弟、アンブロシアを差し出す
「最終戦争当時、魔界から侵入した魔族たちにエミナは滅ぼされ、その魔族たちは次に現れた魔尖塔からの刺客に全滅させられたのは知っておるな?」
「はい。魔界から侵入したひとたちは『まだ神ではないもの』とランクSSSゲートから排出された魔物によって、みんな倒されちゃったんですよね」
「そうじゃ。……そして、その『まだ神ではないもの』と最後に戦ったのが、『聖なる犠牲』とわしじゃ」
やはり、『聖なる犠牲』の同行者はグラドニだった。
それなら彼らが『まだ神ではないもの』を倒せたのも納得だ。古竜の強さを計るだけの鋭敏な感覚など持ち合わせていないユウトだけれど、隣でエルドワがガチガチに緊張していることで察していた。
この男は、地獄の番犬の血を引く高位魔獣である激強子犬よりも、遙かに強い存在であると。
「最終戦争後に、『まだ神ではないもの』の死骸が見つかったと聞きました。お二人が倒したのですね」
「ああ。じゃが、『おぞましきもの』の来訪を防ぐことはできなかった。……それは、空を割ってこの世界に現れおった」
「空を割って……?『おぞましきもの』って、実態があるんですか?」
「おそらく定型があるわけではないが、その時は巨大なアメーバのようなものじゃった」
その様子を思い出しているのか、グラドニは眉間にしわを寄せている。……そういえば、『おぞましきもの』という呼び名は彼がつけたものだったか。よほど印象が醜悪だったのだろう。
「『おぞましきもの』が現れ、もはやわしらには打つ手なしじゃった。……『聖なる犠牲』が持っていた、アンブロシア以外では」
「アンブロシア……」
ユウトとレオが持つ、神話級の薬。何が起こるか使ってみないとわからないと聞いていたけれど。
「世界が飲み込まれようとした時、『聖なる犠牲』はそれを周囲に振りまいたのじゃ。その途端、わしらは『おぞましきもの』共々あの空間に飛ばされておった」
「……アンブロシアは、世界の理に縛られない、世界樹からもたらされたアイテムなんですよね? だから『おぞましきもの』にも有効だったと」
「そうじゃ。よく知っておったな」
「はい。今僕とレオ兄さんがそれを持っているので」
「……なんじゃと!?」
話の流れでさらりと言った言葉に、グラドニが驚きで目を瞠った。
そのまま身を乗り出してくる。
「アンブロシアを持っておると……!? それはまことか!」
「はい、一応。何が起こるか分からないから使いどころがなくて、ずっと持ったままなんです」
何だか興奮している様子の古竜を、不思議に思いながらも素直にうなずく。すると彼は何かを考え込むように一度視線を外し、しばし逡巡してから再びちらりとこちらを見た。
「……世界の愛し子よ。ものは相談じゃが」
「はい?」
「その、アンブロシアをわしに譲ってもらえぬじゃろうか」
「……アンブロシアを?」
男からの思わぬ頼みに、ユウトは目を瞬く。
面食らったユウトに、彼は畳みかけるように言葉を連ねた。
「もちろん、ただとは言わぬ! わしもうぬらが言っていた、時流を変える手伝いをしよう! ……時流が変われば、おそらくうぬがそれを使う必要もなくなるしな! どうじゃ、悪い話ではなかろう!」
「え、本当ですか!?」
アンブロシアを対価に、グラドニが時流を変える手伝いをしてくれる。それは彼に払える報酬があるか分からなかったユウトにとっては、願ってもない話だ。
アンブロシアは元々、何に使って良いか判断がつきかねるアイテム。お守り代わりにと持っていたけれど、これで彼の助力が得られるのなら手放しても構うまい。
ユウトは即座に請け合った。
「分かりました、アンブロシアをグラドニさんにお譲りします。……ええと、何の効果が良かったですか?」
「ん?」
「今、アンブロシアは効果違いで3つあるんです。複製してみたら、世界に一つしか存在できないせいで効果がずれて分離しちゃって」
「アンブロシアが3つ……!?」
「僕が『時間』と『事物』の効果、レオ兄さんが『ひと』に関する効果のアンブロシアを持ってます。僕が持ってるもので良ければ」
「『時間』じゃ!『時間』が良い!」
ユウトの言葉が終わらぬうちにグラドニが一つを選ぶ。
どうやら今手元にあるもので大丈夫なようだ。ユウトはポーチを漁ると、そこから青い液体の入った薬瓶を取り出した。
「では、これです」
「うむ! しかと受け取った!」
立ち上がってグラドニにそれを手渡すと、男はやはり興奮した様子で、それを大事そうに自身の懐にしまった。
「効果が分離しておるとは、用途が絞れてありがたい! これがあれば……」
「グラドニさんは、それを何に使う予定なんですか?」
ずいぶんと薬に対する期待値が高そうな物言いだ。
明らかに使用目的があるらしい古竜に、ユウトは首を傾げる。
このアンブロシアは何が起こるか分からないというアイテム、彼の望む効果が得られるとは限らないと思うのだけれど。
そう訊ねると、グラドニはふむと頷いた。
「確かに、使ってみないと効果は分からぬと言われておる。じゃが、これが世界の理を超えた救済アイテムだと知っておれば、服用するか振りかけるか、誰が飲むか何にかけるかによって、ある程度予測を絞ることは可能じゃ。さらに、うぬによって効果が分離されたのは僥倖じゃった」
「救済アイテム……? グラドニさんは、それで何を救済するんですか?」
「内緒じゃ。……100%うまくいくとも限らんしの」
懐に入れた薬を服の上から一撫でした古竜は、前のめりになっていた姿勢を戻す。アンブロシアの話はこれで終わりだということだ。
グラドニは仕切り直すように一度咳払いをすると、再び口を開いた。
「……しばし話がそれてしもうた。では、『聖なる犠牲』の話を続けよう」




