聖なる犠牲と最終戦争
思いがけないユウトの問いにクリスは目を瞠り、ジードは顎に手を当てて記憶を探る仕草を見せた。
「……少し待っていろ」
不意に立ち上がったジードがそう言って、奥の扉に消えていく。
最終戦争関連の書物か何かを探しに行ったのかもしれない。
それを見送って、二人きりになったと同時にクリスは眉を顰めてユウトに向き直った。
「……私はもゆるちゃんが『聖なる犠牲』について知ることを、あまり歓迎しないんだけど。……君はその人とは違うんだから」
「分かっています。でも、知らないよりは知っている方が良いと思うんです。僕の未来を予知したグルムも、『何も知らずに犠牲になる』って言ってましたから、知ることで回避できることもあるかもしれないですし」
「それはそうだけど……」
ユウトの言うことも分かるけれど、それ以上に心配なのは彼が自分の命を切り札として使う方法を知ってしまうことだった。
絶体絶命の危機に陥った時、自分の命で全てを救えるのなら、ユウトは命を投げ出しかねない。その救える者の中にレオが入っていれば、ほぼ確実に実行するだろう。
その後の彼の兄の状態を想像するだけで恐ろしい。
「……いいかい、もゆるちゃん。世界やレオくんのことを考えるのなら、君は絶対に死んでは駄目だ。ディアさんも言っていただろう、君は『聖なる犠牲』ではなく『世界の希望』だと」
そう、希望は消えてはならない。平和を取り戻した後の世界を、照らしてもらわなければ。
二つの世界の創造主に望まれて生まれた子ども。
その小さな身体には、ただ単純な力だけではなく、大きな愛と思いが込められているはずなのだ。
そう告げると、ユウトは少し困ったように、しかしどこか嬉しそうに微笑んだ。
「……僕を心配してくれてるんですね。ありがとうございます、クリスさん。もちろん僕だって死ぬ気はありません。……でも、僕にも切り札があることで、何か役に立てるかもしれない」
「もゆるちゃんはそんなものがなくても、十分役に立っているよ」
実際、ユウトがそこにいるだけで恩恵にあずかる者は多い。
エルドワやヴァルドは血をもらわなくたって癒やしややる気をもらっているし、アシュレイもその存在に勇気をもらっている。
ネイはユウトのおかげでレオの側にいられることを感謝しているし、クリスだって彼の幸運の庇護に与って、不幸に見舞われることが格段に減っていた。
そしてなにより、レオがああして世界を護ろうと動いているのは、ユウトがそこにいてくれるからだ。
この子がいなかったらこれだけの実力者がこうして揃うことはなかったし、何よりレオに世界を救おうという気持ちなんて湧きもしなかっただろう。
レオの力がなければ、こちらの戦力は格段に落ちることになる。
それは世界の滅びと同義だった。
「いいかい、もゆるちゃん。みんな、君を護ることで強くなれるし、頑張れるんだ。お願いだから、自分から死を選ぶことだけはしないでね」
「……分かりました」
神妙に頷くユウトの頭を、褒めるように撫でる。
……しかし今はこうして納得してくれたけれど、もしもその場になったら分からないのが厄介だ。彼の優しい心根と自己犠牲の性質があるから特に。
エルドワからこっそり聞いた話では、グルムの予知の中のユウトは『殺される』のではなく『死ぬ』のだと言っていたそうだ。
これは、殺されるのを回避するよりもずっと根深く、阻止の難しい内容だった。
それを避けるには、もはや『その状況を作らない』ことしかない。
そう考えると、ここで『聖なる犠牲』のことを聞くことで、『その状況』を先に知っておくことも必要なのかもしれないが。
「……待たせたな」
やがて、奥の扉から再びジードが現れた。
その手には数冊の書物と、紙の束がある。どうやら最終戦争に関する資料のようだ。
それを机の上に乗せ、ジードは椅子に座った。
「今手元にある最終戦争に関する書物はこの程度だ」
「……え、これだけですか?」
想像したよりもずっと少ないそれに、クリスは目を丸くする。
あれだけ大きな世界侵攻、魔界にはもっとたくさんの書類があると思っていたのだけれど。
「実は最終戦争には魔界の中枢は関与していない。一部の魔族が無断で大軍を連れて人間界に向かい、そしてそのほとんどが死に絶えたせいで、正確な記録というのはほぼ残っていないのだ。ここにあるのは、僅かに生き残った者からの報告による考察をまとめたものだな」
「えっ、最終戦争って、『魔界VS人間界』の存亡を掛けた戦いだと思ってました……。クリスさんは知ってたんですか?」
「いや、私もそれは知らなかった。リインデルにあった最終戦争に関する書物も少なかったし、記録というより推察的な本だったから」
しかし考えてみれば当然か。
魔界と人間界は対の存在。片方が侵攻などをしてバランスが崩れれば、双方が世界の存続に支障をきたす。
それを魔王や直属の四つの公爵家が認めるはずがなく、余程野心家の魔族がそそのかされた結果なのだろうと知れた。
「当該者ではない者の考察ゆえ、これらの本の内容は解釈がばらばらだ。もゆるたちの世界では、この戦争の内容はどう伝わっている?」
「僕は英雄譚での内容しか知りませんけど……普通に剣と魔法で戦って、最後に神の奇跡の力を借りて魔族を殲滅した、としか」
「リインデルにあった本では、エルダール初代王が秘密裏に魔族を人間界に引き込み、古の国を蹂躙させたあげく、引き込んだ魔族を裏切って殲滅したと書かれていましたね」
「じ、自分で引き込んでおいて裏切って殲滅……? ひどい……」
クリスの言葉を聞いたユウトが眉を顰める。
まあ物語のヒーローが、実は英雄どころか最低男だったと知ればそんな反応にもなるか。
「ただ、この解釈もどこまで合っているのか分からないんだ。……先日魔法研究機関で読んだ考察に、違う展開が載っていてね。なぜあの本が王都にあったのか謎だけど」
「……違う展開ですか?」
「うん、そう。あれって、魔界ではすでにある考察なのかな。ジードさん、魔界の方では最終戦争の話ってどうなってます?」
「話の流れ的にはおぬしが言った内容と然程変わらん。……だが、詳細や展開は絞り切れていないな。これという確証がない」
クリスの問いにそう答えたジードだったが、しかしおもむろに紙の束を手に取るとちらりとこちらを見た。
「……ただ現段階では、この比較的新しい考察が、かなり整合性があると考えている。……おぬしの祖父とルガルが考察をまとめたものだ。おそらく魔法研究機関にあった本の内容と合致するだろう」
ジードはそう言って、手元の殴り書きのような紙束を繰った。
この様子……もしかしてあれは、件の本を執筆編纂する前のルガルと祖父のやりとりを傍受したメモだろうか。どうやらあの本が王都に行っていることも知っているらしい。
クリスはすぐにそう勘付いたけれど、『余計なことを言うんじゃないぞ』というジードの密かな視線に苦笑して、とりあえず突っ込まずに話を進めることにした。




