古の『聖なる犠牲』
ジードは手元にある紙束を数枚めくると、そこで手を止めた。
「……もゆるが聞きたいのは『聖なる犠牲』についてだな?」
「はい。その人がどういう立場で、そこで何をしたのか知りたいです」
「あ、私も最終戦争で現れたという魔尖塔とおぞましきものについて詳しく知りたいんだけど」
「それはどうせ『聖なる犠牲』を語る上では触れることだ。しばし待て」
便乗するクリスを片手で制したジードが、ユウトに視線を移す。
そして黙ったままじっと、魔女っ子に扮した少年を見つめた。
「……ジードさん? どうしました?」
その視線に可愛らしく首を傾げたユウトに、ジードが軽く眉を顰める。不機嫌というわけではなく、どこか心配そうな表情だ。
彼は少し躊躇った後、一つだけ息を吐いてから口を開いた。
「この話をする前に聞きたいのだが……もゆるはなぜ『聖なる犠牲』の話を聞きたいのだ?」
「え? えーと……」
訊ねられたユウトが、困ったようにクリスに目線を向ける。おそらく正直に言って良いのかどうか、判断が付きかねるのだろう。
だがクリスは即決した。
これは絶対ジードに伝えておくべきことだと。
「実はあなたのご兄弟のグルムに、もゆるちゃんが近い将来『聖なる犠牲となって死ぬ』と予言をされたのです」
「な、何だと……未来の見えるグルムに!? くっ、馬鹿な……いや、やはりと言うべきか……。もゆるの属性が古の『聖なる犠牲』と合致するから、嫌な予感はしていたのだ」
ジードはひどく苦悩に満ちた顔で拳を握りしめた。
当然だが、ジードは魔力の匂いが感じ取れるから、ユウトが聖属性と闇属性の両方を持った半魔だと分かっている。
その上での彼の言葉に、クリスは目を丸くした。
「……え? もしかして古の『聖なる犠牲』も、聖と闇を持った半魔だったんですか……?」
「うむ、そう書き残されている。……世界規模の大きな救いの力を発揮する時、魔物寄りでも人間寄りでも、どちらかに偏れば世界のバランスは崩壊するからな。双方の力を均等に兼ね備える者しか、犠牲になりえないのだ」
それを聞いたクリスもつい眉を顰める。
つまり、当時の『聖なる犠牲』も、ユウトと同じように魔王と大精霊によって生み出された特異な者だったということだ。
もちろん犠牲ありきで生まれてきたわけではないだろうけれど、世界の切り札としての役割があるのは間違いない。創造主たちも酷なことをするものだと、クリスは嘆息した。
(まだこんなに若くて可愛いのに、なんて理不尽な……)
そう哀れんだところで、クリスが代わってやれるわけもない。
これは呪いにも似た宿命、逃げることはできないのだ。
しかしそう考えて気鬱になるジードとクリスを他所に、当のユウトはすっかり割り切った様子で口を開いた。
「属性が同じ……ということは、とりあえず僕で世界を救えるのは間違いなさそうですね。それで、『聖なる犠牲』は最終戦争で何をしたんですか?」
「……もゆるはそれを聞いて、同じことをするつもりではあるまいな?」
ユウトの質問に、ジードがひどく慎重に問い返す。
クリス同様、ユウトが自分の命を掛けて世界を救うつもりではないかと懸念しているのだ。
そんなジードの探るような視線に、ユウトはぱちりと目を瞬いてふるふると首を振った。
「いいえ。僕はその状況を回避するために知りたいんです」
「……状況を回避するため?」
「そもそも、当時のその方を『聖なる犠牲』と呼んでいるのは魔界だけだと聞きました。魔界の誰かがそう称しただけで、本来は犠牲になることが主体ではなかったかもしれない。だとすれば、もしかすると別のやり方があったんじゃないかと思うんです」
「つまり、その別のやり方を今のうちに探しておこうということか?」
「はい」
以前にすでに一度自分の境遇に落ち込んだユウトは、今やその事実を前向きに捉えているようだ。
そのことにクリスは救われた気分になるものの、それでもやはり楽観視はできない。
ユウトの余裕は、結局最終的にどうにもならなければ、自分が犠牲になればいいという考えから来ている可能性があるのだ。
しかしどちらにしろ話を聞くべきだろうということに変わりはなくて、クリスはジードに声を掛けた。
「ジードさん。私たちはグルムの予言を覆すべく、世界の時流を変えようとしています。もゆるちゃんを護るため、貴方も知恵を貸してくれませんか」
その依頼に、ジードは間髪入れずに応じる。
「良かろう。もゆるを護るためには、私の類い希なる頭脳が必要だからな。もゆるがグルムごときの予言に沿うのは気に入らんし」
「わあ、ジードさんが手伝ってくれるなんて心強いです! ありがとうございます、ジードさんは優しいですね」
「む、うむ、まあ、お前が死ぬと少し……結構、いや、かなり、嫌な気分になるからな……」
ユウトに信頼の乗った瞳で見つめられ、微笑まれて、ジードが照れている。
そういえば彼もまた、ユウトがそこにいるだけで恩恵を受ける者だった。
こうして利害を度外視して護りたい者ができたこと、その者に無条件で信頼されていること、微笑みや善意を向けられること。
その全てで、ジードの復讐に満ちた心は癒やされているのだ。
こんなふうに、ユウトのために尽くしたい、そう思う者が増えるほど、きっと時流はこちらに向いてくる。
ユウトは護られることで仲間を強くするのだから。
「えー……コホン。では、もゆるを『聖なる犠牲』にしないために、『聖なる犠牲』の話をするか」
クリスの視線の先で、ユウトの笑顔に照れていたジードが一つ咳払いをする。
彼はそう言うと、先ほどまでめくっていた紙束の方でなく、書物の方をこちらに向けて開いて見せた。
「まず、従来の『聖なる犠牲』の考察から解説しよう。魔尖塔の出現と、おぞましきものの来訪についても」




