「どうかな。細かい動きはもうデータを取り終わったのだろうから、地表近くにあった側根を再び地中に潜らせて、私たちの詳細な動きを探ることはもうないとは思うけど。ただ、相変わらず数十本の側根が地中にあるのは確かだからね。今は攻撃に転化しているからといって、この後もそうとは限らないよ」
「動きを察知されたところで、トレントが対応しきれない速度で動けばいいんだぞ、狐」
「無茶言わないで下さいよ、レオさん。集中した数秒ならどうにかなりますけど、常時その状態で動けるわけないでしょ。何より、俺の攻撃じゃ有効打が与えられないですし」
「まあ、あの幹は本気で固いもんね」
「エルドワも、あの幹は固くて噛み砕けない。根っこもトゲトゲの方からは危なくて食べられないし、いらいらする」
そうなのだ。どうにか攻撃をかいくぐって近付いたところで、トレントを倒す術がない。特に本体の弱点となる内側を護っている、幹の外側が凶悪に固いのだ。
それはまるで堅牢な鎧のよう。
刃物でも魔法でもびくともしない。
「クリスさんの斧でも傷付けられないんですか?」
「う~ん、どうかな? そろそろ攻撃力MAX値だし、傷付けられそうな気もするけど」
「……待てクリス! あんたヘイト溜まりきりそうなの分かってて、まだ憎悪の大斧使ってんのか!?」
「あ、レオさん、俺一応ヤバそうなら使うなって伝言しましたからね。このおっさん全然言うこと聞かないの」
「えー、だってせっかくここまでヘイト溜めたんだもの、有効に使いたいじゃない? 与えるダメージによって溜まるヘイトが変わるから、ほとんどダメージが行かない幹にはここまで手出ししてこなかったんだよね」
この男、枝ばっかり切っていると思ったら、最初からしっぺ返しダメージの一歩手前までヘイトを溜める気でいたのか。
すぐに修復されていたとはいえ、与えたダメージに対してヘイトは溜まる。ヘイトが溜まれば斧はさらに強くなる。そうして更に大きなダメージを与えて、クリスはヘイトを溜めるサイクルを回していたのだ。
それを知ったユウトが顔を青くした。
「ダメですよクリスさん! 危険です!」
「でもこの憎悪の大斧以外に、トレントの幹に傷を付けられる武器ないしなあ。ウロには常時木魂が灯ってるし、他の方法であの固い樹皮や辺材を通り抜けて心材までダメージ食らわすのは難しいんだよ」
「それは確かにそうだが……、あんたの攻撃でそこまでダメージを与えられる保証はあるのか?」
「俺が攻撃した感じ、かなり辺材の細胞密度と斬撃耐性が高いっすよ。いくら樹木特攻のある斧でも、一撃で心材まで届かせるのは難しい気がします」
手数が必要だとすると、その一撃でクリスがごっそり体力を持って行かれるのはかなりマイナスだ。
もちろん一撃で通る可能性もないわけではないが、これは賭けに近く、軽々しく賛成できる話ではなかった。
では他にどうするかと言われるとまた難しいところで、レオが黙り込んで悩んでいると、不意に弟がその袖を引いた。
「ねえ、レオ兄さん。……辺材と心材って何?」
トレントと戦ったのが初めてな上、樹木の構造など知らないユウトには聞き覚えのない言葉だったらしい。
首を傾げる弟に、兄は簡単に説明をした。
「ユウトも切り株を見たことがあるだろう。そこに浮かぶ年輪が、中央の黒っぽいところと外側の色の薄いところ、境目があるのは分かるか?」
「あ、うん。確かに色が濃いところと薄いところがあった」
「通常の樹木では、その黒い部分が心材。薄い部分が辺材というんだ」
「へえ、そうなんだ」
「トレントはその中央の黒いところ……心材の部分が急所で、本体みたいなものなんだよ。辺材がその大事な本体を護る鎧って感じかな」
横からクリスが説明を付け足す。
すると今の会話の意味が通ったようで、ユウトはなるほどとひとつ頷いた。
「つまり幹の部分って、まず本体の心材があって、そこに攻撃を届かせないために特別固い辺材で周囲を覆っているんですね」
「そうそう。心材だけなら結構柔くて俺でも十分ダメージ与えられるのよ。問題はこの辺材なの」
「辺材……ダメージをほとんど受け付けない固い鎧かあ……」
ユウトがうーん、と小さく唸る。
クリスの攻撃力MAXの憎悪の大斧ですらどれほどダメージを与えられるか分からない幹を、どうにかしようと考えているのだろうか。
しかし当然魔法だってほとんど効かないし、一歩間違えば反射されて返ってくることになる。それはさっきのレオの説明で分かっているはずだ。
では何を考えているのか。
今はどんな案でも欲しいレオは、ユウトが次の言葉を発するのを待つ。すると、軽く視線を上げた弟は、隣の兄に訊ねてきた。
「固いのは外側だけで、中の本体に柔軟性があるってことは、トレントの動きを司っているのは心材の方ってことだよね?」
「ん? そうだな。普通の樹木は中心が硬化しているものだが、トレントは反対なんだ。外側を最大限硬化して身を守っている。それを内側の本体が筋肉のような働きをして動かしている」
「筋肉……そうか、トレントは巨人族にも属するって言ってたもんね。固い外側で身体を支えて、柔軟な内側で身体を動かす……身を守るために骨と筋肉が逆に付いた感じなのかな」
もちろんこれは幹に限った話で、枝と根はしなやかな動き重視のために硬化も控えめだ。おかげで攻撃は通る。
しかし柔軟な分補修力が高く、樹液も巡っているせいで致命傷には到底及ばない。それこそ全部の枝と根を切り落とすくらいしないと終わらないのだ。
一応は水源を絶ったことで、その目処は立ったけれど。
あの厄介な枝も根も、全て切り捨てるにはどれだけの時間が掛かるやら。考えただけで頭が痛い。
と、そんな話をしているうちに、とうとう周囲の嵐が収まり始めた。
トレントの魔力が切れたのだろう。
どこまで消耗しているか分からないが、できれば多少戦いやすくなってくれるとありがたい。
とはいえ油断などできるわけもなく、レオたちはトレントの方に意識を向けた。
「……嫌な臭いがする」
「どうした、エルドワ」
そんな中、エルドワが嫌そうな顔をする。
その様子を怪訝に思い訊ねたレオに、彼は小さな唸り声を上げた。
「あいつ、さっきと違う臭いがしてきた。ちょっとアンデッドに近い」
「アンデッドだと……?」
「うん。人の精気や血を吸うやつと同じ臭い」
「え、トレントにアンデッド系の性質まであるのかい? ……でもそう言えば、昔最終戦争で魔尖塔から出てきたドラゴンも、人間界にない複合能力を持っていたと言ってたっけ。トレント『亜種』ってそういうことなのかな」
「げげ、せっかく水源潰したのに、今度は俺たちを水分・養分にしようってこと? 引くわ~」
魔法障壁の向こうでは風が弱まり、舞い上がっていた砂埃が晴れていく。
やがてトレントのシルエットが見え始めると、レオたちはその変化に目を丸くした。
枝から全ての葉が散って、まるで枯れ木のようだったのだ。しかしその枝先は全て鋭利な注射針のようになっていて、エルドワの言を裏付けた。
これはおそらく根も同様だろう。
水源を潰したからといって、窮地には変わりないようだ。全く忌々しい。
そして多少樹皮が剥けているものの、幹はやはり変化がなく、その硬度を保っていた。
ウロにも、未だに紫の木魂が灯っている。
ただ、その巨木は少し傾いていた。
「これは……弱っているのか? それとも形態が変わったのか?」
「どうだろうね。魔力と体力をだいぶ使ったことは間違いないから、多少は弱ってるだろうけど。でも木魂は灯ってるし、油断はできないよね」
「レオさん、身体が傾いでるのはわざとじゃないと思いますよ。トレントは幹からまっすぐ下に伸びた主根によって身体を支えてるんですけど、おそらくその土台となる地面を掘り起こしちゃったのと、主となる側根を地表に出したせいでバランスが取れなくなったのと、心材の力が抜けているのが原因です」
この一撃でレオたちを葬り去るつもりだったトレントは、やはり大量の魔力と体力を消費したらしい。
地中でセンサーの役目をしていた根を全て攻撃に転化させたため、レオたちが退避したことを察知できなかったようだ。それどころか、脱力して傾いだ様子を見ると、未だにレオたちが生きていることにすら気付いていないのかもしれない。
おそらくは力を出し切ってこちらを倒した後、あの枝などで血を啜って魔力体力の回復を図る気だったのだろう。
「これから俺たちの死体を探し始めるんですかね?」
「かもしれんな。手応えも血の感触も無かったはずだから、魔法で吹き飛ばされたと思っている可能性がある」
「うーん、トレントが体勢を立て直して死体探しを始める前に、少しでもダメージを与えたいところだけど……ここからの遠距離攻撃じゃ幹にかすり傷も付けられないね」
「死体探しだけじゃない。あいつ、ここにユウトが残ってること知ってる。多分ユウトの血を奪いに来る」
「あー、そっか! ユウトくんの血を吸われるのはめちゃくちゃヤバいね。……あれ? まさか、ユウトくんの血が特別なのを知ってて、今までここに手を出さなかったわけじゃないよね?」
「根っこに匂いまで感知するセンサーが付いてたらそうかも。いっぱい力を使っても、ユウトの血に含まれた魔力で回復する算段だったのかもしれない」
「なっ、そんなことさせてたまるか!」
「うん。だからずっとここにいるのも危ない。移動しても、その振動で感知されちゃうけど」
動けば、レオたちが生きているのがバレる。
しかしこのまま留まっていても、ユウトを狙って根が這ってくる。
どちらを選んでも状況が好転する気はしない。
いっそキイとクウに乗せて上空に逃がしたらどうかと思うが、どちらにしろこの空間全部に根が届くと考えれば、レオとしては自分の側に置いて護りたいところだ。
そうして悩んでいると、いつの間にか話の輪から外れていたユウトがポーチから何かを取り出して、それをクズ魔石に括り付けているのに気が付いた。
弟はクズ魔石を魔力でふわりと浮かせ、トレントの方に向かってそれを飛ばす。明らかに攻撃アイテムではないようだが、何をするつもりだろう。
「……ユウト、何を飛ばした?」
「ん、さっきエルドワの筋肉いいなあって思ってた時に、この薬があること思い出したんだ。今トレントが脱力してるなら、身体を立て直す時にこれが効くんじゃないかと思って、試しに」
「試しに……?」
有効手が見付からないレオたちに、「ただの思いつきだから期待しないで」と言いつつユウトはクズ魔石を操る。
それは、まっすぐに木魂の灯るウロに向かっていた。




